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カテゴリー: 旅行

  • ロンドンの馬具屋 W & H Giddenと19世紀の店たち

    ロンドンの馬具屋 W & H Giddenと19世紀の店たち

    乗馬ブーツの手入れをしていて、そういえば、このブーツを買った W & H Gidden はどうなっているのかな、と気になって調べてみた。

    W & H Gidden. 1806年創業。ウェリントン公爵がここの鞍に跨ってフランスを蹴散らしたなど、イギリス貴族の馬と切っても切れない仲にある優秀な馬具屋。エリザベス女王とその家族たちもここで鞍やブーツなど馬具一才を注文し、王室を警護する馬たちも全てここの馬具。

    74, New Oxford Street, London WC1

    住所を眺めるだけで、当時のワクワクでいっぱいのイギリス時代が思い出され胸が熱くなる。

    なのに何と1999年にドイツの Schneider Boots に買収されてしまった・・・。

    ロンドン留学中に乗馬をたしなみ、帰国間際に乗馬ブーツ、乗馬手袋、乗馬ズボンを購入したのは1997年。

    私が持っているのはこちら⇩

    それがわずか2年後、ミレニアム前には買収されてしまったのか。

    90年代のロンドンは、まだまだ19世紀の大英帝国を堪能できた。

    James Smith & Sons の傘(これはまだ健在)
    Smython の文房具、名刺、カードホルダー、名入りの便箋封筒セット(これもまだ健在)

    分厚い手刺繍のスモーキングジャケットを作っていたBurlington Arcade にあった店(この店は見つからない。当時、高かったけど、一着、買っておけばよかった!)

    クリスマスになると何月何日に何名でパーティーやるので、ガチョウを一羽お願い、と注文すると、その大きさのものを森で撃ってきて血抜き・内蔵抜きをして軒先に私の名札をつけてぶら下げておいてくれた肉屋。

    Covent Garden も Camden も全く商業化されておらず、個人店がそれぞれてんでに好きなものを売っていた。

    もう一度ロンドンへ行って、当時、目を丸くして圧倒されなが歩いた道を辿り、昔あった店を訪ねてみたい。

    2019年にロンドンを訪ねた時は、紅茶を出すカフェやサンドイッチをその場で作ってくれる店が全く姿を消してしまったことに呆然とした。アメリカ風のコーヒーハウスばかりだ。なんてこった。

    なんてこったと思いつつ、19世紀の残るロンドンを知ることができたのだと思うと、本当に本当に貴重な経験、宝石のような経験をしてきたものだ。これについては、もっとじっくり書き出してもいいかもしれない。自分の記憶のために。

  • アイルランド50代女一人旅 8: 上流階級のひととき

    アイルランド50代女一人旅 8: 上流階級のひととき

    前回の日記で、Carrygerry Country House について独立記事にしますと申しました。ここではその素晴らしいカントリーハウスをご紹介します。もうぜひぜひぜひぜひ訪ねてほしい。その際に守るべきマナーなどもお伝えしますから、アイルランド上流社会の生活をミニ体験してください。

    Carrygerry Country House キャリジェリ・カントリーハウス。
    アイルランドを縦に流れる、ブリテン島全体の中でも最大の川、シャノン川の河口近く、シャノン国際空港のすぐそばにあります。
    シャノン国際空港は、ヨーロッパ便がありますので、ヨーロッパとの行き来にはとても便利。でも日本から向かうには、やはりダブリン経由、バスまたは列車で向かうのが良さそうです。

    1793年建築の屋敷。正面からの全景。左のガラス張りの建物は、昔の温室で、今はダイニングルームとして使われています。夜はキラキラと、朝は燦々と陽が入り、とても気持ちよく食事ができます。

    リムリックからの美しい道路をぐんぐん西へ進み、田舎の一本道になって、ついにCarrygerry Country House 以外へは到達しない道に入ります。つまり、この邸宅へ向かうためだけの道です。わお。

    少し不安になりながら木々の間を抜けていくと、突然風景が開け、この屋敷が現れました。小説か。

    屋敷の前に数台の車が停まっていたので、ここが駐車場だろうと車を停めて外へ出ると・・・

    えっ、あれはなんですか?
    馬ですね? 馬です。馬です!! 馬ですっ!!!

    動画日記も君管(YouTube)にあげる予定ですが、興味津々の仲良し二人組くんたち、すぐに私の方へ寄ってきてくれて、ふがふがしています。もちろん、初めて出会う馬には手を出しません。危険すぎる。

    興奮していると、女主人が出迎えに出てきてくれました。

    私の部屋は、3階の向かって左側の角部屋です。
    ただし、イギリス式だと日本の1階は「地階 Ground Floor」、2階を「1階」と数えますので、イギリス式だとここは2階ということになります。
    また、イギリスの邸宅(少なくとも19世紀まで)は、地階の天井が最も高く、上階に行くに連れ、天井高が低くなるように設計されています。地面から見上げた時の遠近法で巨大な屋敷にみえるように、ですね。
    そんなわけですから、3階のこの部屋は、行ってみれば「屋根裏」でもあるわけで、天井は高くありません。屋根は傾斜していますから、昔は格の高い部屋ではなかったはずです。が、宿の主人は、「実際はこの家の中で最も良い部屋」と言っていました。

    たしかに、角部屋ゆえ、窓が二方向に三つあり、とても気持ちが良い!

    大きな重いスーツケースを一緒に運んでくれました。ええ、エレベーターなんかありませんとも。19世紀ですから。

    この部屋が最高なのがわかりました。
    ベッドです。Four poster bed (フォー・ポスター・ベッド。柱が四隅に立っている豪華なベッドのこと)。本来はここ全体にカーテンを張り、プライバシーと温かさを確保したのです。

    ちなみに、four poster bed で有名なのは、チャールズ・ディケンズが書いた『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージ。彼はこの種類のベッドで寝ています。クリスマスの3番目の精霊は、スクルージがベッドに横たわっている未来を彼に見せます。彼の洗濯女が「カーテンまでひっぺがしてきた」というセリフがありますが、それがfour poster bed のカーテンのこと最後にスクルージが第三の精霊に命乞いをしてその足元にしがみついて「改心します」と泣き叫びながら、気がつくと、ベッドの柱にしがみついていた、というのが、この柱です。スクルージはケチだけどなぜか家具は良いのを持っていたんですね。
    ・・・劇団昴で上演があったとき、大道具が凝ってしっかりしたfour poster bed を作っていました。上演後、誰か要りませんか?と問い合わせがあり、とっても欲しかったけれど、断念しました。

    この部屋の一番奥にある出入り口は、洗面所・トイレ・お風呂場へのもの。
    手前の開口部は、ウォーキング・クロゼットとドレッサーのある部屋です。私は荷物をここへ入れました。

    一晩だけなんて勿体ない!
    しかもGalway で宿をとるよりずっとずっと安価なのです。

    お部屋にはお嬢さんが、紅茶を持ってきてくれました。ポットの紅茶と、チョコレートブラウニー。それを窓辺でいただきながら、眼下の草原を馬が楽しげに駆け回っているのを眺めます。遠くには川、そして空港をたまに離陸する飛行機。音はほとんど聞こえません。なんて素晴らしい場所なのだ!

    お茶を終え、夕日が沈むのを眺めたら(アイルランドの西にある街ですから)、今回の旅のこの夕食のためだけに持ってきたキレイ目のワンピースとピンヒールを履いて、階下へ。

    夕食の準備ができるまで、食前酒(ノンアルコールももちろんあります)を楽しみながら、暖炉前で待ちます。こんな場所です。

    ガラステーブルの下には、この屋敷の模型が飾ってあります。
    暖炉の上の棚を「マントルピース」と言います。欧米翻訳物のお芝居には欠かせない場所ですね。
    暖炉の中には、タイルのパネルのようなものが置いてありますね。これも欧米翻訳物の上演では良く登場する置き道具です。ファイヤ・シールドとか、ファイヤ・スクリーンと呼ばれ、暖炉に火入れをしない季節に、つまらない灰の火床が見えないよう、おしゃれなスクリーンを置くのです。

    このお写真は典型的な19世紀の居間ですね。ピアノもあって。このまま舞台装置に使えそうです。

    同じ居間の入り口側の窓です。窓際のソファも素敵ですね。

    では、お夕食!

    上記、最初の写真でお見せした温室の中で、広いお庭を眺めながら食事です。自家製のパン、自家製のバター、自家製のジャム。キャンドルライト。いいですね〜。

    スターターには。自家製のチキンパテ。自家製のジェリー添え。ここらで採れた新鮮野菜。アイルランドの郊外はなにもかも「自家製」「近所の野菜」「近所のお肉」。添加物なしの新鮮なものばかり。

    メインはサーモンを選びました。なのに!巨大なキングサーモンのフィレが2枚、さらにスズキのフィレが2枚、そして大粒のホタテが三つ。爽やかなクリームソースでいただきます。なにこれ、美味しい。
    そして奥のお皿に山盛りの、にんじん、ポテト、ブロッコリ。
    そうそう、ヨーロッパのディナーは、こうなのよ、思い出した。

    デザートまでとても入らなかったので、他の人たちが食べているのを眺めました。

    では、おやすみなさい。

    翌朝:朝靄煙る牧草地。早起きの馬が朝ごはん中。

    アイリッシュブレックファスト、参りましょう!

    アイルランドにいて「イングリッシュ」という単語を使うのが非常に気が引けるのですが、イングリッシュカルチャーの中にいる、と言う意味で、使わせてください。

    朝食はイングリッシュ・ブレックファスト系。コーヒー、オレンジジュース、卵料理と肉料理とパンです。

    イングリッシュ・ブレックファストは、卵料理はお好み(目玉焼きかスクランブル)、ソーセージ、ベーコン、焼きトマト、焼きマッシュルーム、薄っぺらのトースト。や、焼きトマト? はい、考え方としては、朝の忙しい時に、オーブンに突っ込んでおけば一斉にできるもの、というコンセプトだと思ってください。なので、トマトも半分に切ってオーブンに入れちゃってるわけです。

    庶民的な朝食は、これほど豪勢ではなく、「ビーンズ」と言う、トマトソース煮の大豆をトーストにかけて、べちゃべちゃにして食べます。

    アイリッシュ・ブレックファストもほぼ同じでしたが、トーストではなく、自家製パンかブリオッシュという感じ。もちろんトーストをオーダーすることもできます。この屋敷では、各種紅茶、リンゴジュース、ミルク、各種シリアルとヨーロッパ大陸スタイルの「コンチネンタル・ブレックファスト」を付けるのもお好みで。

    ちなみに、スコットランドのスコティッシュ・ブレックファストは、ソーセージが、スコットランド名物の「プディング」に代わります。プディング?え、プリン? ごめんなさいねー、血で混ぜたソーセージのことでね、真っ黒い臭みのあるソーセージのことなのだ。この屋敷のブレックファストも、お皿の上のほうにある丸いスライスが、それに近い感じです

    出発前にもう少し屋敷内のお部屋を見てまわりましょう。

    上記、最初の写真は、入り口すぐの廊下。宿長が右手にあり、左手は、この宿特製のジャムなどを販売しています。階段はこの奥にあり、そこから部屋へ登ります。

    2枚目と3枚目の縦長の写真は、この宿のグレードを証明する賞の数々。2019年にアイリッシュ・ブレックファスト賞と三つ星ホテルを獲得しています。

    4枚目の大きな写真は、スモーキングルームまたは居間ですね。居間がいっぱいのときや、グループで訪れたときなどはこちらの部屋でちょっとしたミーティングが開けるようになっています。アイリッシュフィドルと歌の演奏なども楽しめそうですね!

    のんびりして10時に荷造り、10時半チェックアウト。女主人と話したり写真を撮ったりして1050に出発しました。素晴らしい滞在をありがとうございます。本当に良い場所でした。本当に大当たり!おすすめです。宿のご主人とパチリ。

  • アイルランド50代女一人旅 7: レディ・グレゴリーの土地を回る

    2022年10月7日、アイルランド国の西側、ゴールウェイ州。12月に上演する100年前のお芝居の作者レディ・グレゴリーの生きた土地をレンタカーで巡ります。
    限られた時間でお芝居関連の土地を効率よく回るため、台本と地図とレディ・グレゴリー情報と睨めっこしながら、回る順序を練りに練って予定を立てました。

    地図でお見せしますね。まずはアイルランドの位置。
    イギリスの左となりですね。さらに左は大西洋で、その先はアメリカです。
    そして私の今回の旅は、2022年12月に上演するお芝居の作者レディ・グレゴリーの関連土地を巡ります。それは、アイルランドの西側、ゴールウェイ郡とクレア郡にまたがっています。(郡ではなく、県とか州と考える場合もある。よくわからぬ。英語では County Clare, County Galway)

    そして本日の旅程
    Galway → Ardrahan → Rathbaum Farm → Skehanagh → Isser Kelly → Rosborough House → Portumna Castle → Portumna Workhouse → Limrick → Shannon

    昨夜は嵐で、モヘーの断崖から荒れた海を見て、この海をイニシュモアへ船で渡るのかと思うとゾッとして、渡らないのはともかくとして、渡ってから帰れなくなったらどうしよう、と考えて眠れなかった。経験者のブログを読むと、昨日のモヘーの港からの船は出ないことも多いが、ラッサヴェールの港からは大きな船だから滅多なことでは取りやめにならない、とのこと。だから、フェリーがたくさん出るのは九月までなのだな。旅会社の載せている写真は年に数日しか無い一瞬なのでは無いか。昨日、モヘーのドライバーも、ここは強風と湿気で何も見えないことも多いけど、今日は良い方だったと言っていた。そんなことを取り止めもなく、窓を叩く嵐を聴きながらうとうとするのみの夜であった。

    なんとも寝付けないまま朝になり、7時に床を置き出して、荷造り。8時半にチェックアウト。9時から借りるバジェットレンタルに行ってみたら当然ながらまだ閉まっている。寒いし、25分もあるので、またホテルのロビーに戻り、待つ。

    お腹が空いてる。日本で朝にお腹が空くことはないのだが。普段より2倍長い飛行機乗り継ぎで、動かないままの食べ過ぎで胃が大きくなっちゃったんだと思う。もうチップスはやめておこう(笑)。

    車を借りる時、予約はしてあったが支払いはここで。いろいろ保険は付けて、2日間で3万円くらい。マニュアルの普通車でこれは、かなり高い。係員は日本が好きらしく、桜並木を観たいと言っていた。ところでこの事務所はエア広場の並びにある。バス停から進んで来る信号の角。この狭いところのどこにクルマがあるのかと思ったら、ツアーバスなどが並ぶ例のMerchants Rd  をずっと行った先の左手に大きな駐車場エリアがあり、そこに置いてあるとのこと。駐車場に入るための磁気カードを受け取り、その磁気カードで退出する。なるほど。セキュリティと出庫時の無料手続き違う一体化しているわけですな。フォルクスワーゲン。マニュアルの使い方、日本で練習してから来たかったけど、教習所練習だと15,000円以上かかるので、それならオートマ借りるほうがマシ、なのだ。なので、ま、思い出すだろう、とタカを括っていたのだが、どうにもガリガリゴツゴツ言って発進できない。そばで車を洗っていたレンタカー屋のおっさん二人が心配してあれこれ言ってくれるが冷や汗ばかり出てうまくいかない。本当に大丈夫か?ここで何周か練習してから外へ出ろ、と。車のギヤを焼き切ってしまうぞ、とめちゃくちゃ心配して、この人に車を貸して大丈夫なのか?とオフィスなら電話までしていた。とほほ。が、そこは最初のポイントひとつ押さえればあとは器用な三輪えり花、コツを掴み、発進、ギヤ変え、後退、車庫入れを練習し、いざ公道へ!

    アルドラハン Ardrahan

    もちろん注意深く、ゆっくり進む。先ずは市内を出るまでがチャレンジ。が、一方通行の一本道で、驚くほどすんなり市外へ。

    当初の計画では、

    Galway →Ardrahan → Skehanagh. 30分 10時着

    だったのだが、車練習に時間を使ったので、なんとか10時半にアルドラハン着。(地図1)
    今日は天気が良い。キラキラしている。観光写真にできそう。もしも雨だったら運転も大変だしストレスも気分も大変だし、本当に恵まれている! 最初に使う道は昨日ツアーで通ったワイルドアトランティックウェイ。

    あ、アルドラハンに入りました、と思ったらもう通り過ぎている。つまり、アルドラハンを左手に見て、村の入口をこの道が通過しているのだ。先へ進むか写真を撮りに戻るか、畑の脇に車を停めて少し考えた。が、この天気が持つかどうかわからないし、『出られないふたり』に出てくる地名だし、写真は撮っておこう!とUターンする。アルドラハンの中心は三叉路で、そこに古い時代の小さな塔がある。マイク・マクナニーも見たことがあるだろう。あるのはそれだけ。その先を進んでもただ畑または牧草地があるのみ。当初は458号線を進んでスクハナに向かうつもりだったが、アリドラハンの中を通過したため、ルートが変わり、ちょっとした観光ポイントであるRathbaum Farm を眺めることにする。

    ラートバウム農場 Rathbaum Farm

    (地図2)
    ウェブの写真で見ていた記憶では、白い丸い小屋のような建物で、納屋か何かだろうと思っていた。が、実際に行くと、綺麗な鼻がたくさん咲いていて、実に綺麗なら飾られている。博物館になっているのかと思ったら、人が住んでいる! ここでは動画を撮った。ナレーションを喋る私の声を聴いて、めちゃくちゃ人懐こいボーダーコリーが飛び出してきた。そして、早く中へ入れたら促してくれるのだが、ごめんね、と先を急ぐ。

    スケハナ Skehanagh

    そしてスクハナへ。(地図3)
    『出られないふたり』では、スケハナと訳した。これはアイリッシュを喋る人に確認した発音なので、英語だとスクハナ、アイリッシュだとスケハナなのだろう。日本語検索ではスクハナをお使いになると良い。尤も、何も情報は出てこないけれども。町の片鱗さえない、牧草地と畑のみのエリア。僅かに四軒ほどの農家が、日本の農道のような小道に沿って建っている。石造りの農家。車を停めて写真や動画を撮っていると、新しめの家の女性が家から出てきた。怪しまれる前にこちらから声をかける。

    こんにちは、この辺りがスケハナですね? 私、日本から来た舞台演出家です。この辺り出身のレディ・グレゴリーという劇作家をご存知ですか?(知らない) その人のお芝居のキャラクターが、ココ出身なんですよ。それで日本の俳優たちにどんなところが見せようと思って。

    と、少し話をして、写真を撮ってもいいかしら、と尋ねると快くOKしてくれました。「私は最近越してきたのでこの辺りの古いことは知らないんだけど」と言いながら。

    小さな道を通過するだけのスケハナ。『出られないふたり』のキャラクターたちが言う「むかしは豊かな土地だった・・・」は、彼らがこの豊かな土地で暮らし、そのうちジャガイモ飢饉になってそこを追い出されたことを意味する。そして彼らは Gort の救貧院に入ったのだ。Gort は明日、訪問する。10月の柔らかい日差しは、秋の風をはらんで少しピリッとしている。これから収穫の季節。

    エッサケリー Isserkelly

    Skehanagh →  Isserkelly  8分

    スケハナの1本道を先へ進むと、その先は Isserkelly だ。(地図4)
    『出られないふたり』では、「エッサケリーの祭りの日に」というセリフが出てくる。いかつい犬、雌鶏、豚、大きな木…それらが生きたものとして浮かび上がってくるような風景。

    ロスボロー邸 Rosborough House

    Isserkely → Rosborough House(グレゴリーの生誕地。廃墟)3分

    次は、レディ・グレゴリーの生誕地と呼ばれているRoborough House へ向かう。(地図5)。(Roxboroguh と記述
    屋敷の巨大な門はそのまま。敷地内には小川が音を立てて愉快に流れ、アーチ状の石造りの橋がかかり、どんどん進むが、行った先には小さな看板。「ここから先、私有地。立ち入り禁止」そこにはこじんまりとしたいくつかの一軒家がほのぼのとした感じで建っている。どうやら敷地内は切り売りして宅地になっているようだ。私が小川の写真を撮ろうとしているそばにも建築中の二階建てのモダンな家屋があった。その二階部分を工事している男性がこっちを見ている。このような時は、話しかけられる前に話しかけるべし。(さっきのスケハナでのように)。レディ・グレゴリーについて調べに日本からきました。写真を撮ってもいいですか? 「まず俺を撮ってくれるならいいよ」(笑)

    ポーツムナ Portumna お城でランチ

    Rosborough House → Portumna Castle  40分 12時着 ランチ&お城見物

    そこからPortumna へ。(地図6)
    湖のほとりの、お城もある中規模の町だ。湖とは言っても、実は、アイルランドの心の故郷とも言えるシャノン川(アイルランド最長)が非常に幅広くなって湖状になっているもの。さらに南下するとリムリックという港町に通じます。

    この豊かな湖の北の端にあるポーツムナ。まずはお城を訪ねてカフェでランチを目論みます。

    大きな木の森を「これ、方向あってる?」とやや不安になりながら進むと、ありました。お城とカフェ。本日のメインイベントである救貧院のツアーを予約しているので、お城に入る時間はありません。お城は外から見るだけ。カフェは入り口外にあるので誰でもお庭を眺めながら軽食がとれます。昨今のSDGsにのっとり、スプーンやフォークは薄い木製。本日のランチプレートが2種類あり、ほかはサンドイッチやスープなど。ランチにすると、ソフトドリンク(ボトル)とポテトチップス2袋がついてくる。ランチそのものにもポテトが添えてあるので、ポテトにポテチ。かなりの衝撃。ありえへんでしょ。もっとも、車内での万一の軽食にはぴったりなので、開封せずに持ち帰ります。

    ポーツムナ救貧院

    そして救貧院へ。(地図7)
    救貧院自体に関しては、ものすごくたくさん書き留めておきたいことがあるので、独立した別のブログにまとめてあります。(そのブログは、12月に上演する芝居の母体である国際演劇協会日本センター英語圏部会のサイトにあります。いま、そのサイトを再構築中なので、もう少しお待ちください。)

    なので、このブログでは今日の行程を先へたどります。

    救貧院の見学は14時から15時までですが、私を含めた3名の参加者たちの知りたいことが多すぎて、学芸員も喜んで話をしてくれましたし、そこにはアイルランドのジャガイモ飢饉の黒歴史を彫刻にして残そうとしているアーティストもいて話が持ち上がり、そこを出たのがもう16時ごろだったようです。

    リムリックへの道

    そこからリムリックへは車で1時間。

    その道がまたこの上なく素晴らしかった。(地図8)
    運転中だったし、予定時刻を圧していたので、急いでいたし、道は狭かったから対向車が来ても面倒だし、と停車して写真を撮ることをしなかったのですが、今になってめちゃくちゃ悔やまれる。

    文章で表現できるかしら。

    道は対向車が来たらギリギリすれ違えるか否かの幅。イングランドを運転したことがある人なら、コツウォルズ界隈の B ロードの感じ、と言えばわかるだろうか。(あれ、むしろわかりにくい? イングランドは、 M (高速道路)、A(幹線道路)、B(一般道)となっていて、田舎をてけてけ走る道はだいたいが B ロードでここを走るのが楽しいのだ。)その道の両側に背の高い木が生えている。森や林の中の道ではなく、並木道だ。が、この並木、別に誰が世話をするわけでもないと見える。フランスの並木道のように整然とすっきりとしていない。木の根元付近はベリーや野生のバラなどの灌木類が密集しており、それがさらに木に絡みついている。木の幹は太いのでしっかり上に向かって立っているのだが、枝は生命力にあふれる美しい緑を輝かせながら道路に向かって拝むように伸びている。根本に絡む灌木と道路に降りかかるような枝のおかげで、1本の木の形は C の字に見えるのだ。それが両脇にある、その真ん中を運転していると、まるで完全円形のトンネルの中を進んでいるような感じだ。なんてこった。こんなのはインスタグラムや世界の写真家の「美しい風景」のようなものでしかあり得ないと思っていた。現実、ここにこうしてあるなんて、信じられない気持ち。しかも、たまに、両脇の木の根元がぐっと道に張り出して、木の枝がが少し外へ向かって離れていると、これはもう、おわかりですか? ハート型です!! ハート型のトンネルを通っているのです。豊かなふかふかの緑のハート型のトンネルで、その先の空間は夕まぐれの柔らかい青空。奇跡ですか、神秘ですか、舞台装置ですか、です。完璧だ。私のアイルランド旅は完璧です!今思い出しても夢のようです。絶対に戻って写真を撮りたい。証拠をみんなにお見せしたい。

    リムリック Limrick

    この素晴らしい経験に胸がいっぱいになりながらリムリックに到着した時にはもう17時でした。(地図9)
    季節はまだ10月初めとはいえ、ここは北海道よりも緯度の高いアイルランド。どんどん日が短くなります。この時点では美しい夕まぐれでして、もっとリムリックでゆっくりしたい気持ち。ここは、シェイクスピアの『ジョン王』(シェイクスピアの作品の中でも最も上演されない戯曲のひとつ笑。でもオーディションによく使われるスピーチは多い)のお城があります。ジョン王は政治能力に乏しいくせに野心ばかりあり、貴族の怒りをかって、ついにマグナ・カルタという、イングランド初の「憲法」を認めることになった王様です。ちなみにマグナ・カルタが締結されたのは、野原。ラニーミードという野原で、ウィンザーの近くにあります。ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校に通っていた私の活動エリアで、あるとき立て看板にマグナカルタはここで成立したと書かれているのを発見した時はひっくり返るほど驚きました。そのようなものはお城の中で締結されるものだとばかり思っていたのです。それが、この、何もない、だだっぴろい、ただの、(くどい)野原・・・。なるほど、ここに貴族たちが煌びやかな野営のテントを張り、馬たちがいて、騎士たちがいて、お城から王を引き出してきて、対等な立場として締結させたのだ。脳内映像がワクワクと動き出したのを思い出します。で、リムリックは、そのジョン王が野心剥き出しでアイルランド伯になり、そのままイングランド王宣言をしてしまった。それによって、アイルランドが、それまではゆる〜くつながっていたのに、途端にイングランド領になってしまったのです。イングランドはこの時からアイルランドを強烈に搾取し始めました。え〜と、語弊があるかもしれませんが、日本が、よその土地、ことに海を隔てた土地を「わがもの」と宣言すると、そのよその土地に対してけっこうえげつなく搾取しましたよね。それと同じことがイングランドとアイルランドのあいだで起きたわけです。スペインと中南米の関係もそうでしたよね。ということは、日本が特別に野蛮だ残酷だというわけではなく、海を隔てた地域を征服すると、征服者たちはかなり残酷に搾取を始めるという構図は残念ながら人類特有の気質なのかもしれません。

    そんなことを考えながら夕日に輝くジョン王のお城が背後に遠ざかっていくのを車のバックミラーで見ながら、今夜の宿へ向かいます。

    シャノン Shannon

    リムリックを出てすぐのところに Bunray Falk Park という伝統文化村があります。伝統的なアイルランドの家屋やくらしが、体験型でわかるというもので、演出家としては大変気になりましたが、今回は、農民の暮らし自体を扱うわけではないし、すでに12月上演の舞台となる救貧院のくらしはじゅうぶんに学んだので、残念ですがまた次の機会に。そして夕陽を追いかけるようにシャノンという街へ向かいます。シャノンはヨーロッパ便の国際空港もある、シャノン川の河口の町。(地図10)
    今夜はそこのカントリーハウスに宿泊です。この話も長くなりそうなので、また別ブログにて!

  • 花の吉野・十津川・五條・飛鳥

    長編 旅エッセイ

    2023年三月末から4月にかけての週末奈良県の五條にある蔵の一棟貸しに滞在しました。演劇人の目から見たこの旅レポをお届けします。

    今回の旅は、新作を描くためのリサーチ旅でもあります。明治維新後の都市化や商業化、空襲などに遭っていない古い街並みの残り奈良県の五條へ。ここは吉野山や高野山、十津川や天川への交通の要衝でありました。ですから、桜のシーズン以降は混雑するのではないかと、ぎりぎり桜の前に行こうと企てたのです。

    が、2023年の桜が早かったのは、皆さんもすでにご存知の通り。おかげで、関西圏以外からの「予約してくる」観光客はまだおらず、なのにどこもかしこも満開の桜、というあり得ないほどラッキーな旅となりました。前置きはこれくらいにして、レッツゴー。

    吉野川 五條あたり 3月30日(木)

    3時起き、4時出発で5時半に羽田着。予約駐車場が満車だったため、一般駐車場がいっぱいにならないうちに停めたかったからです。ターミナル駐車場は、3階、4階、5階といっぱいで、やや焦った頃、6階のエレベーターホール前に空いていて、そこに入れました。8時半発の飛行機で関西空港へ向かいます。

    空港でレンタカーして五條市へ。この道はかなり山の上の方を通っていまして、山の常緑樹の中に桜が点々と咲いているのがとてもとても美しく、わあ桜だよ!とワクワク感を盛り上げてくれます。いえ、それだけでもうウキウキでした。いわゆる点在という状態よりももっと数が多く、けれど人工的に植えたものではないので、密集することはなく。運転中でしたからなんら画像記録を残せなかったのですが、これを見るだけでも関空から五條(あるいは吉野、高野山方面)へ向かう価値があります。

    お昼は吉野川流域の栄山寺(実は国宝)近くの「音無の淵」にかかる橋のたもとにある料理屋「よしの」で食事。
    毎回ここでは川が見下ろせる窓辺に案内されるのですが、さすがに今日は混んでいて無理でした。ちょっと空いたら、後から来たお馴染みさんが案内されてしまって。でもここはお料理も美味しいし眺めはどの季節に来ても素晴らしいしおまけにリーズナブルなので、お勧めです。食事の後、満開の桜を吉野川の眺めをパチリ。

    ここの主人が、いま、五條にある弁天山は桜が満開だから行くといい、と教えてくれて、予定になかったが尋ねることにした。おお、智辯学園か!甲子園で有名な。その名前の通り、弁天さまの山がその学園の目の前にある。山が全部桜でできている。見事でした。

    五條市へ入り、幸いにも明治維新にも空襲にも取り残された古い町屋街へ入ります。ここには、蔵を改造した一棟貸しの宿泊施設があり、今回はそこに連泊です。元はお医者様のお屋敷だったとか。蔵だけではなく、離れの貸切もできます。鍵を受け取り、室内の使い方の説明を受けたら、あとはもう「自宅としてくつろいで暮らす」だけ。この蔵は、リノベーションした際に、どうも床下が空洞の音がするというので思い切って剥がしてみると、床下全体が隠し部屋になっていたんですって。お宝があるわけではなかったとのことです。あとから、五條市と天誅組について知ることになりますが、それを知った後に考えると、この床下はおそらく天誅の乱の際に天誅組のメンバーを匿ったのではないかと私は推察します。というわけでこの隠し部屋の床を1階とすることで、2階までの天井高をとても高くとることができたとのこと。この一階は、ダイニングキッチンリビングとなるのですが、玄関から入って下へ階段を少し下がり、つまり地面より下にいる状態になるわけです。なぜかとても落ち着きます。床暖房で足元もポカポカ、コーヒーメーカー、電子レンジ、大型テレビ、座り心地の良い椅子とガラステーブルで。ガラステーブルのおかげで空間がさらに広く見えるのも気に入りました。2階は寝室とバスルーム。蔵の中だというのに真新しいガラス張りの全自動お風呂とトイレ。お風呂で寝転がったところにも窓が付いているので、気持ちよさそうです。もちろんどこからも見えないしね。

    家の真裏(または正面)には吉野川の広い河川敷。そこに1キロ近くにわたって巨大な鯉のぼりの列がたなびいています。お彼岸過ぎから端午の節句まで、ひと月以上はためかすのだそうです。そこを散歩しました。子供達が自然科学を学習できるよう、丸井円形の石で囲まれた学習ポイントがそこかしこにあり、河川敷の生き物や、河川や地理についてに話などが、たくさんの写真とわかりやすい説明が置いてあります。自然科学好きな三輪えり花としても、それを辿るだけでも楽しい。しかも向こう岸には桜!家々は低く、電線も目立たず、昔ながらの風景が広がっている素晴らしい場所です。
    歩いて宿へ戻る時、「桜鮎」と幟が見えた。和菓子の店だ。鶴萬々堂。こ、これはもしかして父が昔、奈良出張の帰りに、ごくたま〜に買って帰ってきた、最高に美味しい鮎餅ではないか?いつもこれをお土産にして、とねだると、季節ものだから、とあまり買ってきてくれなかったのだ。以来、鮎餅を見つけると買うのだが、父が買ってきてくれたお土産ほど美味しいと思ったことがない。あれは、子供の頃の、美味しいものをよく知らない子供の舌の、ただの記憶に過ぎなかったのだろうか? で、ここの鮎餅を買ってみた。。。。はい、本物です!これです!これほど美味しい鮎餅は他にない!まさにこの味です。よかった、私の幻想ではなかった。おすすめです。五條市へ行ったら、まず、寄ってください。

    夜は、蔵と提携している「五條源兵衛」というお店で食事。ここもまた、築300年の江戸時代からの古民家をレストランにしています。大部屋もありますが、夜は個室で、予約客のみ。オウナーシェフさんが自ら山へ入って採ってくる筍やキノコ、近隣の自然農法農家から仕入れるこの地域でしか取れないとっておきの野菜などで作る、ベジタリアンメニューです。お肉が欲しい人は、大和牛が、お魚欲しい人は和歌山の漁師さんから直接仕入れるお魚を、予約しておくことができます。落ち着いて楽しい食事でした。

    明日はどこへ、とシェフに聞かれ、吉野の桜を見に行くつもりと答えると、朝5時で、と言われました。私としては7時ごろ起きて8時ごろ出発くらいでいいかな、と思っていたのですが、8時から車両通行止めになるそうです。その後、さらにスタッフさんが、朝日を撮ろうと思って2時に出発した年がありますが、もう山裾は長蛇の列でした、と恐ろしいことをおっしゃる。どうなることでしょう。

    奇跡の全山満開 吉野山 千本桜 4月1日(金)

    というわけで、3時起き、4時11分出発。電灯さえない真っ暗な夜明け前の道路を一台、ナビだけを頼りにドキドキしながら進む。あまりにも誰もいないのでこの道ではないのではないかとさえ思えてくる。途中で後ろに軽自動車がついたので、一緒かと思ったがこちらが右の山道へ入るところで相手は直進し、また一台になってしまった。右に曲がった道路はもう山道で、急坂で、一台限りはあまりに心細い。ナビはさらに急な山道(ヘアピンカーブの連続なのでそうとわかる)を指しているが、もう一本、やや緩やかなのがあったので、そちらを選ぶことにする。万一急坂で何かあっても何もわからない状況ではかなり危険だからだ。緩やかな道は、途中で踏切に出会う。右は下千本、中千本、と書いてある! やった、もうすぐ近くだ。左は踏切を超えて上千本と書いてある。一番上の花矢倉(はなやぐら)という展望台の駐車場を目指しているので、上千本へ向かう。そこには「車両侵入禁止」のバリアも準備されていたが、この時間帯は傍へ退けられていた。確かに朝8時からとそこに書いてある。昨日五條源兵衛で食事をしなかったら、そこでその話にならなかったら、その人たちが親切でなかったら、8時ごろ到着して「なななぜに」と慌てまくったことであろう。

    広い緩やかな坂の両脇には巨大な吉野杉に囲まれていることがうっすら感じられる。ちなみ、ここまでもまだ私の一台きりである。たまになんとなく桜が道路に項垂れているような雰囲気も感じる。しばらく行くとまた細い山道に入った。すると、先の方にテイルランプが見える。2台。一台は自動販売機で飲み物を買っていた。私の車が近づくとすぐにそいつは発進し、細い山道を器用にスイスイ登っていった。あの運転は地元民だろう。私の後ろに、傍にいたもう一台がつく。ヘアピンカーブにはガードレールも何もついていない。どうせ前方にも車は一台だけだし、と焦らず、ゆっくり登る。そして、花矢倉展望台と書かれた立て看板を曲がると、なんとそこはもう車がびっしり!ままままじか〜っっっ! 展望台の先端、もう崖っぷちに僅かに空いていて、そこに止めていいものかどうか危ぶまれたが、注意されたら仕方ないと腹を括り、そこに恐々と駐車した。私の後ろの1台はもうどこにも入れず、仕方なく出ていった。到着5時11分。ここまででも大した冒険とワクワクドキドキであった。もう1日が終わった気がする。

    まだ暗闇の中、少し目を凝らすと、展望台の先端(私の車は先端が船の穂先のように突き出ているとしたら、その左舷に駐車している。先端との間には、宴会用のテーブルの並べられた立ち入り禁止のスペースがあるのだ)には、人が集まっている。様子を見に行くと、三脚を所狭しの並べたカメラマンたちだ(女性含む)。何を撮ろうとしているのだろう。覗き込むと、谷間がぼうっと薄ら白い。ああ、桜か。これが吉野の桜なのか。私は全山桜を想像していたので、谷間にだけ桜が集中していることに少しがっかりした。そんな感想を持ったあたりからものの5分と経たないうちに、背後が明るくなってきた。朝日は背後から登るのだ。ああそれで、朝日を浴びる谷間のファーストライトを撮ろうというのだな。

    徐々に白んでくる中で目を凝らすと私たちの立っている展望台の足元も全部桜。展望台の上も桜。展望台の入り口には見事は枝垂れ桜。左手の山々はほぼ吉野杉の森だ。桜の山である吉野山自体は案外狭いのだが、吉野杉は天川や十津川の方までずっと広がっているらしい。だんだん谷間が見えてきた。遠くにお寺の屋根が見える。金峰山寺だ。私の父方のおじ(父の義兄)は金峰山寺の館長を務め、そのあと三十三間堂の館長を務めている。そんなこともあり、金峰山寺と縁は深いのだ。さらに夜明けが近づいてくると、天候は曇りであることがわかった。花曇りというやつだ。少々残念だが、そもそもこの時期に桜が咲くなんて全く期待していなかったのに全山一気満開という奇跡のような運に恵まれたのだ、文句は言うまい。6時ごろ夜明けとなり、でも曇りなので、夜明けの感動が過ぎ去った後は、あまり変化も感じず、車の中で11時ごろまで仮眠した。8時半ごろ目を覚ますと、あれほどいた車はもうみな出ていってしまっていた。おそらく地元民かここに滞在してシャッターチャンスを狙う人たちが、この日の出の時間だけやってきて、あとは通行止めになる前に山を降りるか宿へ帰るのだろう。

    さて行動開始。中千本まで降りて、食事してお寺を回りながら坂を戻り、時間があればさらに奥へ行くプラン。まずはこの展望台のすぐ右手にある吉野水分(吉野みくまり)神社へ。水分とは、分水嶺のこと。みくまり という発音は、水配り(みずくばり)からきているのではないかと私は考えている。この神社は大変古い作りで、御神殿は三つの社(やしろ)が連なっていて、一段高いところにある。手前には、豊臣秀忠が乗った輿(こし)が奉納されている。高野山で殺害される前に使ったものであろう。ただ置いてあるだけで朽ち果てるに任せてあるのが気になる。舞台演出家としてはこれらの建物の作りや細工、仕組みなどが、脳内財産となるのだ。では歩き出そう。

    なんということのない坂道を少し下ると、大きなヘアピンカーブがあり、そこへ出ると、ワオ、一気に眼下は全て桜。なるほど、展望台からは見えないこちら側が桜なのか。すごいすごい。もうあとは、すごいという単語の羅列だけになるので、書くのさえ省きたくなる。急坂。帰りはこの坂を戻るのかと一瞬不安が過ぎる。でも眺めに夢中。真っ白い八重桜、ぼんぼりのように咲く桜。さくらという発音を「咲良」と書いて読ませる名前を持つ人を知っているが、元々はそれが語源かもしれぬ。上千本のあたりは全て坂だが、中千本エリアは、高野山のように台地状になっているのか、坂はかなり緩やか。茶店も多い。吉野葛の葛餅を紙コップに入れて歩き喰いをするのが流行っているらしい。コロナ禍から通常に戻せとのお達しが出てまだ2週間。お店側は人員確保が間に合わず、まだまだ座って食事をできる準備をしていないところも多い印象だ。1時間歩いて降りてきてもうすぐ12時、お昼時。座れるところは長蛇の列。先に金峯山寺を見てしまうことにした。

    この時期、1年に一度だけ金峰山寺は秘仏である、巨大な青い三体の金剛蔵王大権現(金剛こんごう 蔵王ざおう 大権現だいごんげん)を公開している。これは私も初めて拝見。金峰山寺の巨大な壁面をいっぱいに使った巨大な蔵王権現。日本最大。見開いた眼球は光ってこちらを睨みつけ、ギャっと開いた指が諸悪を滅するエネルギーを放つ。12時から護摩も焚くのでご自由に護摩参拝席へもお越しくださいとのアナウンス。ワオ。ここは山伏の大事な本拠地の一つでもあるので、護摩焚も、それに合わせる音楽も素晴らしい!8拍子で威勢よく、踊り出しそうな気持ちの良いリズムがわずか1台の太鼓で奏でられていく。この秘仏公開は、ただ見るだけでなく、普段は入れない、お坊様専用のエリアに、2〜3名が入れる個室エリアが屏風で設えてあり、そこに入って好きなだけそこで瞑想・祈りをして良いのだ。すごい!これもまた、通常の桜シーズンに入ってしまったら混雑でどうしようもなかったかも知れぬが、今年は本当に恵まれている。宿も交通も予約してこなくてはならない遠方の人たちはほとんどが来週末を目指しているので、地元近辺の日帰り組で、しかも3月最後の金曜なので仕事をしている人たちはまだいないのだ。

    次は南朝宮廷ともなった吉水神社へ。こここそが歌舞伎『義経千本桜』の舞台。「一目千本」と名付けられた展望台がある。中千本のエリアから上千本を正面に見渡せる。あの天辺にある赤い屋根が、今朝いた花矢倉だろう。いやはやこれほどの絶景とは。絶景は確かにたくさんあるのだが、桜という季節ものの絶景は、しかも全山同時満開はこれまでにも滅多になく、本当に奇跡の風景である。義経が静御前と別れた土地。これより先は女人禁制の修験道の土地なので別れざるを得なかったのだ。二人が隠れこもった部屋。弁慶だけがこっそり付き従い、追っ手に向かい、これより先へ入るならば俺と力比べをせよと言い、二本の釘をそこにあった岩に親指だけで食い込ませた。といわれる釘の刺さった岩がある。後醍醐天皇が逃げ延び、ここで本朝を開いた金の部屋。彼は弟によって位を奪われ、追われた。シェイクスピアにも弟によって位を奪われる話は『ハムレット』『お気に召すまま』など、たくさんある。当時でいえば叛逆。今で言えばテロによる政権交代。南朝の方が正統だとする考え方もある。足利尊氏との話し合いで、北と南と交代で天皇を出すことにしましょう、としたのに、約束を保護にしたのは北朝の方だ。後醍醐天皇の評価はいまだに別れる。弁慶の七つ道具、静御前が身につけた鎧、豊臣家の茶道具、もちろん後醍醐天皇の書など、国宝級のものが所狭しと、しかもあっけらかんと展示されている。良いのか?これが追われた者の受ける仕打ちか。複雑な思いを抱きながら、秀吉が花見をしたと言われる庭に出て、北闕門(ほっけつもん)で邪気払いの九字真法(くじしんぽう。これが山伏が「くじをきる」の謂れか!)をやってみた。他の観光客は覗き込むだけであったが、九字を切るのは大変に気持ちが良い。九文字を憶えて家でもやってみたいものだ。再び観光道路に戻り、ランチ。静亭で、一目千本の桜を見ながら、葛うどんと柿の葉寿司と葛餅。そして、上千本へ向けての行の様な登りスタート! ゆっくりゆっくり遂に制覇!花矢倉に戻りました。

    花矢倉に着いた頃、橿原の友人が、こっちにいるなら石舞台の夜桜ライトアップをみませんか?と誘ってくれた。その前に金峯神社に行こうかと、その頃には花矢倉を埋めていたタクシー運転手に行き方を尋ねると、10人くらいで寄ってたかって説明してくれたうえ、金峯神社はまだ咲いてないし、見るものもないし、車は俺たちタクシーでいっぱいになってしまうから駐車場がいっぱいになるかもよ、それに神社まで結構歩くぜ、と言うので、あきらめてそのまま飛鳥へ降りることにした。みんな親切にいろいろ教えてくれて、本当に良い人たちばかりでありがたい。南奈良、大好き。

    石舞台の夜桜は煌々と照る月との競演がこれまた素晴らしかった。一度見てみたいと思っていたものが、こうして一気に叶えられて実に幸せな旅である。

    十津川 あの吊り橋 あの峠 4月1日(土)

    9時起床、11時発で十津川へ。昔、大学生の頃、父が連れてきてくれた頃は、かろうじて当時の小さな日本車が一台通れる程度の幅しかない細い細い山道を何時間もかけて登ったのだが、いまはそうした旧道の脇を太い直線のトンネルで一気に駆け上がれるようになっている。おかげで十津川の名所谷是の吊り橋までわずか40分だ。ただし、十津川村で食べるところがあるか否か不明だったので、大塔村の道の駅で携帯食料(ま、お菓子だね)を仕入れておくが、到着してみると、吊り橋先に蕎麦屋があり、ちょうど駐車場も1台分あいたところだったので食事にする。ランチは量が多いと思ったが、ざるそば、おあげ、きのこの炊き込みご飯とペロリと平らげた。添加物なしの自然のなかで自然に育てられた素材で丁寧な料理。本来食事はこうあるべし

    谷瀬の吊り橋。テレビ番組で紹介されて有名になってしまい、大勢が訪れるようになって、かなり頑強になったが、初めて父に連れてきてもらった時は、吊り橋の底板は、電車の線路のように横木で繋がっていた。その木の板の幅は20センチくらい。渡し幅は1メートルくらいと記憶している。一人ずつしか渡れない幅だ。しかも横木と横木の間がこれまた10センチほど空いていて、ガタガタしている。10センチなら足が落ちるはずはないのだが、そこからはるか眼下に十津川が轟々と音を立てて飛沫をあげて流れている。父がさっさと歩いて行く後ろが私は川の真上で足がすくみ、もう二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなって、揺れる吊り橋の縄に捕まっているのがやっと。命の危険を憶えたわけではないが、前にも後ろにも足が一歩も進まないというのはこういうことか、体験した出来事であった。そんな私の横をテケテケテケと音がしたかと思うと小さなバイクが通り過ぎていった。は?。。。バイクが大丈夫なんだよ。それにパパももう向こうへ渡り終わりかけている。大丈夫なはずだ。一呼吸すると足が動いた。そして無事に向こう岸へ渡り、帰りはウキウキと帰ってきたのだった。今の橋は横木ではなく、一間(いっけん)の長さの板が縦方向(つまり進行方向)を向いて、4枚並べて幅をとっている。向こうから来るのに2枚、こちらから行くのに2枚使えるわけだ。相変わらず橋には「一度に20人まで」のサインはあり、橋の手前と向こう岸には監視の人がいてくれる。橋の下にも網がある。そして上流にダムができたおかげで川の水量は減り、眼下の川は浅く澄んで、広い河畔では何台も車がとまり、テントを張り、今流行りのマイカーキャンピングをしているのが見える。吊り橋の上からだと川辺の人は5ミリくらいの大きさだ。

    吊り橋を渡ったところに黒木御所(くろき ごしょ)跡という広場がある。後醍醐天皇の皇子、大塔宮(だいとう の みや)護良(もりよし)親王が逃げのびてきたところだ。その後500年後に天誅組もここに縁を得て決戦の場とした。奈良県知事が今年の春の選挙で日本維新の会から選ばれたが、そもそも明治維新を起こした最初の土地が五條だったことを思うと、「維新」という単語に夢とロマンと理想を感じる土地柄なのであろう。ちなみに天誅組になぜ十津川の武士(農民)たちが大勢参加したかというと、はるか伝説の時代、神武天皇の東征を十津川の村民がお守りしたからなのである。つまり日本の古代天皇がここに到着するのを助け、天下を取るのを支えたという自負心の非常に強い、天皇のための俺たちという気持ちを持っている。それで、江戸幕府を倒して天皇の時代の再来のときが来たと天誅組に参加したのだ。私の父は選挙活動で奈良を見てきたので、この話も父から聞いて、十津川村の人がこれほどの山奥から五條市まで降りてきて天誅組に参加した謎がやっと解けた。

    黒木御所の後は、果無(はてなし)集落へ向かう。ここもテレビ番組で紹介されて有名になったところだ。私も存在は知っていたが地理的にも認識しておらず、今回はたまたま、十津川の村営ウェブサイトで、枝垂れ桜が満開で見事、と紹介されたので行ってみた。またも、え、この道であってる?と思いながら、ヘアピンカーブをぐんぐん登る。滝が落ちている清涼な場所のすぐ上に、このさき、駐車場ありません、と立札があり、そこに一台停められそうなスペースになっていたので、停める。ちょうど犬の散歩にきた車も停めていたので大丈夫であろう。行ってみると、あ、テレビ番組で見た、あそこか、とわかった。ここは十津川の山々の一つの山のてっぺんにある台地で、背後の丘を超えるともう和歌山。熊野への行き来に使う熊野古道のてっぺんなのだ。今まで四方を山に囲まれていたので、山々をみはるかして深呼吸がしたくなる。こうした思いや感覚は演技にも演出にも活かせるのだ。枝垂れ桜は見事であった。湧水を貯める水瓶には巨大な鯉が赤と黒と二尾も泳いでいた。

    途中の道に設置してある木の樽はミツバチ用だ。十津川村の道の駅で、そのハチミツを買うことができる。この道は16時までしか通り抜けできない。なぜなら、一般農民のお家の庭先を通る仕組みになっているから、16時以降はプライベートとなる約束なのだ。古い熊野古道を行く人にお茶を出したり宿を提供したりした、この古道と同じくらい古い家なのであろう。十津川にはまだまだ面白いところがたくさんあるようだ。だが、急峻な山は日暮れが早い。暗い中、あの山道は景色も見られないしただ緊張するだけなので、ここで切り上げて山を降りる。ちょうど五條市の平野部に入ったところで日が落ちた。

    大神神社 国宝十一面観音 たこ焼き 4月2日(日)

    今日は東京へ帰る。飛行機は関西空港から18時半なので17時ごろ車を返却するつもりで動く。五條市の旧家見学で、父が世話になった木村篤太郎の生家をみる。蔵の宿「やなせ屋」の目の前に古着和服の店が空いていたので帯を買う。初日に見つけた「鶴萬々堂」の鮎餅やお煎餅をおみやげにたくさん買っておく。父も建設とバス路線への計画変更に関わったという鉄道の跡地を見る

    天誅組の最初の(そして最後の)成功行動となった、五条の代官の首をとった、代官所後が、天誅組博物館になっている。いろいろわかる。庭では肉体派のおっちゃんたちが花見バーベキューをしていた。いいのか?いいのだな?いい町だな。

    今日は三輪神社とその側の国宝十一面観音像のある聖林寺に行きたいので、高速道路近くまで行き、イタリアンを食べる。

    久しぶりのお正月以外の三輪神社へ。参道がさらに整備工事中。人が多くて驚いた。それでもお正月よりも静かで参道の梢のざわめきや澄んだ空気に、初めて訪れた時のような神々しさを感じる。そういえば拝殿の奥にあるという独特の三輪鳥居を見てみたいと思い右手裏に出たら、神宝神社という末社があった。もちろん金運財宝の神です。梢の囁きが未来を約束してくださったぞよ。鳥居は見えない様になっている。ウェブサイトによると、年に数回、特別なツアーがあって神主さんが解説してくれるそうな。私の父は、もちろん行ったことがある、と言っていた。

    そして、車でないと行けない聖林寺へ。三輪神社の麓のお寺にあった国宝十一面観音像、フェノロサが感動した像、あれを拝観。フェノロサのギフトである厨子があったのだが、見損ねた。観音像自体は、部屋自体が巨大な鉄製の金庫仕様になっているところに収められていて、ゆっくり明るく眺めることができた。それにしてもフェノロサが誉めなかったら国宝になっていただろうか? なんでも外人が褒めれば国宝になる。さもなければ明治の廃仏毀釈で簡単に捨てられていたはずなんだ。と複雑な思い。

    16時に飛鳥を出発、17時に関空到着、車返却。たこ焼きを食べて羽田に戻り、今回の花の五條吉野飛鳥十津川の旅は完了しました。人と天気と運に恵まれた旅であった。

  • 演劇的ブログ未掲載イベントを振り返る

    2022年度も終わり、明後日から2023年度が始まりますね。三輪えり花のブログが馬だけになっているので、ちゃんと表現活動しているのを発信しますよ〜。

    アイルランド情報続々

    2022年の12月にアイルランドのお芝居を上演したことはご存知かと思います。ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。コロナ禍で、同じ国際演劇協会日本センター主催公演がひとつまるまる上演不可能になったこともあり、最後まで心配でしたが、無事に閉幕いたしました。本当に皆様のおかげです。

    で、アイルランドに視察に行ったときの動画もブログもたくさん残っているのですが、10月の帰国後はリハーサルでてんやわんや、本番後は後始末でてんやわんや、2月は税金でてんやわんや、と言った具合でまだまだ残っております。順次発表していきますので、楽しみにお待ちくださいね。

    先にすでに発表している分をご案内します。

    上記動画の次の日のツアーのブログ
    https://elicamiwa.com/blog/2023/02/26/travel-ireland-6-wild-atlantic-way-cliffs-of-moher/

    年明け

    2023年年明けて、例年通り、奈良(飛鳥)にある、私の守り神、三輪神社へ初詣。今年は他に橿原神宮、石上(いそのかみ)神宮、興福寺(猿沢池)へ。石上神宮はたしか珍しい鶏たちがいるのだ。彼らは飛ぶ。騒ぐ。喧嘩する。めちゃくちゃ強い。そして飛鳥時代から崇拝されている。


    節分で一念発起

    2月3日の節分には、一念発起して、和の素養を学ぶことにしました!これまで洋風のものはいろいろ手を出したり学んだりしましたが、和に関しては本当に疎く、そこが三輪えり花のネックだったのです。防衛庁裏にある、和の芸事を、日舞・書道・茶道・華道・お箏・三味線、とすべて好きなだけ好きな時に学べる方式で教えている、麗扇会という素晴らしいところがありまして、そこで日舞と書道を始めました。書道はコロナ禍直前に始めましたが、コロナ禍でバタバタしてしまったので仕切り直しです。和に関してはしきたりもなにもまったくわからない外国人と同じ状態なので、外国人にも教えているここは懇切丁寧で助かります。

    痛みが魔法の様に消えたのは…

    2月7日は誕生日でした。

    その後、なぜか身体中の骨が痛くなってしまい、体全体がぎっくり腰のような症状で、押しても伸ばしても痛い、いや、それすらできず、一つの姿勢から別の姿勢に移るとき、全身を庇いながら、ギシギシと音を立てるような背骨や腰骨や首を抱えて、弱り果てました。口内炎も多数できてきたので、せめて口内炎だけでもなんとかしようと、ビタミンBを摂りました。アリナミンEX Plus です。そして痛みに耐えかねて横になっていると、あらあらまぁ! 背中の骨が一個ずつなんだか柔らかくなってふわっと落ちていく様な感覚に襲われまして、痛みが嘘の様に消えました。不思議に思って、アリナミンについて調べてみると、ホームページに、体内のめぐりを改善するビタミンBの威力が書いてあり、納得しました。いや〜、年だな、寝ているうちのぎっくり腰か、と思っていたのが、ただのビタミン不足! ビタミンすごい。

    あれこれ

    そうこうしている間、3月にルーサーさんのリサイタルで歌わせていただく2曲を練習したり、参加している各種部会・理事会のZOOM会議・会合があったり。

    レッスン生が無事に合格

    そうそう、レッスン生が今年も立派な劇団研修所に合格しました。異なるジャンルから台詞劇がメインのところへの希望だったので、心配しましたが、一年かけてじっくり英国の演技術を学び、素晴らしい成績を残しました。これから研修所でますます輝く成長ぶりを期待しています!

    通訳

    私の今を作ってくれた、Royal Academy of Dramatic Art の元校長 Nicholas Barter (ニックさん)がコロナ禍開けで来日! 有志がなにかワークショップを、と企画し、私が通訳をすることになりました。都内のおしゃれな大学のビジネス系大学院で、私の友人の俳優が教えている「芸術鑑賞」のクラスの学生たちです。このクラス、鑑賞というよりも、自分たちで作品作りをするのがメインという、とっても演劇意識の高い学生たちを育てていて、ワークショップはとても面白かった。私は久しぶりの通訳だったので、うまくできるかかなり心配していましたが、無事に務めを果たすことができました。ビジネス系の人たちは、私も明治大学で教えていますが、経営者たちが演劇を通じて相手を理解するコミュニケーションを身につけていくのはとても大切だと思います。

    この数日後に、ニックさんと、RADAを日本に呼ぶ元の一つとなった、演出家の吉岩正晴さんと、モーニングカフェをしました。二人がいなかったら今の私はありません。本当に感謝しています、とお伝えすると、「あなたがいなかったら、私はワークショップができませんでしたし、これほど長く続けることもできませんでした。お互い様です」とおっしゃる。この日、私の劇団昴のボスもそうおっしゃってくれたが、3人とも、本当に人格のできた人たちです。ありがとうございます。

    歌いました

    3月12日は、Luther ヒロシ市村のリサイタルでした。モーツァルトのオペラ『魔笛』からパミーナとパパゲーノのデュエットをやらないかと持ちかけてくださり、それを歌いました。また、別のオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』のドラベッラのひとつめのアリアも歌いました。少しずつ上達していくのが嬉しい。つまり、自分でどこが今の課題なのかが掴めるようになってきたのです。このリサイタルのあとのレッスンでは、本番でできたところ、できなかったところ、改善点を復習しました。次は『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」に挑戦します。わ〜。


    新しいレッスン生

    新しいレッスン生も増えました。バレエの演技表現をやりたくて、とネットで検索してくださった方。『シェイクスピアの演技術』を図書館で手に取り、これは買うヤツだ、と買って下さった挙句に、これを習いたい!と連絡を下さった方。などなど。演劇は本当に面白い。

    以上、こんなことがこの3ヶ月の間にありました。海外から企画も持ち上がっているので、新年度も楽しくなりそうです。この先の三輪えり花の活動にもご期待ください。演劇好きの皆さんがワクワクする様な企画をお届けしていきます。

    Laugh, Love, Live!
    ELICA MIWA