アイルランド50代女一人旅 7: レディ・グレゴリーの土地を回る

2022年10月7日、アイルランド国の西側、ゴールウェイ州。12月に上演する100年前のお芝居の作者レディ・グレゴリーの生きた土地をレンタカーで巡ります。
限られた時間でお芝居関連の土地を効率よく回るため、台本と地図とレディ・グレゴリー情報と睨めっこしながら、回る順序を練りに練って予定を立てました。

地図でお見せしますね。まずはアイルランドの位置。
イギリスの左となりですね。さらに左は大西洋で、その先はアメリカです。
そして私の今回の旅は、2022年12月に上演するお芝居の作者レディ・グレゴリーの関連土地を巡ります。それは、アイルランドの西側、ゴールウェイ郡とクレア郡にまたがっています。(郡ではなく、県とか州と考える場合もある。よくわからぬ。英語では County Clare, County Galway)

そして本日の旅程
Galway → Ardrahan → Rathbaum Farm → Skehanagh → Isser Kelly → Rosborough House → Portumna Castle → Portumna Workhouse → Limrick → Shannon

昨夜は嵐で、モヘーの断崖から荒れた海を見て、この海をイニシュモアへ船で渡るのかと思うとゾッとして、渡らないのはともかくとして、渡ってから帰れなくなったらどうしよう、と考えて眠れなかった。経験者のブログを読むと、昨日のモヘーの港からの船は出ないことも多いが、ラッサヴェールの港からは大きな船だから滅多なことでは取りやめにならない、とのこと。だから、フェリーがたくさん出るのは九月までなのだな。旅会社の載せている写真は年に数日しか無い一瞬なのでは無いか。昨日、モヘーのドライバーも、ここは強風と湿気で何も見えないことも多いけど、今日は良い方だったと言っていた。そんなことを取り止めもなく、窓を叩く嵐を聴きながらうとうとするのみの夜であった。

なんとも寝付けないまま朝になり、7時に床を置き出して、荷造り。8時半にチェックアウト。9時から借りるバジェットレンタルに行ってみたら当然ながらまだ閉まっている。寒いし、25分もあるので、またホテルのロビーに戻り、待つ。

お腹が空いてる。日本で朝にお腹が空くことはないのだが。普段より2倍長い飛行機乗り継ぎで、動かないままの食べ過ぎで胃が大きくなっちゃったんだと思う。もうチップスはやめておこう(笑)。

車を借りる時、予約はしてあったが支払いはここで。いろいろ保険は付けて、2日間で3万円くらい。マニュアルの普通車でこれは、かなり高い。係員は日本が好きらしく、桜並木を観たいと言っていた。ところでこの事務所はエア広場の並びにある。バス停から進んで来る信号の角。この狭いところのどこにクルマがあるのかと思ったら、ツアーバスなどが並ぶ例のMerchants Rd  をずっと行った先の左手に大きな駐車場エリアがあり、そこに置いてあるとのこと。駐車場に入るための磁気カードを受け取り、その磁気カードで退出する。なるほど。セキュリティと出庫時の無料手続き違う一体化しているわけですな。フォルクスワーゲン。マニュアルの使い方、日本で練習してから来たかったけど、教習所練習だと15,000円以上かかるので、それならオートマ借りるほうがマシ、なのだ。なので、ま、思い出すだろう、とタカを括っていたのだが、どうにもガリガリゴツゴツ言って発進できない。そばで車を洗っていたレンタカー屋のおっさん二人が心配してあれこれ言ってくれるが冷や汗ばかり出てうまくいかない。本当に大丈夫か?ここで何周か練習してから外へ出ろ、と。車のギヤを焼き切ってしまうぞ、とめちゃくちゃ心配して、この人に車を貸して大丈夫なのか?とオフィスなら電話までしていた。とほほ。が、そこは最初のポイントひとつ押さえればあとは器用な三輪えり花、コツを掴み、発進、ギヤ変え、後退、車庫入れを練習し、いざ公道へ!

アルドラハン Ardrahan

もちろん注意深く、ゆっくり進む。先ずは市内を出るまでがチャレンジ。が、一方通行の一本道で、驚くほどすんなり市外へ。

当初の計画では、

Galway →Ardrahan → Skehanagh. 30分 10時着

だったのだが、車練習に時間を使ったので、なんとか10時半にアルドラハン着。(地図1)
今日は天気が良い。キラキラしている。観光写真にできそう。もしも雨だったら運転も大変だしストレスも気分も大変だし、本当に恵まれている! 最初に使う道は昨日ツアーで通ったワイルドアトランティックウェイ。

あ、アルドラハンに入りました、と思ったらもう通り過ぎている。つまり、アルドラハンを左手に見て、村の入口をこの道が通過しているのだ。先へ進むか写真を撮りに戻るか、畑の脇に車を停めて少し考えた。が、この天気が持つかどうかわからないし、『出られないふたり』に出てくる地名だし、写真は撮っておこう!とUターンする。アルドラハンの中心は三叉路で、そこに古い時代の小さな塔がある。マイク・マクナニーも見たことがあるだろう。あるのはそれだけ。その先を進んでもただ畑または牧草地があるのみ。当初は458号線を進んでスクハナに向かうつもりだったが、アリドラハンの中を通過したため、ルートが変わり、ちょっとした観光ポイントであるRathbaum Farm を眺めることにする。

ラートバウム農場 Rathbaum Farm

(地図2)
ウェブの写真で見ていた記憶では、白い丸い小屋のような建物で、納屋か何かだろうと思っていた。が、実際に行くと、綺麗な鼻がたくさん咲いていて、実に綺麗なら飾られている。博物館になっているのかと思ったら、人が住んでいる! ここでは動画を撮った。ナレーションを喋る私の声を聴いて、めちゃくちゃ人懐こいボーダーコリーが飛び出してきた。そして、早く中へ入れたら促してくれるのだが、ごめんね、と先を急ぐ。

スケハナ Skehanagh

そしてスクハナへ。(地図3)
『出られないふたり』では、スケハナと訳した。これはアイリッシュを喋る人に確認した発音なので、英語だとスクハナ、アイリッシュだとスケハナなのだろう。日本語検索ではスクハナをお使いになると良い。尤も、何も情報は出てこないけれども。町の片鱗さえない、牧草地と畑のみのエリア。僅かに四軒ほどの農家が、日本の農道のような小道に沿って建っている。石造りの農家。車を停めて写真や動画を撮っていると、新しめの家の女性が家から出てきた。怪しまれる前にこちらから声をかける。

こんにちは、この辺りがスケハナですね? 私、日本から来た舞台演出家です。この辺り出身のレディ・グレゴリーという劇作家をご存知ですか?(知らない) その人のお芝居のキャラクターが、ココ出身なんですよ。それで日本の俳優たちにどんなところが見せようと思って。

と、少し話をして、写真を撮ってもいいかしら、と尋ねると快くOKしてくれました。「私は最近越してきたのでこの辺りの古いことは知らないんだけど」と言いながら。

小さな道を通過するだけのスケハナ。『出られないふたり』のキャラクターたちが言う「むかしは豊かな土地だった・・・」は、彼らがこの豊かな土地で暮らし、そのうちジャガイモ飢饉になってそこを追い出されたことを意味する。そして彼らは Gort の救貧院に入ったのだ。Gort は明日、訪問する。10月の柔らかい日差しは、秋の風をはらんで少しピリッとしている。これから収穫の季節。

エッサケリー Isserkelly

Skehanagh →  Isserkelly  8分

スケハナの1本道を先へ進むと、その先は Isserkelly だ。(地図4)
『出られないふたり』では、「エッサケリーの祭りの日に」というセリフが出てくる。いかつい犬、雌鶏、豚、大きな木…それらが生きたものとして浮かび上がってくるような風景。

ロスボロー邸 Rosborough House

Isserkely → Rosborough House(グレゴリーの生誕地。廃墟)3分

次は、レディ・グレゴリーの生誕地と呼ばれているRoborough House へ向かう。(地図5)。(Roxboroguh と記述
屋敷の巨大な門はそのまま。敷地内には小川が音を立てて愉快に流れ、アーチ状の石造りの橋がかかり、どんどん進むが、行った先には小さな看板。「ここから先、私有地。立ち入り禁止」そこにはこじんまりとしたいくつかの一軒家がほのぼのとした感じで建っている。どうやら敷地内は切り売りして宅地になっているようだ。私が小川の写真を撮ろうとしているそばにも建築中の二階建てのモダンな家屋があった。その二階部分を工事している男性がこっちを見ている。このような時は、話しかけられる前に話しかけるべし。(さっきのスケハナでのように)。レディ・グレゴリーについて調べに日本からきました。写真を撮ってもいいですか? 「まず俺を撮ってくれるならいいよ」(笑)

ポーツムナ Portumna お城でランチ

Rosborough House → Portumna Castle  40分 12時着 ランチ&お城見物

そこからPortumna へ。(地図6)
湖のほとりの、お城もある中規模の町だ。湖とは言っても、実は、アイルランドの心の故郷とも言えるシャノン川(アイルランド最長)が非常に幅広くなって湖状になっているもの。さらに南下するとリムリックという港町に通じます。

この豊かな湖の北の端にあるポーツムナ。まずはお城を訪ねてカフェでランチを目論みます。

大きな木の森を「これ、方向あってる?」とやや不安になりながら進むと、ありました。お城とカフェ。本日のメインイベントである救貧院のツアーを予約しているので、お城に入る時間はありません。お城は外から見るだけ。カフェは入り口外にあるので誰でもお庭を眺めながら軽食がとれます。昨今のSDGsにのっとり、スプーンやフォークは薄い木製。本日のランチプレートが2種類あり、ほかはサンドイッチやスープなど。ランチにすると、ソフトドリンク(ボトル)とポテトチップス2袋がついてくる。ランチそのものにもポテトが添えてあるので、ポテトにポテチ。かなりの衝撃。ありえへんでしょ。もっとも、車内での万一の軽食にはぴったりなので、開封せずに持ち帰ります。

ポーツムナ救貧院

そして救貧院へ。(地図7)
救貧院自体に関しては、ものすごくたくさん書き留めておきたいことがあるので、独立した別のブログにまとめてあります。(そのブログは、12月に上演する芝居の母体である国際演劇協会日本センター英語圏部会のサイトにあります。いま、そのサイトを再構築中なので、もう少しお待ちください。)

なので、このブログでは今日の行程を先へたどります。

救貧院の見学は14時から15時までですが、私を含めた3名の参加者たちの知りたいことが多すぎて、学芸員も喜んで話をしてくれましたし、そこにはアイルランドのジャガイモ飢饉の黒歴史を彫刻にして残そうとしているアーティストもいて話が持ち上がり、そこを出たのがもう16時ごろだったようです。

リムリックへの道

そこからリムリックへは車で1時間。

その道がまたこの上なく素晴らしかった。(地図8)
運転中だったし、予定時刻を圧していたので、急いでいたし、道は狭かったから対向車が来ても面倒だし、と停車して写真を撮ることをしなかったのですが、今になってめちゃくちゃ悔やまれる。

文章で表現できるかしら。

道は対向車が来たらギリギリすれ違えるか否かの幅。イングランドを運転したことがある人なら、コツウォルズ界隈の B ロードの感じ、と言えばわかるだろうか。(あれ、むしろわかりにくい? イングランドは、 M (高速道路)、A(幹線道路)、B(一般道)となっていて、田舎をてけてけ走る道はだいたいが B ロードでここを走るのが楽しいのだ。)その道の両側に背の高い木が生えている。森や林の中の道ではなく、並木道だ。が、この並木、別に誰が世話をするわけでもないと見える。フランスの並木道のように整然とすっきりとしていない。木の根元付近はベリーや野生のバラなどの灌木類が密集しており、それがさらに木に絡みついている。木の幹は太いのでしっかり上に向かって立っているのだが、枝は生命力にあふれる美しい緑を輝かせながら道路に向かって拝むように伸びている。根本に絡む灌木と道路に降りかかるような枝のおかげで、1本の木の形は C の字に見えるのだ。それが両脇にある、その真ん中を運転していると、まるで完全円形のトンネルの中を進んでいるような感じだ。なんてこった。こんなのはインスタグラムや世界の写真家の「美しい風景」のようなものでしかあり得ないと思っていた。現実、ここにこうしてあるなんて、信じられない気持ち。しかも、たまに、両脇の木の根元がぐっと道に張り出して、木の枝がが少し外へ向かって離れていると、これはもう、おわかりですか? ハート型です!! ハート型のトンネルを通っているのです。豊かなふかふかの緑のハート型のトンネルで、その先の空間は夕まぐれの柔らかい青空。奇跡ですか、神秘ですか、舞台装置ですか、です。完璧だ。私のアイルランド旅は完璧です!今思い出しても夢のようです。絶対に戻って写真を撮りたい。証拠をみんなにお見せしたい。

リムリック Limrick

この素晴らしい経験に胸がいっぱいになりながらリムリックに到着した時にはもう17時でした。(地図9)
季節はまだ10月初めとはいえ、ここは北海道よりも緯度の高いアイルランド。どんどん日が短くなります。この時点では美しい夕まぐれでして、もっとリムリックでゆっくりしたい気持ち。ここは、シェイクスピアの『ジョン王』(シェイクスピアの作品の中でも最も上演されない戯曲のひとつ笑。でもオーディションによく使われるスピーチは多い)のお城があります。ジョン王は政治能力に乏しいくせに野心ばかりあり、貴族の怒りをかって、ついにマグナ・カルタという、イングランド初の「憲法」を認めることになった王様です。ちなみにマグナ・カルタが締結されたのは、野原。ラニーミードという野原で、ウィンザーの近くにあります。ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校に通っていた私の活動エリアで、あるとき立て看板にマグナカルタはここで成立したと書かれているのを発見した時はひっくり返るほど驚きました。そのようなものはお城の中で締結されるものだとばかり思っていたのです。それが、この、何もない、だだっぴろい、ただの、(くどい)野原・・・。なるほど、ここに貴族たちが煌びやかな野営のテントを張り、馬たちがいて、騎士たちがいて、お城から王を引き出してきて、対等な立場として締結させたのだ。脳内映像がワクワクと動き出したのを思い出します。で、リムリックは、そのジョン王が野心剥き出しでアイルランド伯になり、そのままイングランド王宣言をしてしまった。それによって、アイルランドが、それまではゆる〜くつながっていたのに、途端にイングランド領になってしまったのです。イングランドはこの時からアイルランドを強烈に搾取し始めました。え〜と、語弊があるかもしれませんが、日本が、よその土地、ことに海を隔てた土地を「わがもの」と宣言すると、そのよその土地に対してけっこうえげつなく搾取しましたよね。それと同じことがイングランドとアイルランドのあいだで起きたわけです。スペインと中南米の関係もそうでしたよね。ということは、日本が特別に野蛮だ残酷だというわけではなく、海を隔てた地域を征服すると、征服者たちはかなり残酷に搾取を始めるという構図は残念ながら人類特有の気質なのかもしれません。

そんなことを考えながら夕日に輝くジョン王のお城が背後に遠ざかっていくのを車のバックミラーで見ながら、今夜の宿へ向かいます。

シャノン Shannon

リムリックを出てすぐのところに Bunray Falk Park という伝統文化村があります。伝統的なアイルランドの家屋やくらしが、体験型でわかるというもので、演出家としては大変気になりましたが、今回は、農民の暮らし自体を扱うわけではないし、すでに12月上演の舞台となる救貧院のくらしはじゅうぶんに学んだので、残念ですがまた次の機会に。そして夕陽を追いかけるようにシャノンという街へ向かいます。シャノンはヨーロッパ便の国際空港もある、シャノン川の河口の町。(地図10)
今夜はそこのカントリーハウスに宿泊です。この話も長くなりそうなので、また別ブログにて!


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