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  • アイルランド50代女一人旅 9:レディ・グレゴリーというすごい人

    アイルランド50代女一人旅 9:レディ・グレゴリーというすごい人

    Carrygerry Country House という素晴らしい宿をチェックアウトし、レディ・グレゴリーが結婚してからの一生を過ごしたところへ向かい、彼女の戯曲の世界の風景を探します。


    Carrygerry Country House についてはこちらの記事

    アイルランド50代女一人旅8:上流階級のひととき

    レディ・グレゴリーとは

    Isabella Augusta, Lady Gregory
    オーガスタは1852年にアイルランド国ゴールウェイ郡のロクスバラ Roxborough の裕福な家庭に生まれ、生粋のアイルランド人で、英語とは全く違う言語であるアイルランド語(アイリッシュ)話者の乳母に育てられます。

    その後、セイロン総督を退任して帰国したサー・ウィリアム・ヘンリー・グレゴリーと結婚。二人はロンドンの社交会によく顔を出し、グレゴリーは若いアイルランドの芸術家、文筆家らを支援します。

    アイリッシュの乳母の影響で、オーガスタ自身はイングランドの影響を受ける前のアイリッシュ言語文化に興味をもち、昔話を掘り起こしたり、古来の暮らしを研究したりしました。

    そして、イングランドからの精神的独立は芸術の独立から始まるとして、ダブリンにアビイ劇場を設立します。

    それまで演劇芸術は、上流階級のもの、つまりイングランド系貴族のものとされ、アイルランドで上演されるものも全てイングランド系の人々のための娯楽でした。

    オーガスタはそれを変えようとしてWBイエイツらと共に「アイルランド人による、アイルランド人のための、アイルランドの演劇」(つまり新作)を上演する専用の劇場を作ったのです。そこから多くの劇作家を輩出しました。


    彼女は資金援助しただけのように思われがちですが、演劇はイングランド系の上流階級の者だとして劇場へ足を運びそうになかった労働者階級のアイリッシュたちを呼び込むため、彼らのための作品をたくさん書き、次々と上演しました。それらはアイリッシュの農民たちの日々の暮らしをユーモアで暖かくくるみ、彼らが我が事として喜び、楽しみ、共感できるものばかりでした。そのうえ、劇場に座るという習慣のなかった彼らのために、どれも30分程度で観られるものばかりだったのです。それらが功を奏し、アベイ劇場は当初から大入満員で、アイルランドに演劇を根付かせたのです。

    (アイルランド人劇作家といえば、古くは18世紀のオリヴァー・ゴールドスミス、19世紀のオスカー・ワイルドが有名ですが、彼らはロンドンの社交会のために戯曲を書きました。)

    なぜ私はレディ・グレゴリーを知らなかったのか?

    と、いうことをですね、私は、今回、初めて知ったのです。無知でした・・・。

    2022年の12月に、国際演劇協会(UNESCO傘下の世界的団体)日本センターとしてプーチン禍においてなにか上演しなくては、との思いに駆られ、そういえばアイルランドもイングランドとの長年の被支配と搾取の歴史でウクライナとロシアの関係と似ているな、と思いいたり、何か過去に遡ってまだ日本で発掘されていないものはないかと探していてレディ・グレゴリーに行き当たったのでした。

    イエイツやシング、オケイシーやベケットの名前はある程度演劇に馴染んだ日本人なら知っているかもしれませんが、グレゴリー夫人の名は、どれほどの人が知っているかしら? 大学研究者たちも劇評価たちも男性が多いので、つい男性劇作家に目が行ってしまうのでは?

    この人を知っている?とアイルランド在住のアイルランド演劇の専門家に聞くと、初めて「レディ・グレゴリーはアイルランド演劇のルネサンスを作った人だよ。アイルランド演劇の母とも言われる」と聞くことができたのでした。

    レディ・グレゴリーの土地を巡る というブログ記事では彼女の生家、救貧院、農地の暮らしなどを観てまわりました。今回は、結婚後の彼女の暮らし、アイルランド演劇の母となって行った過程をみていきましょう。

    エニス Ennis

    シャノン川より西側の幹線道路を北上してエニス Ennis へ向かいます。時間があればリムリックに戻って、アイルランドの昔ながらの暮らしが体験型でわかる Bunratty Folk Park へ行きたいのも山々なのですが、昔ながらの農家はInishmoreで見られそうなのと、そこに寄っていたらメインの目的であるグレゴリーさんの足跡(そくせき)を追うのが疎かになってしまう時間になるので、割愛。

    途中、Clare Abbey を通り抜けました。屋根部分がね、落ちてしまっているのは残念です。
    in courtesy of map&photo by Google Map

    こうしたものもアレですかね、イギリスとの宗教戦争でやられたのでしょうか。アイルランドは第二次世界大戦には参加していないので、爆撃でやられたはずはないし。

    エニスの街に入ります。見どころは エニス修道院(跡)
    時間もないので、残念ですが外から見るだけで済ませました。(入場料あり)
    in courtesy of Map&photo by Google Map

    Coole Park

    Ennis を通過したらいよいよクールパーク Coole Park へ向かいます。これこそ、レディ・グレゴリーが結婚してから亡くなるまでざっと愛して住んでいた屋敷。その広大な屋敷を彼女は亡くなる際にアイルランド国に寄付し、それ故ここは公園となったのです。住んでいた屋敷は取り壊され、当時の厩舎が今、受付と博物館になっています。(どんだけ広い厩舎!!)

    この公園は、基本的には、自然公園 nature reserve なので、自然観察と散策をするところです。ですが、私はLady Gregory の人生について知りたかったので、受付で、「数ヶ月後に、日本でレディ・グレゴリーの作品を上演します。それで彼女がどんな人でどんな活動をしていたのか、調べているのです」と言うと、ものすごく喜んでくれて、レディ・グレゴリーの博物館エリアがあるから、ぜひ、と案内してくれました。

    彼女が生まれたのは19世紀の半ば。このお屋敷は彼女が嫁いできた先のものです。お屋敷自体は1770年からあるのです!
    写真の技術が生まれた19世紀後半からの、当時の貴族の庭遊びの様子が色褪せた写真パネルとして展示されています。私は19世紀の文学が大好きなので、ワクワクします。私はたしかにイギリスに住んでいましたし、一般公開されている貴族のお城や邸宅や庭をかなり訪れましたが、どちらかというと室内の展示がメインで、庭で遊ぶ子どもたちや庭師の様子などは今回、初めて見た気がします(たとえ写真でも)。


    彼女の胸像ですね。


    これは夫のSir William Gregory.  この時代はアイルランドはまだバリバリ大英帝国の植民地で・・・いえイギリス側はアイルランドを「植民地」とは捉えていなかったかもしれません。多くの裕福なアイルランド人はロンドンの社交界に出入りしていましたし。このサー・グレゴリーは、大英帝国の植民地そのものであったセイロン(インド洋)の総督を長く務めました。彼は退役してアイルランドに帰国してから、若いオーガスタ(レディ・グレゴリーの名前)に出会ったのです。かなりの年の差婚でしたが、二人ともとても仲が良かったとのことです。(オーガスタ28歳、ウィリアム63歳)


    子供部屋。
    真っ黒い鉄製の柵は19世紀英国の特徴です。暖炉や外履き、寝巻きを壁にフック掛けしていたことなどがわかりますね。

    貴族の女主人が私邸で開く文芸サロンが大流行りのロンドン社交界でレディ・グレゴリーも活躍します。そこに現は、劇作家ウィリアム・バトラー・イエイツ、詩人ロード・テニスン、溺れるオフィーリアの絵で有名なジョン・エヴェレット・ミレー、小説家ジェームズ・ジョイス、劇作家ジョン・ミリントン・シンジ、ジョージ・バーナード・ショー、ショーン・オケーシーらがいました。ことに若い劇作家は彼女の紹介で社交界にデビューできたおかげで注目を浴び、世界的有名人になったりしたのです。

    バーナード・ショーはこの屋敷にしょっちゅう来ていたひとりで、売り出され始めた映写機で自分が冗談を子供達に言っているところを動画に撮影したりしていました。

    彼女の書斎を再現。壁紙、カーテン、背後の鏡、ギリシャ風彫刻、ランプ、壺、と19世紀英国貴族の書斎そのものです。テーブルの上には実際に使ったものたち。彼女の眼鏡!

    彼女は知人の署名を集めるのが趣味で、扇がサイン帳の代わりでした。錚々たる名前が連なっています。図解が並んでいて、誰のサインなのかわかるようになっています。
    ヘンリー・ジェームズ、トマス・ハーディ、もちろんジョージ・バーナード・ショー、JMシング、ショーン・オケイシー、WBイエイツ。『ジャングルブック』のキプリングの名前も見えます。
    それにアメリカから、『トム・ソーヤー』を書いたマーク・トウェイン、大統領のセオドア・ルーズベルト!
    また演劇界で世界中を称賛の嵐に巻き込んだ大女優エレン・テリーも。
    ものすごい交友録ですね。私も扇に名前を書いてもらおうかな。(将来の大物に期待して)


    森にも、サイン帳代わりの大木が! 成長してしまって掘られたサインはもうほとんどわからなくなっているのですが、オスカー・ワイルドの名前も見えるそうです。この木だと思うんだけど・・・。 まだかろうじて字が読めるときにレプリカを作成したせいで、写真右がそれです。

    博物館でいろいろな思いに浸って、出てくると、さっきの受付の人が、特別にレディ・グレゴリーについての記録映像を見せてあげると、言ってくださり、まあ、お茶でも飲みながら、とミルクティーまで用意してくれて、映写室を私のために開けてくれて、レディ・グレゴリーについての映像を見せてくれました。なんて素晴らしい人たち!ありがとうございます!!

    さらに、日本では手に入らなかった情報をくれました。

    なんと、この近くに、レディ・グレゴリー博物館があると言うのです。このクール・パークとは別に、レディ・グレゴリーのものだけを集めた博物館だから、ぜひ行ってみるといい、とのこと。

    というわけで、そこへ向かいました。グレゴリーのネットワークは強く早く、そこに到着した時にはクールパークから管理人に連絡が入っていて、よく来たよく来たと迎えてくれます。


    中はグレゴリー関連のものがぎっしり!

    レディ・グレゴリーは、アイルランドの本来の言葉である「アイルランド語」という、英語とは全く異なる言語を使う乳母に育てられました。そのため、早い時期からアイルランド語に興味を持っていたのです。大英帝国の植民地としてのアイルランドとイングランドを行き来し、このゴールウェイ州あたりのジャガイモ飢饉でアイルランド人が苦しむ姿や、救貧院を頻繁に訪れるうちに、アイルランド人はアイルランド語を取り戻すべきと考え、アイルランド語をアイルランド人に教える学校を自費で建てたのです。この博物館はその学校の建物を活用しています。

    当時の学校の様子がわかる展示室も。

    Lady Gregory はアイルランド演劇の基礎を築いた人なので、もちろんアイルランドの文学史・文芸史、女性史の中では欠かせない人物です。が、彼女が誕生に手を貸したアイルランドの男性劇作家たちの方が知名度が高く、彼女は半ば「ただの金持ちの演劇好き」程度と、あまりその真価を認めてこられなかった気がします。理由の一つは歴史を語ってきた人たちが男性であったことから、「女性」で「金持ち」の彼女よりも、「貧しいところから這い上がってきた男性作家」たちを、男性批評家や男性歴史家が注目したせいでしょう。ああ、文章が女性の手によって書かれてきたのなら、歴史はどれほどもっと豊かに女性の才能で彩られて描かれることでしょう!と、レディ・グレゴリーについて調べながら、世界の歴史が男性によって記述されてきたことに改めて思いを馳せるのでございます。

    最後に、この博物館の館主さんが、グレゴリーの手記を見せてくれました。このコロナ禍直前の2019年にニューヨークでグレゴリー特集の展覧会が開かれまして、それによると、イエイツのヒット作の多くは、彼女が一人で書いたものだとか。女性の名前では売れないので男性であるイエイツが書いたことにしようとなったそうな。イエイツ自身もそれを黙っていたので、いまだにそれらはイエイツ作となっています。どの作品がどれで、などのさらなる研究が待たれます。
    この博覧会についてのオンライン公開は英語で見ることができます。

    全て私一人で書いたもの

    さて、グレゴリーの絆はさらに紡がれていき、この博物館の館主さんは、「トール・ベリリーは行く予定? イエイツが家族で住んでいた古いお城。ぜひ行ってみて。連絡しとくから」

    というわけで、そちらへ向かいます。
    つづく・・・

  • アイルランド50代女一人旅 8: 上流階級のひととき

    アイルランド50代女一人旅 8: 上流階級のひととき

    前回の日記で、Carrygerry Country House について独立記事にしますと申しました。ここではその素晴らしいカントリーハウスをご紹介します。もうぜひぜひぜひぜひ訪ねてほしい。その際に守るべきマナーなどもお伝えしますから、アイルランド上流社会の生活をミニ体験してください。

    Carrygerry Country House キャリジェリ・カントリーハウス。
    アイルランドを縦に流れる、ブリテン島全体の中でも最大の川、シャノン川の河口近く、シャノン国際空港のすぐそばにあります。
    シャノン国際空港は、ヨーロッパ便がありますので、ヨーロッパとの行き来にはとても便利。でも日本から向かうには、やはりダブリン経由、バスまたは列車で向かうのが良さそうです。

    1793年建築の屋敷。正面からの全景。左のガラス張りの建物は、昔の温室で、今はダイニングルームとして使われています。夜はキラキラと、朝は燦々と陽が入り、とても気持ちよく食事ができます。

    リムリックからの美しい道路をぐんぐん西へ進み、田舎の一本道になって、ついにCarrygerry Country House 以外へは到達しない道に入ります。つまり、この邸宅へ向かうためだけの道です。わお。

    少し不安になりながら木々の間を抜けていくと、突然風景が開け、この屋敷が現れました。小説か。

    屋敷の前に数台の車が停まっていたので、ここが駐車場だろうと車を停めて外へ出ると・・・

    えっ、あれはなんですか?
    馬ですね? 馬です。馬です!! 馬ですっ!!!

    動画日記も君管(YouTube)にあげる予定ですが、興味津々の仲良し二人組くんたち、すぐに私の方へ寄ってきてくれて、ふがふがしています。もちろん、初めて出会う馬には手を出しません。危険すぎる。

    興奮していると、女主人が出迎えに出てきてくれました。

    私の部屋は、3階の向かって左側の角部屋です。
    ただし、イギリス式だと日本の1階は「地階 Ground Floor」、2階を「1階」と数えますので、イギリス式だとここは2階ということになります。
    また、イギリスの邸宅(少なくとも19世紀まで)は、地階の天井が最も高く、上階に行くに連れ、天井高が低くなるように設計されています。地面から見上げた時の遠近法で巨大な屋敷にみえるように、ですね。
    そんなわけですから、3階のこの部屋は、行ってみれば「屋根裏」でもあるわけで、天井は高くありません。屋根は傾斜していますから、昔は格の高い部屋ではなかったはずです。が、宿の主人は、「実際はこの家の中で最も良い部屋」と言っていました。

    たしかに、角部屋ゆえ、窓が二方向に三つあり、とても気持ちが良い!

    大きな重いスーツケースを一緒に運んでくれました。ええ、エレベーターなんかありませんとも。19世紀ですから。

    この部屋が最高なのがわかりました。
    ベッドです。Four poster bed (フォー・ポスター・ベッド。柱が四隅に立っている豪華なベッドのこと)。本来はここ全体にカーテンを張り、プライバシーと温かさを確保したのです。

    ちなみに、four poster bed で有名なのは、チャールズ・ディケンズが書いた『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージ。彼はこの種類のベッドで寝ています。クリスマスの3番目の精霊は、スクルージがベッドに横たわっている未来を彼に見せます。彼の洗濯女が「カーテンまでひっぺがしてきた」というセリフがありますが、それがfour poster bed のカーテンのこと最後にスクルージが第三の精霊に命乞いをしてその足元にしがみついて「改心します」と泣き叫びながら、気がつくと、ベッドの柱にしがみついていた、というのが、この柱です。スクルージはケチだけどなぜか家具は良いのを持っていたんですね。
    ・・・劇団昴で上演があったとき、大道具が凝ってしっかりしたfour poster bed を作っていました。上演後、誰か要りませんか?と問い合わせがあり、とっても欲しかったけれど、断念しました。

    この部屋の一番奥にある出入り口は、洗面所・トイレ・お風呂場へのもの。
    手前の開口部は、ウォーキング・クロゼットとドレッサーのある部屋です。私は荷物をここへ入れました。

    一晩だけなんて勿体ない!
    しかもGalway で宿をとるよりずっとずっと安価なのです。

    お部屋にはお嬢さんが、紅茶を持ってきてくれました。ポットの紅茶と、チョコレートブラウニー。それを窓辺でいただきながら、眼下の草原を馬が楽しげに駆け回っているのを眺めます。遠くには川、そして空港をたまに離陸する飛行機。音はほとんど聞こえません。なんて素晴らしい場所なのだ!

    お茶を終え、夕日が沈むのを眺めたら(アイルランドの西にある街ですから)、今回の旅のこの夕食のためだけに持ってきたキレイ目のワンピースとピンヒールを履いて、階下へ。

    夕食の準備ができるまで、食前酒(ノンアルコールももちろんあります)を楽しみながら、暖炉前で待ちます。こんな場所です。

    ガラステーブルの下には、この屋敷の模型が飾ってあります。
    暖炉の上の棚を「マントルピース」と言います。欧米翻訳物のお芝居には欠かせない場所ですね。
    暖炉の中には、タイルのパネルのようなものが置いてありますね。これも欧米翻訳物の上演では良く登場する置き道具です。ファイヤ・シールドとか、ファイヤ・スクリーンと呼ばれ、暖炉に火入れをしない季節に、つまらない灰の火床が見えないよう、おしゃれなスクリーンを置くのです。

    このお写真は典型的な19世紀の居間ですね。ピアノもあって。このまま舞台装置に使えそうです。

    同じ居間の入り口側の窓です。窓際のソファも素敵ですね。

    では、お夕食!

    上記、最初の写真でお見せした温室の中で、広いお庭を眺めながら食事です。自家製のパン、自家製のバター、自家製のジャム。キャンドルライト。いいですね〜。

    スターターには。自家製のチキンパテ。自家製のジェリー添え。ここらで採れた新鮮野菜。アイルランドの郊外はなにもかも「自家製」「近所の野菜」「近所のお肉」。添加物なしの新鮮なものばかり。

    メインはサーモンを選びました。なのに!巨大なキングサーモンのフィレが2枚、さらにスズキのフィレが2枚、そして大粒のホタテが三つ。爽やかなクリームソースでいただきます。なにこれ、美味しい。
    そして奥のお皿に山盛りの、にんじん、ポテト、ブロッコリ。
    そうそう、ヨーロッパのディナーは、こうなのよ、思い出した。

    デザートまでとても入らなかったので、他の人たちが食べているのを眺めました。

    では、おやすみなさい。

    翌朝:朝靄煙る牧草地。早起きの馬が朝ごはん中。

    アイリッシュブレックファスト、参りましょう!

    アイルランドにいて「イングリッシュ」という単語を使うのが非常に気が引けるのですが、イングリッシュカルチャーの中にいる、と言う意味で、使わせてください。

    朝食はイングリッシュ・ブレックファスト系。コーヒー、オレンジジュース、卵料理と肉料理とパンです。

    イングリッシュ・ブレックファストは、卵料理はお好み(目玉焼きかスクランブル)、ソーセージ、ベーコン、焼きトマト、焼きマッシュルーム、薄っぺらのトースト。や、焼きトマト? はい、考え方としては、朝の忙しい時に、オーブンに突っ込んでおけば一斉にできるもの、というコンセプトだと思ってください。なので、トマトも半分に切ってオーブンに入れちゃってるわけです。

    庶民的な朝食は、これほど豪勢ではなく、「ビーンズ」と言う、トマトソース煮の大豆をトーストにかけて、べちゃべちゃにして食べます。

    アイリッシュ・ブレックファストもほぼ同じでしたが、トーストではなく、自家製パンかブリオッシュという感じ。もちろんトーストをオーダーすることもできます。この屋敷では、各種紅茶、リンゴジュース、ミルク、各種シリアルとヨーロッパ大陸スタイルの「コンチネンタル・ブレックファスト」を付けるのもお好みで。

    ちなみに、スコットランドのスコティッシュ・ブレックファストは、ソーセージが、スコットランド名物の「プディング」に代わります。プディング?え、プリン? ごめんなさいねー、血で混ぜたソーセージのことでね、真っ黒い臭みのあるソーセージのことなのだ。この屋敷のブレックファストも、お皿の上のほうにある丸いスライスが、それに近い感じです

    出発前にもう少し屋敷内のお部屋を見てまわりましょう。

    上記、最初の写真は、入り口すぐの廊下。宿長が右手にあり、左手は、この宿特製のジャムなどを販売しています。階段はこの奥にあり、そこから部屋へ登ります。

    2枚目と3枚目の縦長の写真は、この宿のグレードを証明する賞の数々。2019年にアイリッシュ・ブレックファスト賞と三つ星ホテルを獲得しています。

    4枚目の大きな写真は、スモーキングルームまたは居間ですね。居間がいっぱいのときや、グループで訪れたときなどはこちらの部屋でちょっとしたミーティングが開けるようになっています。アイリッシュフィドルと歌の演奏なども楽しめそうですね!

    のんびりして10時に荷造り、10時半チェックアウト。女主人と話したり写真を撮ったりして1050に出発しました。素晴らしい滞在をありがとうございます。本当に良い場所でした。本当に大当たり!おすすめです。宿のご主人とパチリ。

  • アイルランド50代女一人旅 7: レディ・グレゴリーの土地を回る

    2022年10月7日、アイルランド国の西側、ゴールウェイ州。12月に上演する100年前のお芝居の作者レディ・グレゴリーの生きた土地をレンタカーで巡ります。
    限られた時間でお芝居関連の土地を効率よく回るため、台本と地図とレディ・グレゴリー情報と睨めっこしながら、回る順序を練りに練って予定を立てました。

    地図でお見せしますね。まずはアイルランドの位置。
    イギリスの左となりですね。さらに左は大西洋で、その先はアメリカです。
    そして私の今回の旅は、2022年12月に上演するお芝居の作者レディ・グレゴリーの関連土地を巡ります。それは、アイルランドの西側、ゴールウェイ郡とクレア郡にまたがっています。(郡ではなく、県とか州と考える場合もある。よくわからぬ。英語では County Clare, County Galway)

    そして本日の旅程
    Galway → Ardrahan → Rathbaum Farm → Skehanagh → Isser Kelly → Rosborough House → Portumna Castle → Portumna Workhouse → Limrick → Shannon

    昨夜は嵐で、モヘーの断崖から荒れた海を見て、この海をイニシュモアへ船で渡るのかと思うとゾッとして、渡らないのはともかくとして、渡ってから帰れなくなったらどうしよう、と考えて眠れなかった。経験者のブログを読むと、昨日のモヘーの港からの船は出ないことも多いが、ラッサヴェールの港からは大きな船だから滅多なことでは取りやめにならない、とのこと。だから、フェリーがたくさん出るのは九月までなのだな。旅会社の載せている写真は年に数日しか無い一瞬なのでは無いか。昨日、モヘーのドライバーも、ここは強風と湿気で何も見えないことも多いけど、今日は良い方だったと言っていた。そんなことを取り止めもなく、窓を叩く嵐を聴きながらうとうとするのみの夜であった。

    なんとも寝付けないまま朝になり、7時に床を置き出して、荷造り。8時半にチェックアウト。9時から借りるバジェットレンタルに行ってみたら当然ながらまだ閉まっている。寒いし、25分もあるので、またホテルのロビーに戻り、待つ。

    お腹が空いてる。日本で朝にお腹が空くことはないのだが。普段より2倍長い飛行機乗り継ぎで、動かないままの食べ過ぎで胃が大きくなっちゃったんだと思う。もうチップスはやめておこう(笑)。

    車を借りる時、予約はしてあったが支払いはここで。いろいろ保険は付けて、2日間で3万円くらい。マニュアルの普通車でこれは、かなり高い。係員は日本が好きらしく、桜並木を観たいと言っていた。ところでこの事務所はエア広場の並びにある。バス停から進んで来る信号の角。この狭いところのどこにクルマがあるのかと思ったら、ツアーバスなどが並ぶ例のMerchants Rd  をずっと行った先の左手に大きな駐車場エリアがあり、そこに置いてあるとのこと。駐車場に入るための磁気カードを受け取り、その磁気カードで退出する。なるほど。セキュリティと出庫時の無料手続き違う一体化しているわけですな。フォルクスワーゲン。マニュアルの使い方、日本で練習してから来たかったけど、教習所練習だと15,000円以上かかるので、それならオートマ借りるほうがマシ、なのだ。なので、ま、思い出すだろう、とタカを括っていたのだが、どうにもガリガリゴツゴツ言って発進できない。そばで車を洗っていたレンタカー屋のおっさん二人が心配してあれこれ言ってくれるが冷や汗ばかり出てうまくいかない。本当に大丈夫か?ここで何周か練習してから外へ出ろ、と。車のギヤを焼き切ってしまうぞ、とめちゃくちゃ心配して、この人に車を貸して大丈夫なのか?とオフィスなら電話までしていた。とほほ。が、そこは最初のポイントひとつ押さえればあとは器用な三輪えり花、コツを掴み、発進、ギヤ変え、後退、車庫入れを練習し、いざ公道へ!

    アルドラハン Ardrahan

    もちろん注意深く、ゆっくり進む。先ずは市内を出るまでがチャレンジ。が、一方通行の一本道で、驚くほどすんなり市外へ。

    当初の計画では、

    Galway →Ardrahan → Skehanagh. 30分 10時着

    だったのだが、車練習に時間を使ったので、なんとか10時半にアルドラハン着。(地図1)
    今日は天気が良い。キラキラしている。観光写真にできそう。もしも雨だったら運転も大変だしストレスも気分も大変だし、本当に恵まれている! 最初に使う道は昨日ツアーで通ったワイルドアトランティックウェイ。

    あ、アルドラハンに入りました、と思ったらもう通り過ぎている。つまり、アルドラハンを左手に見て、村の入口をこの道が通過しているのだ。先へ進むか写真を撮りに戻るか、畑の脇に車を停めて少し考えた。が、この天気が持つかどうかわからないし、『出られないふたり』に出てくる地名だし、写真は撮っておこう!とUターンする。アルドラハンの中心は三叉路で、そこに古い時代の小さな塔がある。マイク・マクナニーも見たことがあるだろう。あるのはそれだけ。その先を進んでもただ畑または牧草地があるのみ。当初は458号線を進んでスクハナに向かうつもりだったが、アリドラハンの中を通過したため、ルートが変わり、ちょっとした観光ポイントであるRathbaum Farm を眺めることにする。

    ラートバウム農場 Rathbaum Farm

    (地図2)
    ウェブの写真で見ていた記憶では、白い丸い小屋のような建物で、納屋か何かだろうと思っていた。が、実際に行くと、綺麗な鼻がたくさん咲いていて、実に綺麗なら飾られている。博物館になっているのかと思ったら、人が住んでいる! ここでは動画を撮った。ナレーションを喋る私の声を聴いて、めちゃくちゃ人懐こいボーダーコリーが飛び出してきた。そして、早く中へ入れたら促してくれるのだが、ごめんね、と先を急ぐ。

    スケハナ Skehanagh

    そしてスクハナへ。(地図3)
    『出られないふたり』では、スケハナと訳した。これはアイリッシュを喋る人に確認した発音なので、英語だとスクハナ、アイリッシュだとスケハナなのだろう。日本語検索ではスクハナをお使いになると良い。尤も、何も情報は出てこないけれども。町の片鱗さえない、牧草地と畑のみのエリア。僅かに四軒ほどの農家が、日本の農道のような小道に沿って建っている。石造りの農家。車を停めて写真や動画を撮っていると、新しめの家の女性が家から出てきた。怪しまれる前にこちらから声をかける。

    こんにちは、この辺りがスケハナですね? 私、日本から来た舞台演出家です。この辺り出身のレディ・グレゴリーという劇作家をご存知ですか?(知らない) その人のお芝居のキャラクターが、ココ出身なんですよ。それで日本の俳優たちにどんなところが見せようと思って。

    と、少し話をして、写真を撮ってもいいかしら、と尋ねると快くOKしてくれました。「私は最近越してきたのでこの辺りの古いことは知らないんだけど」と言いながら。

    小さな道を通過するだけのスケハナ。『出られないふたり』のキャラクターたちが言う「むかしは豊かな土地だった・・・」は、彼らがこの豊かな土地で暮らし、そのうちジャガイモ飢饉になってそこを追い出されたことを意味する。そして彼らは Gort の救貧院に入ったのだ。Gort は明日、訪問する。10月の柔らかい日差しは、秋の風をはらんで少しピリッとしている。これから収穫の季節。

    エッサケリー Isserkelly

    Skehanagh →  Isserkelly  8分

    スケハナの1本道を先へ進むと、その先は Isserkelly だ。(地図4)
    『出られないふたり』では、「エッサケリーの祭りの日に」というセリフが出てくる。いかつい犬、雌鶏、豚、大きな木…それらが生きたものとして浮かび上がってくるような風景。

    ロスボロー邸 Rosborough House

    Isserkely → Rosborough House(グレゴリーの生誕地。廃墟)3分

    次は、レディ・グレゴリーの生誕地と呼ばれているRoborough House へ向かう。(地図5)。(Roxboroguh と記述
    屋敷の巨大な門はそのまま。敷地内には小川が音を立てて愉快に流れ、アーチ状の石造りの橋がかかり、どんどん進むが、行った先には小さな看板。「ここから先、私有地。立ち入り禁止」そこにはこじんまりとしたいくつかの一軒家がほのぼのとした感じで建っている。どうやら敷地内は切り売りして宅地になっているようだ。私が小川の写真を撮ろうとしているそばにも建築中の二階建てのモダンな家屋があった。その二階部分を工事している男性がこっちを見ている。このような時は、話しかけられる前に話しかけるべし。(さっきのスケハナでのように)。レディ・グレゴリーについて調べに日本からきました。写真を撮ってもいいですか? 「まず俺を撮ってくれるならいいよ」(笑)

    ポーツムナ Portumna お城でランチ

    Rosborough House → Portumna Castle  40分 12時着 ランチ&お城見物

    そこからPortumna へ。(地図6)
    湖のほとりの、お城もある中規模の町だ。湖とは言っても、実は、アイルランドの心の故郷とも言えるシャノン川(アイルランド最長)が非常に幅広くなって湖状になっているもの。さらに南下するとリムリックという港町に通じます。

    この豊かな湖の北の端にあるポーツムナ。まずはお城を訪ねてカフェでランチを目論みます。

    大きな木の森を「これ、方向あってる?」とやや不安になりながら進むと、ありました。お城とカフェ。本日のメインイベントである救貧院のツアーを予約しているので、お城に入る時間はありません。お城は外から見るだけ。カフェは入り口外にあるので誰でもお庭を眺めながら軽食がとれます。昨今のSDGsにのっとり、スプーンやフォークは薄い木製。本日のランチプレートが2種類あり、ほかはサンドイッチやスープなど。ランチにすると、ソフトドリンク(ボトル)とポテトチップス2袋がついてくる。ランチそのものにもポテトが添えてあるので、ポテトにポテチ。かなりの衝撃。ありえへんでしょ。もっとも、車内での万一の軽食にはぴったりなので、開封せずに持ち帰ります。

    ポーツムナ救貧院

    そして救貧院へ。(地図7)
    救貧院自体に関しては、ものすごくたくさん書き留めておきたいことがあるので、独立した別のブログにまとめてあります。(そのブログは、12月に上演する芝居の母体である国際演劇協会日本センター英語圏部会のサイトにあります。いま、そのサイトを再構築中なので、もう少しお待ちください。)

    なので、このブログでは今日の行程を先へたどります。

    救貧院の見学は14時から15時までですが、私を含めた3名の参加者たちの知りたいことが多すぎて、学芸員も喜んで話をしてくれましたし、そこにはアイルランドのジャガイモ飢饉の黒歴史を彫刻にして残そうとしているアーティストもいて話が持ち上がり、そこを出たのがもう16時ごろだったようです。

    リムリックへの道

    そこからリムリックへは車で1時間。

    その道がまたこの上なく素晴らしかった。(地図8)
    運転中だったし、予定時刻を圧していたので、急いでいたし、道は狭かったから対向車が来ても面倒だし、と停車して写真を撮ることをしなかったのですが、今になってめちゃくちゃ悔やまれる。

    文章で表現できるかしら。

    道は対向車が来たらギリギリすれ違えるか否かの幅。イングランドを運転したことがある人なら、コツウォルズ界隈の B ロードの感じ、と言えばわかるだろうか。(あれ、むしろわかりにくい? イングランドは、 M (高速道路)、A(幹線道路)、B(一般道)となっていて、田舎をてけてけ走る道はだいたいが B ロードでここを走るのが楽しいのだ。)その道の両側に背の高い木が生えている。森や林の中の道ではなく、並木道だ。が、この並木、別に誰が世話をするわけでもないと見える。フランスの並木道のように整然とすっきりとしていない。木の根元付近はベリーや野生のバラなどの灌木類が密集しており、それがさらに木に絡みついている。木の幹は太いのでしっかり上に向かって立っているのだが、枝は生命力にあふれる美しい緑を輝かせながら道路に向かって拝むように伸びている。根本に絡む灌木と道路に降りかかるような枝のおかげで、1本の木の形は C の字に見えるのだ。それが両脇にある、その真ん中を運転していると、まるで完全円形のトンネルの中を進んでいるような感じだ。なんてこった。こんなのはインスタグラムや世界の写真家の「美しい風景」のようなものでしかあり得ないと思っていた。現実、ここにこうしてあるなんて、信じられない気持ち。しかも、たまに、両脇の木の根元がぐっと道に張り出して、木の枝がが少し外へ向かって離れていると、これはもう、おわかりですか? ハート型です!! ハート型のトンネルを通っているのです。豊かなふかふかの緑のハート型のトンネルで、その先の空間は夕まぐれの柔らかい青空。奇跡ですか、神秘ですか、舞台装置ですか、です。完璧だ。私のアイルランド旅は完璧です!今思い出しても夢のようです。絶対に戻って写真を撮りたい。証拠をみんなにお見せしたい。

    リムリック Limrick

    この素晴らしい経験に胸がいっぱいになりながらリムリックに到着した時にはもう17時でした。(地図9)
    季節はまだ10月初めとはいえ、ここは北海道よりも緯度の高いアイルランド。どんどん日が短くなります。この時点では美しい夕まぐれでして、もっとリムリックでゆっくりしたい気持ち。ここは、シェイクスピアの『ジョン王』(シェイクスピアの作品の中でも最も上演されない戯曲のひとつ笑。でもオーディションによく使われるスピーチは多い)のお城があります。ジョン王は政治能力に乏しいくせに野心ばかりあり、貴族の怒りをかって、ついにマグナ・カルタという、イングランド初の「憲法」を認めることになった王様です。ちなみにマグナ・カルタが締結されたのは、野原。ラニーミードという野原で、ウィンザーの近くにあります。ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校に通っていた私の活動エリアで、あるとき立て看板にマグナカルタはここで成立したと書かれているのを発見した時はひっくり返るほど驚きました。そのようなものはお城の中で締結されるものだとばかり思っていたのです。それが、この、何もない、だだっぴろい、ただの、(くどい)野原・・・。なるほど、ここに貴族たちが煌びやかな野営のテントを張り、馬たちがいて、騎士たちがいて、お城から王を引き出してきて、対等な立場として締結させたのだ。脳内映像がワクワクと動き出したのを思い出します。で、リムリックは、そのジョン王が野心剥き出しでアイルランド伯になり、そのままイングランド王宣言をしてしまった。それによって、アイルランドが、それまではゆる〜くつながっていたのに、途端にイングランド領になってしまったのです。イングランドはこの時からアイルランドを強烈に搾取し始めました。え〜と、語弊があるかもしれませんが、日本が、よその土地、ことに海を隔てた土地を「わがもの」と宣言すると、そのよその土地に対してけっこうえげつなく搾取しましたよね。それと同じことがイングランドとアイルランドのあいだで起きたわけです。スペインと中南米の関係もそうでしたよね。ということは、日本が特別に野蛮だ残酷だというわけではなく、海を隔てた地域を征服すると、征服者たちはかなり残酷に搾取を始めるという構図は残念ながら人類特有の気質なのかもしれません。

    そんなことを考えながら夕日に輝くジョン王のお城が背後に遠ざかっていくのを車のバックミラーで見ながら、今夜の宿へ向かいます。

    シャノン Shannon

    リムリックを出てすぐのところに Bunray Falk Park という伝統文化村があります。伝統的なアイルランドの家屋やくらしが、体験型でわかるというもので、演出家としては大変気になりましたが、今回は、農民の暮らし自体を扱うわけではないし、すでに12月上演の舞台となる救貧院のくらしはじゅうぶんに学んだので、残念ですがまた次の機会に。そして夕陽を追いかけるようにシャノンという街へ向かいます。シャノンはヨーロッパ便の国際空港もある、シャノン川の河口の町。(地図10)
    今夜はそこのカントリーハウスに宿泊です。この話も長くなりそうなので、また別ブログにて!

  • アイルランド50代女一人旅 6:世界遺産モヘーの断崖

    アイルランド50代女一人旅 6:世界遺産モヘーの断崖

    2022年10月6日 アイルランドの西の街ゴールウェイ Galway は、雨 ははは。

    ダウンの二枚重ねと雨ガッパと傘決定。

    今日は、ワイルド・アトランティック・ウェイ 訳して「豪快でワイルドな大西洋岸の絶景ロードを行くぜ」です。

    ツアーバスに乗るまでのヤキモキ

    GoPro の自動アップロードが終わるのをヤキモキしながら待って0850にホテルを出て0930出発のツアーに乗るために Manchester通りへ向かう。

    バスは既に来ているようだったので、案内係に予約番号を見せると
    「キンレイホステルでチェックインしてくれ」
    とのこと。
    が、キンレイに行くと
    「別の会社だから。外の横にあるから」。
    が、「外の横」には何もなく。
    再び、外でウロウロしているバス関係者に尋ねると
    「バスの中にボスがいるからそこでチェックして」
    と。
    苗字を言っても通じない。いや、あなた、聞く耳なくね? 

    「何時のバス?」
    「9時半。」
    「じゃあ次だからそこで待ってて。」

    そこで待ってると、なるほど、その9時のバスは出発し、次のが来る。

    しかし、いくらそのバスの係員に苗字を言っても通じない。なぜに?
    そして、私のファーストネームを訊かれる。
    ・・・なるほど、彼らにとっての名前はファーストネームなのである!
    苗字じゃなかった・・・。

    こうしてやっと、すぐ後ろの小さめのバスに案内され、幸い先頭の席に座れる。この時点で、0919。
    ほらね、早くにやってきてよかった。

    ツアー開始 オランモア城

    このバスは、Wild Atlantic Way と名付けられた、アイルランド島の大西洋岸の崖っぷちの道を走るのである。
    このツアーを選んだのは、2022年12月に上演する舞台『出られないふたり』と『月が昇れば』に登場する町を通過してくれるから。

    ドライバーは、まず、Oranmore 城が見られるようにルートを辿ってくれた。本来なら、最初の目的地 Dunguaire 城までまっすぐ行くのだが、天気が回復しそうなので、近くを通ろう!と言って方向転換してくれた模様。

    なるほど、飾りのない、要塞のような、四角い城だ。きっとこれがアイルランド風というのだろう。イギリスでは、スコットランドの西ハイランドにある古城に少し似ている。これほどに飾りがないのは見たことがない。このあと、このタイプのものが度々視野にはいり、これが中世アイルランドの城なのだと認識する。


    緑と石垣のアイルランド大西洋岸

    Clarinbridge (クラリン橋)という地域は、牡蠣で有名とか。牡蠣好きとしてワクワクする!

    Kilcolgan(キルコルガン)を通過しながら、いろいろアイルランド語も紹介してくれるドライバー。たとえば、教会は Colgan と言うんだって。

    Ballinderreen (バリンデリーン)この村は、氷河期のち紀元前2000年頃から存在するとか。名前は、樫と岩というアイルランド語。地図をよく見ると、セント・コールマン教会もある。『出られないふたり』には、「今日はコールマン様の祭りの日だってのによ」というセリフがあったっけ。

    まさに芝居『出られないふたり』のキャラクターたちが豊かだった頃に住んでいた様子とそっくりの二軒屋

    胸の高さほどの石垣が連なる様子は、イギリスのコツウォルズから湖水地方にかけてと似ている。

    あれは元々シェイクスピアのいた16世紀、羊毛生産のための「囲い込み」で各農家が石を積んで塀を作ったことでできた。その時代にアイルランドもイングランドの支配下に強く置かれたから、その影響もあるのではないか。

    イギリスと同様、その家の持ち主が手で積むので、それぞれに特徴がある。石の隙間に鳥が巣を作り、石の隙間に野薔薇や野苺や黒スグリ(ブラックベリー)やブルーベリー、ラズベリーが生えて、石垣はどんどんしっかりしてくる。しまいには石垣であることがわからないくらいになってしまう。素敵だよね。

    牛がいる。馬がいる。

    昔イギリスに住んでいた頃は、アイルランド人で馬に乗れない人はいない、と聞いたことがある。が、いまはどうだろうね。時間があれば馬にも乗りたいところだ。

    小さな岬にポツンとダンガイア城

    走行するうちに、最初の目的地、Dunguaire Castle (ダンガイア城)到着。

    下車20min. 曇 やや風。バス案内には、無料と書いてあったが、それは城の中庭までで、城内は8€かかります。

    GoProを石垣に置いてセルフィー

    波打ち際の高台に建つ四角い城。

    波打ち際と言っても、砂地ではない。磯とも違う。

    浅瀬で、一面ゴロゴロした岩場で、それらの岩に海藻がびっしりと生えている。なかなか見たことのない景色である。

    この海藻は食べられるのだろうか? 食べられるのだとしたら、取り放題なので、誰かが拾っているはずだが、その姿はない。ウェールズでは海藻を食べる。海のケルト文化なら海藻食もあるだろうに。市場などへ行ってみないとわからないな・・・。


    氷河時代の岩の土地 バレン

    ここが終わると、左手に、白い丘が見えてくる。
    白というより、灰色だ。岩ばかりの丘。クレア県に入りました。


    『出られないふたり』では「クレア・ゴールウェイじゃよ〜」というセリフが何回か出てくる。かつては、クレアとゴールウェイは、ひとつの県または地方だったのかもしれない。

    が、ゴールウェイは緑がいっぱいの緩やかな土地なのに、クレア県は、岩ゴロゴロだ。緑がその合間に点在していると言ってもいいくらい、岩だらけ。


    これは農業は大変だ! 
    ぜひ、一度、Google Map の衛生写真を重ね合わせて見てみてください。

    このあたりは、Burren (バレン)と呼ばれる。アイルランド語のBoireann 「岩だらけの土地」という意味。


    丸く置き去りになったような巨大な岩は、氷河が運んできたもの。

    17世紀か18世紀のポルトガル大地震で津波がきて、それでできた湖を通る。なるほど。

    バレンの丘の石垣は瀕死の大行進の軌跡

    岩しかないバレンの丘にも、ずっと細く石垣が上へ上へと伸びている。

    私は、こんな岩だらけの土地でも羊の囲い込み用の石壁を作るんだなあ、とぼんやり外を眺めていた。

    すると、ドライバーが、とんでもないことを教えてくれた。

    山を這うように細く筋が入っているのが、飢えの石垣

    「左手の延々と連なる岩だらけの山(日本人的には「丘」だが、彼らには「山」であるようだ)に、石塀がずっと高いところまで巡らされているのがわかりますか? あれは、

    飢饉壁 Famine Wall

    と言ってね、19世紀のアイルランド大飢饉のときに、食も職も失った人たちが作ったものなのです。

    ジャガイモ飢饉と酷いイギリス

    19世紀半ば、アイルランド全土で、ジャガイモが病気にかかり、育たず腐ってしまうことが何年も続いた。

    アイルランド人はジャガイモが主食だったので、食べるものが無くなってしまい、大勢が飢えて死んだ。

    弱って働けなくなり、土地代が払えなくなると、小作制だった農民たちは、農地を追われてしまった。

    イングランド政府は、救済に乗り出した。

    ただし、働かざる者食うべからずの原則で、
    「仕事を世話しよう、そして給料をやろう」
    とこのあたりに、飢えて痩せ細った男たちを呼んだ。

    彼らに与えられた仕事は、この丘に石垣を積め、というものだった。

    羊を飼うわけでもない。食べられるような草は生えないから。

    寒風吹き荒ぶ中、あるいは激しい雨粒が打ち付ける中、あるいは乾いた夏の日差しの中、痩せさらばえた男たちは、急斜面の岩場にくたくたになった足を運び、なんの意味もない石積みを黙々と続けた。丘の上の方まで。

    そして降りてきた時には、「今日は払えねえよ」と一銭ももらえずに帰されることもしばしばだったのだ。

    『出られないふたり』では、「昔は豊かな土地だった・・・」とのセリフがある。あのキャラクターたちは、このジャガイモ飢饉で救貧院に入らざるを得なくなった者たちだったのだ。

    救貧院に入る人たちと、壁を積む人たち。そして路傍で野垂れ死んで行く人たち、女たち、子供達・・・。

    そういえば、Dunguaire Castle の駐車場にも、Famine Sculptures 大飢饉彫刻 という看板が立っていた。


    イギリスとの関係が薄まるにつれ、大飢饉がどんなに悲惨だったか、やっと公に光を当てようという機運になってきたのかもしれぬ。

    『出られないふたり』のレディ・グレゴリーは、救貧院で明るく生きているふたりを描いたが、そのふたりの心の闇は計り知れない。救貧院には明日、向かう予定なのだが、まさかこのツアーで、ジャガイモ飢饉とその苦しみについて学ぶことになろうとは!

    のどかな浜辺町 バリーヴォーン

    ジャガイモ飢饉と芝居について思いを馳せるうちに、Ballyvaughn (バリーヴォーン)に到着。この地名は『月が昇れば』に出てくる。

    バリーヴォーン出身の警官(イングランド体制側)がリムリック近くの崖で愛国主義者(アイルランド独立派)に惨殺されたという噂が語られるのだ。

    なるほど長閑な海辺の田舎町。住みやすそうなところ。

    そこから海岸沿いの崖の道を通る。

    妖精専用の教会

    「アイルランドは妖精の国だ。妖精は人間と同じように生活している。教会にも行く。この辺にはほら、レプラコーンが大量に住んでいるので専用のカテドラルを建てたんだ」

    ドライバーがそう言って左手を示すと、そこには小さな小さな、屈まないと入れないような教会が。後から調べると、これは The Pinnacle Well と言って、湧き水系の泉(いわゆる spring)があり、それを聖なるものとして囲っているのだそうだ。

    灯台と貯水箱と

    次は、Black Head (黒頭)灯台を通過。タイタニック号を作った船会社が、アイルランドー北米航路で、ずっと北にあるベルファストを出航して、ゴールウェイに立ち寄る際、バリーヴォーンが、大きな船を停泊させるには良い港で、そのために灯台を建てたのだって。

    たまに見かける、四角い石造りの囲いは、雨水を貯めるための貯水箱の役割。地面は石だから、地面を固める必要はないのね。

    バレンの崖登りと断崖スポット

    そこから、崖登りができる狭いところにミニバスを停め、岩に登ったり、海に落ちる岸壁を眺めたり。

    まず、岩に登る。
    狭いところに足をかけて、ぐんぐん登る。一人旅は、このバスツアーの中でも、私だけ。人目を気にせず、ぐんぐん登る。が、行き先は果てしない感じなので、適宜諦める。

    そして、むしろ、降りる時の方が大変なのであった。
    ほぼ垂直の崖を、斜めに岩の間を伝って登る感じ。
    あとで調べたら、ロッククライミングのスポットでもあるようだ。


    そして、降りたら、今度は、さらに人目を気にせず、どんどん海の崖っぷちへ。

    江ノ島や三浦海岸には岩棚があるが、あれがものすごく広大で険しくて、そして海からの高さが数十メートルあると思ってみてください。

    垂直です。
    立ち上がると強風で極めて危険なので、岩に這いつくばって、海を覗き込むのである。

    これは、そうしている私を離れたところから撮影してもらうのが一番なのだが、一人旅なので、GoPro自撮りのみ。

    いつ雨が降るかわからないので、岸壁に寝そべって下を眺めるには最適だ、とやってみる57歳なのである。

    今日の目的地のモヘーの断崖でもできるかもしれないし、三日後のイニシュモア島でもできるかもしれない。でも天候がこれだけ定まらないなら、できる時にするべし! 

    そして、断崖のてっぺんの少し平たくなっているところに寝そべって、海を覗き込む。わ〜〜〜〜〜!

    あとからGoPro画像をチェックしたら、怖さの興奮で、自分ではすごく長い時間だと思ったけど、ほんの数秒でしかなかった・・・。(GoPro動画系は、TouTube チャンネルに掲載します)

    この The Burren は、飢饉壁に打ちのめされたけれど、植生が北極圏で、大地も北極圏を形作っているのと同じ古いライムストーンで、氷河が流れた際に表土を全部持って行ってしまい、土のない、岩だけの大地になってしまったという。

    あとから調べると、もっと上の方には、巨石文化の「巨人のテーブル」のようなものもあるそうだし、洞窟や泉もたくさんあるそうで、ここは天候の良い季節にいろいろ歩いてみたいと思わせる興味の宝庫みたいなところです。

    アラン諸島への玄関口は物凄い荒海

    次に通過したのは Doolinドゥリン。

    ここは演劇で有名だったんですって。いまは音楽の街になっているそうな。演劇で有名って、何をやっていたんだろう。いろいろ知りたいことがたくさんある。

    次にバスを降りたのは、ドゥリン港 Doolin Pier 断崖の見られる浜。すごい風と波。10月に入ったばかりなのに!
    ガイドさんによると、夏はここは港として使うのだが、秋には、すぐに波がこの一帯にある岩を全部駐車場へ打ち上げてしまって、毎年、春になるとその片付けが大変なのだとか。

    怯えているmw 遠くに見えるのがモヘーの断崖

    え、週末はこの海を渡ってイニシュモアへ行くんだけど、え、これ、船、出るの?

    こ、怖い。怖すぎる。
    荒海じゃないか!
    アイルランドまで来て死ぬかもしれない・・・。

    今まで、荒れた海を見ても、風情があるなあ、とかドラマチックだなあ、と思っただけでしたが、いざ自分がこの海に乗り入れるのかと思うと、途端に恐怖が込み上げてきました。

    水平線が波で盛り上がっているのです。

    水平線というのは眼下にあると思っていましたが、こんな海では違います。もりもりと盛り上げてはものすごい勢いで、かつ不規則にごおごおと波があわ立ててはやってきて、一つ前の波を飲み込んでいきます。

    ここは、港なんですよ。ここから船がこの波を越えて外海へ出るのはもはや不可能でしょう。ちなみに、9月いっぱいまでは、この港は、アラン諸島への港として機能しています。今日は10月6日。10月に入ったとたんにこんなに荒れるのでしょうか。恐るべし。

    パブのランチ

    ドゥリン・ホテルでランチ。


    美味しそうな魚のメニューを頼見ました。が、到着してみると、ただの fish and chips であった。

    食べ始めてから写真を撮るのをやめよう


    私は結構遅れてレストランに入ったのだが、これが一番先に来た。他のツアー客はどんなメニューを頼んだんだろう?チャウダーとか蟹サラダとかのようだ。なるほど。この fish and chipsは、このあたり特産のドゥリンビールの衣で揚げてあるんですって。再度メニューは、グリーンピースのマッシュ。そういえば、イギリスでもMashed Pea はありましたけど、あまり食べなかった。ここのは美味しかったよ。

    ここは U2のBonoも来たことがあるんだろうか?それともただのファン?
    写真が飾ってありました。

    全景


    45分の食事タイムのはずが、なぜか1時間になったので、ゆったり食事できました。

    世界遺産モヘーの断崖

    そしてついに、本日のメインイベント、モヘーの断崖。Cliffs of Moher。


    Moher というのは、ゲーリック語で「廃墟になった城砦」という意味。
    そう、どこにあるものでも、Moher.
    ここでは崖の上にポツンと立っている a moher がそのまま名称になったようです。
    散策時間は2時間。雨が降ったらおしまいだと不安が募るが、奇跡的に風のみ曇。バス停にはウクライナの旗が立っていて、ヨーロッパ大陸の北の端の島からウクライナを応援する気持ちを示しています。

    バス停から断崖までどうなっているかというと、ちょうどこの辺りは、海に面した崖が内陸側へ向かって下りのスロープを作っており、さらにそのスロープは、内陸側でまたちょっとした崖を形成しています。そのため、海と内陸部分の間に、自然の巨大な城壁があるような形状になっているのです。まさに天然の要塞です。高い崖が海との境にあるので、ここは風も強く無い。そして、崖の中がくり抜かれて、そこに切符売り場や、博物館や土産物屋がはいっているの。なんて合理的!!

    そして、崖の上にでて、たった一人でテクテクと海沿いをあるきます。


    ものすごい風です。

    遊歩道と崖の間には柵があります。

    柵も、崖の石を削って積み上げられた感じです。柵の向こうにも古い遊歩道が見えるので、おそらく世界遺産に指定される前はこの柵もなかったことでしょう。そしてかなりたくさんの無謀な若者が、風に吹き飛ばされて崖下へ落ちたことでしょう。いえ、むしろ最近の方が、インスタ映えするセルフィーやYouTubeを撮るために、この壁を越えてわざわざ危険な先端で撮影をして落ちて亡くなるかたは年々増えているとも聞きました。けれど、この塀の内側にいれば安全ですし、一方で十分危険を味わえますし、そして大変に美しい写真も撮れます。くれぐれも塀を乗り越えないようにね。

    一枚ずつすごく綺麗に撮れているので、ぜひクリックして大きくしてENJOY!



    と言いつつ、塀が途切れているところもあり、と、私も知らぬ間に塀の外を歩いている自分に気がつきました。がくぶる!!

    一体どこで塀から離れたのでしょう。
    そのまま風に煽られないかとビクビクしながら、また塀のなかに戻るポイントを探します。が見当たりません。遊歩道との堺を作っている石垣はもう切れ目がないのです。

    仕方がないので、塀をよっこらしょと跨いで乗り越えて、遊歩道に戻ります。まるでルール違反をした人のように。ルール違反したんじゃ無いのよ〜。知らないうちに出ちゃっていたのよ〜。

    この遊歩道の最終目的地は、Hag’s Head です。でもかなり遠くにあるのと、戻る体力を考えて、半分くらいのところで引き返したのでは無いでしょうか。あそこまできっちり歩くぞ、と思うなら、それなりの装備をして、自分のペースで歩けるように、そして一人きりではなくチームを組み、準備すべきかと思います。

    こうして、11200歩以上歩きました。

    あとから博物館へ入ると、生態系の解説や崖の成り立ちなど興味深い説明がたくさんあります。
    ほお、パフィンがいるんですね。
    Puffin というのは、スコットランドのずっと北の離島に住んでいることで有名な、鸚鵡のような嘴のカラフルなかもめです。今日は飛んでいたのかもしれませんが、私には、割と一般的なカモメ二種類しか見つけられませんでした。

    土手の中の土産物店は暖かく、充実していて、クレア県の手作り石鹸をお土産に買いました。

    緑なす谷間のアイルランド

    帰り道は内陸を通ります。

    Lisdoonvarna リスドゥンヴァーナ 
    これは温泉で有名な街だそうです。え、温泉!行ってみたい。ミシュランの星付きレストランもあるそうな。むむむ、やはりアイルランド、一年くらい住んでいろいろ車で回りたい!

    それから、お見合いタウン The Match Maker というところも通りました。まじか

    Corkskrew Hill 
    ここでは、アイルランドの谷間を見渡しました。アイルランド、緑なす谷間・・・。どこで聞いたフレーズだったか、アイルランドは緑の谷間の国なのだという想像をずっとしていました。まさにその通りの感じの場所です。良かった。


    バレンの景色をもう少し


    消える湖ターロク

    『出られないふたり』には、ターロクという地名が出てきます。地図を探すと、その名称はこの近辺でたくさん見つかります。へえ、と思いながら、ただの地名として翻訳者が訳すに任せていました。

    と、ドライバーが、右手に見える湖を示してこう言いました。
    「あれはターロク。消える湖」

    な、なに〜?

    「秋冬は、水が溜まり、湖になる。でも春から夏にかけて水が引いて、湖は消えるんだ。よく絵にも描かれているけれど、絵にある湖を探しに夏に来ても、どこにも見当たらないんだよ」

    そうだったのか!!!
    いや〜、今日は学びと発見の1日であった。

    わかります?演出家という私の仕事の面白さ。
    いろんなことが、お芝居を演出するために「おお、なるほど!」の連続なのです。
    台本に出てくる地名、ちょっとしたセリフの雰囲気、それらがこうして、ふと得られる知識で豊かなイメージになっていく。
    演出家の職業ほど面白いものはないかもしれない。

    タマキビ貝の浜辺

    『出られないふたり』のキャラクターの一人に、イングランド寄りの富豪の家にとついた妹が登場します。彼女の住んでいるのは、浜辺の町キュランロー。
    そのあたりに近いような場所も通りました。
    キュランローもきっとこんなところではないかしら。

    夕食は牡蠣

    というわけで、本日の、モヘーの断崖ツアーは、無事に終了!

    バスはGalway に戻り、私はホテルへ戻り、一休みしてから、夕食を探しに、昨日歩いた賑やかな通りへ向かいます。


    パブでは大音響の音楽がなり、大勢があつまり、騒いでいます。コロナ禍なんてどこへ?ですね。ちなみにバスの中はわりとみんなマスクをしていました。外では外しています。でもこれらのパブはみんなコロナ禍前通り!

    しかし私は帰国する時に罹患したくないし、帰国後に罹患して舞台上演ができないなんてことにもなりたく無いので、パブなど、マスクしない人たちが密集して大騒ぎしているエリアは避けます。

    すると、ちょっと高級なところになってしまう。
    というわけで、Martine’s. へ。はい、オイスターをいただきます。それから海鮮トマトシチューを。窓際の素敵な席へ案内されました。

    明日は、レンタカーをして、いよいよ『出られないふたり』の舞台となった救貧院へ、それからアイルランドの心の川シャノンの流れるリムリック(これは『月が昇れば』に登場する街)近辺で一泊し、次の日はレディ・グレゴリーの愛した住処クールパークへ、と予定を立てています。
    今日のツアーバスも、明日私が使いそうな方面への交差点を通りました。

    Good Night !

  • アイルランド50代女一人旅:レディ・グレゴリーを探して1 〜 出発準備から搭乗まで〜

    アイルランド50代女一人旅:レディ・グレゴリーを探して1 〜 出発準備から搭乗まで〜

    はい。50代も後半の女の一人旅でございます。
    服装は?スーツケースの大きさは?飛行機はどこで選んだの?宿泊予約はどうしたの?
    などなど、一人旅してみたいけど・・・と迷っている、子育て終了世代にお送りします。

    とはいえ、三輪えり花の目的は芝居のリサーチなので、行き先自体はちょっとマニアック〜。
    が、まあ、知らないことを知るきっかけになったら嬉しいな。

    【目的地】

    アイルランド国、ゴールウェイ。

    ゴールウェイは、アイルランド島の大西洋岸にあります。ダブリンからバスまたは列車で2時間半、西へ、アイルランド島を横断するのです。世界遺産もあり、古いケルト文化や妖精の伝説でいっぱいのところ!

    ケルト十字とか、レプラコンとか、シャムロックとか、この辺は長くなるのでまた別記事で!

    【なぜにゴールウェイ?】

    2022年12月に三輪えり花が演出するお芝居の作家の生まれ故郷なのです。作家の名前は、レディ・グレゴリー。100年以上昔に、アイルランド演劇の礎を築いた女性です。お芝居の舞台がゴールウェイのあたりなので、どんな場所でどんな生活が100年前に営まれていたかを探しに行く旅です。

    【二つの国があるアイルランド島】

    地図を見ると、アイルランド島の上の方に「北アイルランド」という名称が見えます。これ、実は、イギリス領。一つの島の中で、北は英国。南はアイルランド国です。なぜこんなことになっているのでしょう。

    シンプル解説はこちら、国際演劇協会日本センターの、12月アイルランド企画特設サイトで解説しました。
    https://itij2022.com/2022/10/31/rising-of-the-moon-place/

    レディ・グレゴリーは、お芝居を通じて、100年以上前にまだイングランドの支配下にあったときの、イングランドに追従しないアイルランド庶民の姿を生き生きと描いたのです。

    【ゴールウェイ旅行の旅路】

    お芝居に登場する村々を訪ねる旅です。こんな旅程でした。それぞれの詳細を、これからブログ記事にして掲載していきますね。

    1日目 自宅 →   成田 →   アブダビ経由ダブリン

    2日目 ダブリンからそのままゴールウェイ

        ゴールウェイ市内観光。ゴールウェイ泊

    3日目 世界遺産モヘーの断崖を訪ねるバスツアー。ゴールウェイ泊

    4日目 お芝居に登場する村々をレンタカーで。内陸の村を巡り、ポートムナ→リムリック→シャノン。シャノン泊

    5日目 レンタカーでレディ・グレゴリーの屋敷やお芝居に登場する村々をレンタカーで。エニス→ゴートから海沿いの村を巡り、ゴールウェイに戻る。ゴールウェイ泊

    6日目 アラン諸島にあるイニシュモア島へ。イニシュモア泊

    7日目 ダブリンへ。レディ・グレゴリーの建てた国立劇場アビー座で観劇。ダブリン泊

    8日目 ダブリンを発ってアブダビ経由成田

    9日目 成田着

    私が最初にしたのは、今回上演する作品に登場する村々がどこにあるのかを調べることでした。

    中でも大事なのは、一つの作品の舞台となっている「救貧院」というものを実際に見る事。

    よく知らないままお芝居を上演するわけにはいきません。舞台に乗せるときはリアルにしなくてもいいのですが、その前に、実際はどうだったのかをできる限り調べるのが、三輪えり花のやり方です。調べてみると、救貧院博物館が、ゴールウェイから車で40分ほどのところにあります。ここは欠かせません。

    村の名前は、100年以上前のものなので、調べきれないものもありました。同じような名称が散らばっていたり。出演俳優も一緒になって調べてくれて、最終的には全ての場所がわかりました! 俳優にとっては、「スケハナ育ちの俺たちだ」というセリフや「アルドラハンまで行ったんだぞ」というセリフは、調べないと言えないのです。発音することはできます。でも体感としてね、貧しくて馬車も馬も持っていない農民が、どんな道を歩いて行ったのか、を、せめて地図や写真で確認するのです。

    レディ・グレゴリーの生まれた場所、結婚後に暮らした場所も、わかってきました。これらも行ってみましょう。

    後は、イニシュモア島にいつ渡るのか、日帰りか泊まるのか、レンタカーは日帰りか別の場所に泊まるのか、など随分悩みました。ずっとゴールウェイに泊まったまま、全てを日帰りすることもできたのです。が、イニシュモア島には泊まってみたかったし、アイルランドの魂とも慕われるシャノン河流域にも泊まってみたかったしで、こうした、動き続ける旅程になりました。

    というような作業を何日もかけて行って、それでこの旅程ができあがりました。リサーチトリップでなければ、あまり予定を立てない自由ふらりの三輪えり花ですが、今回は限られた日数で効率よく回らなくてはならないのです。こんなに綿密に計画を立てたのは生まれて初めてです。

    【宿泊の予約】

    宿泊の予約は、私はBooking.com か、hotels.com, または Hostel World をよく使います。今回は Booking.com で、全ての日程を押さえました。全ての日程を一覧できるので安心です。

    到着してすぐにレンタカーするのは、体力的に危ないかもと思い、バスツアーを入れることにしました。これも、私にとっては、ただの世界遺産観光ではなく、通るルート上に、お芝居に登場する村々をいくつか通ると説明にあったからです。

    宿泊のポイントは、駅や港に近いこと、でした。大きなスーツケースがあるし、バスやレンタカーなどのピックアップポイントまで、すぐに行けるというのが最優先。

    しかし、高い! ダブリンの方がずっと安いのです。なんでゴールウェイやこんなに高いの?人気なの? 今年のゴールウェイは、ヨーロッパ芸術都市に選ばれているせいなの?(本当は2020年のヨーロッパ芸術都市だったが、コロナ禍で2年、ずれ込んだ)

    なんとか予算ギリギリのところを予約できました。次の日に見たらもう後は、6人部屋のホステル系しか残っていませんでした。あぶない、あぶない!

    【新型コロナウィルス感染予防のための入国措置】

    最終目的地アイルランドでは検査や証明書等は必要ないので、何もする必要はありません。

    アブダビ自体へは、ワクチン未接種者でも渡航できるし、今回はただの乗り継ぎだからです。

    むしろ、大事なのは、帰国時!
    自宅にいる間に、忘れずに MySOS アプリの設定を!!

    出発前にパパとロミオと。

    【成田空港駐車場】

    当初は、自宅からタクシーと電車を乗り継いで行こうと思ったのですが、荷物もあるし、自分で運転していくことにしました。

    成田空港の駐車場にも止め置くことはできます。けれど誰でも出入り自由な駐車場だとちょっと心配なので、セキュリティがしっかりしている「シャトルパーキング」を選びました。前にも使ったことがあります。ここは、広いエリアに、自分の車を停める位置が指定される仕組みで、自分で車の鍵を持っていていいのです。(大抵は、駐車場運営会社が受付とは別の場所へ車を移動する。そのため鍵を預けなくてはならないし、旅行している間、どんな場所に停められているのか不明。タイヤや車体が泥だらけになって戻ってきたなんて例も聞く)シャトルパーキングのエリアは、24時間セキュリティカメラが四方八方から監視していますし、停めるエリアも舗装されていて、安心です。広いので、停めた位置からは案内係のカートで受付に戻ります。本当によくできた仕組み。

    ネットで予約しました。大体の到着時間がわかれば、いつ入庫してもお値段は同じなのでそれも安心です。私は1時間も早くに着きました。

    【飛行機の予約から搭乗】

    飛行機はエティハド航空。せっかくコロナ禍が収まってきたというのに、プーチンのせいで危なくてロシア上空を飛べず、プーチンのせいで石油が高騰、という二重苦の中、ヨーロッパ直行はとても手が出なかったので、せめて乗り換え1回だけのアラブ首長国連邦系の航空会社から、成田とアイルランドの到着が最も都合が良い便を選びました。

    便を選んだのは、sky scanner というサイトです。海外の旅行社も含め、どの旅行社がいくらで何時の便を出しているというのが一覧で一気に見られます。とても便利。その中から、Mytrip社が日本語でも運営していてケアが安心できそうなので、Mytrip経由でエティハド航空を予約しました。

    予約の際に、エティハド航空のサイトに飛びます。すると、有料オプションで、座席を指定できます。数百円のことなので、断然おすすめです。通常は、横に3席・3席・3席の並びですが、スチュワードエリアのすぐ前、是座席の一番後ろだと、2席になっています。デジタル表示では、広く見えますが、ただの2席シートで、窓側の椅子にすると、窓に寄りかかれないほどの空間があります。窓際を取って窓方向に足を伸ばせば、広く使えます。私は通路側を取っているので、広さの恩恵はなし。アブダビからダブリンの便では、隣にアラブ系ベジタリアンのおじさんが乗っていました。体型は大きくない人だったので圧迫感なしで良かった。もちろん、前方の、足元が広い座席はさらにお金を払って選ぶこともできます。私は洗面所に行くのにお隣の人を乗り越えるのが申し訳ないので、長距離飛行のときは常に通路側を選びます。

    食事はベジタリアン用、宗教ごとの指定など、無料で申し込めます。

    さらに、有料オプションで、自動チェックインも選べます。これも数百円なので、あると便利かと思い、申し込みました。
    これは実に便利でした!

    そう、そのおかげで、搭乗30時間前にはチェックイン用チケットが、QRコードでメールで送られてきました。時を同じくして、mytripからも同じようにQRコードが送られてきました。mytrip自体に自動チェックインサービスが付いていたためか、エティハドで申し込んだためなのか、わかりません。どうなんでしょうね。いずれにせよ、これが便利で、大きなスーツケースを預け入れる時も優先的に案内されました。

    そして無事に離陸〜!

    機内の様子は次の記事で。