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カテゴリー: 旅行

  • 2025夏のロンドン旅行記

    2025夏のロンドン旅行記

    7月8日から13日の旅行を動画にしました。

    いろいろな発見をしてくれるといいな。

    日本語翻訳をきっとyoutubeで掲載できると思うので、あとでやってみます。

    OCCASION

    第47回世界比較演劇学会がロンドンで開催され、そのスピーカー(発表者)の一人として選ばれて、渡英しました。

    学会はLondon Academy of Music and Dramatic Art 通称LAMDA にて。

    日程は7月9日から11日です。

    SCHEDULE

    三輪えり花の日程は、
    7月8日(火) 昼 羽田出発(朝6時に自宅出発)
    7月8日(火) 夜遅め ヒースロー着、ロンドン市内の宿泊先へ
    7月9日(水) 9時〜4時45分 学会1日目。夜は観劇 『仮面の巨人』
    7月10日(木) 同上 学会2日目。午前中はイングランド銀行。夜は観劇 『夏の夜の夢』
    7月11日(金) 同上 学会3日目。午後には我らの発表。夜は観劇『ウォレン夫人のご職業』
    7月12日(土) 昼 ヒースロー出発(朝9時に宿泊先出発)
    7月13日(日) 朝 羽田着(自宅到着14時)

    つまり、中三日だけ活動したわけですが、そこを、演劇学会の様子や、観劇の記録、劇場の様子やイングランド銀行博物館と芝居の小道具について、などを動画にいたしました。

    背景音楽も三輪えり花です。

    ENJOY!

    HAKKEN 発見

    今回の旅行の私の発見は、
    ・タワーブリッジ界隈の開発ぶり
    ・The Bridge という新しい劇場
    ・相変わらずのイギリスの演劇レベルの高さ・俳優の表現力も、演出の表現力も。
    ・LAMDAが映像用の「物語芸術」に力を入れていること
    ・LAMDAの大学院生たちが受付などの業務もプロ並みに丁寧にこなすよう教育を受けていること
    ・イングランド銀行博物館がめちゃくちゃ面白かったこと
    ・お札は、二代前のものはもう流通させることができず、必ず新規のお札と取り替えなくてはならないこと(そのためにイングランド銀行に行く必要がありました。日本銀行に普通の人が行ったことがないのと同様、とても珍しい機会となりました)

    ご覧になったあなたは、どんな発見をしましたか?

  • アイルランド50代女一人旅 12: 10月10日 ダブリン

    今日は2022年10月10日。ついに旅程最終目的地ダブリンへ向かいます。

    素晴らしかった、けれど肝心のところを訪れられなかったのでまた来なくてはならないアラン諸島イニシュモアの宿泊施設をチェックアウト 0745
    歩いて港へ10分。0755 、着いたらちょうど日の出!
    港出発 0815
    天気も良く、あ〜これが昨日だったらな、と思いつつ、いやいやまた訪れるための神様のお計らい、と思い波を心地よく感じながら揺られて港へ。そこから再びバスでGalwayへ戻ります。

    Galwayについたら、荷物をKinlay Hostel から受け取り、やっぱりバスでDublin へ。列車も考えたけど、バスの二階席の方が景色が良いので、そうしました。

    ダブリン市内に入るとGuinessの大きな工場が見えてくる。

    Dublin 到着。

    なかなか良い天気。ホテルまで徒歩9分というので、歩くことにしました。歩き出すとすぐ Old Abbey Street が。ここに、Lady Gregory の創立したAbbey 劇場があります。

    2000年に日本の劇団プロデューサーの会で英国とアイルランドの劇場運営を見学するツアーが企画され、私は企画に携わりつつ、通訳として参加。どんな劇場をめぐれば、日本の劇場運営、ことに地方劇場の運営にプラスになるかを考え、いくつk訪問すべきところをピックアップ。その一つがアイルランドのアベイ劇場でした。

    こんなに劇場に近いとは、我ながら良いホテルを選んだものだ、えへん。

    街は、ゴミが散らかっていて、おしっこくさい。昔のロンドンみたいだ。

    ホテルは Gardiner’s Lodge という18世紀の建物。本当に素敵なの。
    チェックイン時刻前なので荷物だけ預けるつもりでいたら、部屋は用意してあるとのこと。しかもオーナーが、巨大なスーツケースを運んでくれた。しかも、シングルルームで頼んでいたのに無料アップグレードが付いていたおかげで、1階の、通りに面した、最高の部屋をあてがわれた。昔はダイニングルームだったんですって、つまり一番広い部屋というわけ。200年前の油絵もいくつも飾ってある。たくさんの額縁と絵に囲まれて、巨大な飾り鏡もあって、高い天井で、まるで映画の中のキャラクターを演じているみたいだ。気持ち良い! こういう暮らしがしたいんだよね。素敵だ。。。次回も絶対にここにしよう

    明日の朝は飛行機に乗るために5時起き、5時半に朝食! 6時のバスに乗る。できるかな。これから国際演劇協会日本センターの会員で翻訳者でもある知人 石川麻衣さんに会って一緒に観劇をするのだが、先に荷物をまとめることにする。洗濯もしてしまおう。

    15時半にホテルを出て、まずは、ホテルから空港行きのバスを教えてもらったので、乗り口をチェックする。明日の早朝に真っ暗な中で重いスーツケース二個と共に迷子になったら最悪ですからね。で歩き出すが、遠い。遠いじゃないか。その辺りかと思ってタバコしているバスの人に尋ねたら、Abbey Streetの一番奥が41番のバスだよ、と言う。またえんやコラと戻ると、く〜、ホテルから本当に近いところにAbbey Street の一番奥があった。ここなら数分で来られる。良かった!バス停チェックは大事よ、みなさん。

    そこから歩いて、愛しのオスカー・ワイルドの家に向かう。

    まずは、文学を教えていた学校のプラーク。
    職業名が Poet (詩人)、Dramatist(劇作家)、Wit(洒落者)となっている!

    途中のパブに、アイルランド人の好きな、銅像がベンチに座っているアートがあるので、一緒に写真を撮る。

    もう少し歩くと、彼の生家が。
    まんなかのプラークは、お父様のもの。父親はSirを貰えるほどの外科医でした。
    建物は、いま、アメリカ系の私立大学の校舎になっています。

    ワイルドの家、生まれた家。感激! 

    そこから、Lady Gregory が最初に自作を上演した劇場 Moleworth Hall へ向かいます。アベイに劇場を開く前にここにいたんですね。感動だなあ。

    そこから、Lady Gregory が宿泊場所にしていた16 South なんとか通りへ行く。それから、みんなのお土産を買わなくちゃと移動するが、買いきれないうちに待ち合わせ時刻に。

    オスカー・ワイルドも学んだダブリン大学のTrinity College 正門(とはどこ?と聞くと、アイリッシュウィスキー博物館のあるところ、と聞いてますます分からなくなるも)にて無事に麻衣ちゃんに会える。お土産買いたいんだけど、というと付き合ってくれて、稽古場用のチョコレート2箱と、個人用にコースターセットを買う。

    Cornucopiaというベジタリアンレストランで、エンチェラダを食べる。そこで結構いろんな話をする。麻衣ちゃんは、見た目の印象が、ほんわかほんのりふわふわの柔らかい大和撫子タイプで、私と正反対だろうと思っていたのですが、割と私と感覚が似ていて、嬉しかった。

    今夜の Abbey Theatreでは Joyce’s Women を観劇。好き嫌いが分かれる作品とのことだったが、私は喜びを持って観劇した。歌手がうまいよね。女優たちは美人が一人もいないんだけど、みんな味がある。でも演出がつまらない。なんでここで映像?とか思う。たくさん俳優がいるんだから、もっと演出できるだろうに、と。作家自身が、舞台の表現をあまり信じていないのだろうか。映像の方がリアルに現実を伝えられるとでも思っているんだろうか。それとも演出家の選択?いずれにせよ映像表現が無駄なところが多かった。そこはこっちの想像力と俳優の演技力で伝わりますけど、と思える。最後の「あなたは私のヒーローだ」みたいに言うとことも、わざわざジョイスの映像を出さなくたって。しかもジョイス本人じゃなくて、ジョイスを演じている俳優を出されてもね。それぞれの女たちが「あなたはどうだった?私はこうだった」で過去の解説話ばかりで、確かに人間関係のドラマがない。ドラマらしいといえば、娘が母親を刺した場面くらいで。でもそんなドラマチックなところを盛り上げて行くにしても、娘の葛藤とかが薄いんだよね。あと、その娘を演じた俳優がダンサーじゃないのは明確で、ダンサーだという設定が納得できなかった。麻衣ちゃんも、ドラマがないんだよね〜と言っていた。彼女はドラマを書きたくて奨学金を得てドラマを書くメンターの元で勉強しているんだけど、そのせいもあるのか、ドラマチックライティングについて理解が深いようだ。私にはまだわからない。こういう切り取り式ドキュメンタリーもそれなりに面白く演出できるのでは、と思ってしまうのだが。一人芝居を何度か扱っているせいか、「私はこうだった」の語り系に私が慣れているせいかもしれない。

    ホテルに戻り、買ったチョコレートとコーヒーで窓辺に座って日記を書く。あと2時間半、眠りましょ。
    この18世紀の邸宅で貴族の気分でね。

  • 野々島を知っていますか?

    野々島を知っていますか?

    2023年10月2日、仙台での表現ワークショップの次の日、浦戸諸島にある野々島というところを訪れました。

    仙台観光なら松島だろうと思っていたのですが、前日の会食でラボテューターが、小さな小船で島巡りをするのはどうですか、と提案してくださり、野乃島で小船観光をしている「マサルさん」に連絡を取ると、もう夕食どきだったにもかかわらず、お昼の観光に船を出すことを快諾してくださり、急遽、塩竈からフェリーで向かうことにしたのです。

    先月の東北学院大学での講演会授業を担当していらした東北弁シェイクスピアの下館和己先生も行きまーすということで、テューター二人と車2台でホテル前で待ち合わせました。

    フェリーもとっても小さい。

    なぜならば!

    浦戸諸島とは

    この浦戸諸島、大きめの四島と小さいものを入れれば何百という島でできているのですが、一般用の宿泊施設も食事処もほとんどなく、野々島には一軒もありません。そのため、訪れる人が滅多にいないのです。

    野々島に到着すると、「マサルさん」が早速ボートで待っていてくださり、我々は乗船すると救命胴衣をつけます。天気は晴れ。波は静か。そして、牡蠣の稚貝と海苔の養殖にはもってこいの、栄養豊富な静かな海のあいだを、まさるさんの楽しい解説を聴きながら進みます。船が小さいので海面がすぐそこ。切り立つ断崖も、小さな入江もすぐそこ。

    帆立貝の貝殻に挟まれた、牡蠣の稚貝の様子を見せてくれたり、島の隠れた入江にある三角のサインの謎解きをしたり。そうそう、火山灰が一気に6メートルも積もった硬い岩盤と、数センチの熱さの火山灰地層が幾重にも重なっている弱い地層とが隣り合わせに接している崖の下も通りました。どうして、隣り合わせで火山灰のつもり方が違うのか、いまだに謎なんですって。それに6メートルもの火山灰を積らせた火山って、どこ?蔵王ですかね、このあたりだと・・・。それも不明だそうです。わ〜。最後は、崖から海面に向かってトンネルになっている穴に向かって進んでいきます。見るだけかな、と思えるくらい天井の低いトンネルです。が、ええええっ、そのまま突っ込んでいきます。頭を上げないでください。わ〜通り抜けました。楽しいっ!

    このトンネルを越えると、風が変わりました。そして波があらだってきます。もう冬型の気圧配置になっていて、こんな風と波だと航行も気をつけなくてはなりません。カヌー遊びもできそうな状態でしたが、この波ではもう無理です。また夏に来ましょう。

    まさるさんの船を降りると、ラボテューターが買っておいてくださったお弁当「はらこめし」を持って、椿のトンネルを抜けて、島の入江に向かいます。大きな椿の木が左右に聳え立つ山の小道。季節にきたらさぞ美しかろう。

    さっき小舟から見たところ。そこにテーブルがあるので、お昼。はらこめし とは、鮭の切り身といくらのお弁当です。とってもとっても美味しい!駅で買うお弁当でこんなに美味しいのは初めてです。笹かまぼこもあり、昨日下館先生にいただいた延命餅がデザート。仙台、良いですね〜。ちなみに、この延命餅、つきたてを買いすぐに食べるのが一番美味しい。一晩経ってしまった今日の延命餅は、たっぷりのみたらしタレに浸かっていたので、かみごたえのある美味しさで、やはり美味しうございました。

    浜辺でじっくりこころを自然に還し、リフレッシュしてフェリーに乗り込みます。ここでも下館先生からいろいろ面白いお話をたくさん伺いました。宿泊予約とは塩釜でお別れ。われわれ女三人は、国宝瑞巌寺へ向かいます。松島にある瑞巌寺。起源はとても古いものですが、廃れていたところを政宗が立て直し、瑞巌寺という名前にしたのですね。襖絵はどれも煌びやかでピカピカ。え、本物はどこに?でも説明書きにはレプリカ、とも書かれていないし・・・。いろいろ不思議に思いながら、見事な立体に掘られた欄間(これは元々のものの状態であることが古さからわかります)や、日光東照宮の三猿を彫ったことで有名な左甚五郎(ひだり じんごろう)の作とされる「葡萄に栗鼠」の門に感心したり。これはとても小さな彫刻ですが、おそらく、すごいと言われる所以は、一枚の板を透かしで彫っていくそれが、何重にもなっているところかしら。時代を正確に考えると、甚五郎さん、これを彫ったのは12歳ごろとなってしまうため、違う職人かもしれない。いずれにせよ、すごいんです。

    これを鑑賞し終えるとそろそろ4時。閉館です。出口に戻った時、オリジナルの障壁画展示という表示が。えっ、これを先に見ればよかった!と声にだして残念がると、そこにいたお坊様が、いいですよ、いいですよ、ぜひ見ていってください、と自ら案内してくださいました。

    「それでは、本堂にある障壁画はレプリカですか?」

    「レプリカという言い方が正しいかわかりませんが、印刷ではありません。塗り方からなにから研究して、当時の絵の具、当時の道具、当時の方法で再現したものです。ですから、200年後に、いまの本堂のピカピカの障壁画が、いまみなさんがご覧になっているオリジナルのように古錆びてきたら、この再現プロジェクトは大成功であった、ということになります」

    なるほど〜!
    ロンドンにあるシェイクスピア・グローブ座は、当時と同じ400年の樫の木、当時と同じ製法(ができる人を、わずか二件しかなくなっていた職人たちに若者を弟子入りさせて、当時の技術の保存と育成も兼ねて、再現しました。この障壁画はそれに近いコンセプトで作られたというわけですね。素晴らしい!当時の華やかさを嘘ではなく体現できる貴重な場所です。

    というわけで、野々島、瑞巌寺と、仙台をこれから訪れる皆さん、ぜひぜひ行ってみてください。

    お世話になったラボテューター、ワークショップを楽しんでくれたラボっ子たち、フェロー会員たち、下館先生、ありがとうございました。
    仙台大好き!

  • アイルランド50代女一人旅 11 10月9日:イニシュモア島

    アイルランド50代女一人旅 11 10月9日:イニシュモア島

    出発前日のお勧めしない宿

    昨日はCuranroeでオイスターを食べてからのんびりGalway市内に戻り、レンタカーの指定駐車場に車を返却し、すでに閉まっているレンタカー屋さんに鍵だけ放り込んでおしまい。そこからはタクシーで、昨夜の宿となった Dun Aoibhinee Guest Accommodation まで向かいます。

    港の川を渡ります!

    ここがね、実はとんでもないなところでして。これは金曜の夜だったせいだろうか、とにかくGalway の宿という宿が、わのお財布の範囲内では満室で、かろうじてここだけなんとか残っていたので予約したのだが、それでも高かった。前日の豪華カントリーハウスCarrygerry よりも高かった。

    家全体の見た目は良いし、犬を飼っているオウナー男性も気さくなひとではあるのだが、階段を登ったどんつきにある部屋は、なんと3畳くらいしかない!シングルベッドの中でもとりわけ狭く短い鉄製のシングルベッド(救貧院か)とその横にかろうじてお財布などを置けそうな細い机。トイレとシャワーはベッドの裏に。トイレとシャワーの場所が一番広かった笑汗。

    全体像は、雲がかった大きな月の下でかなりゴシックでかっこいい感じなのです。高めの良い部屋もきっとあると思いますよ。

    タクシーが来ない

    このような Dun Aoibhinee Guest Accommodation をチェックアウト0800。

    タクシー迎えを8時20分ごろでお願いしたいたが、8時半になっても来ないので、電話したかった。が、このネット時代、電話番号を書いていないところが多いのね。で、ネットであらためて注文する方法しかなかった。すると、2台ほぼ同時に到着してしまった。実はほんの5分前、1台、それらしきものがする〜っと通り過ぎていったのだ。案の定、それだった。来ないかと思ってアプリで再注文しちゃったんだと言うと、「そのままでいいよ」と。いうことで帰国してから確認しても、ちゃんと請求は一台分でした。5分ほどの距離で迎え料金も入れて8.85€ 。10€札を渡して釣りはいらないと言いました。

    アラン諸島へ渡るフェリーに乗るために

    アラン諸島に渡るフェリーに乗るために、まず、それ専用のバスに乗ってアイルランド本島の西の端 Rossaveel まで行くのだ。

    Aran Island Ferries のバスのチケットコレクションは初日に済ませているので、OK。フェリーに巨大なスーツケースを持っていきたくないので、キンレイホステルのロッカーに大きな荷物を入れる。この荷物搬入もいろいろ面白かった。予約はできない。ホステルに行ったらロッカー室の鍵をもらう。そのときに鍵が誰かによって使われていたら、鍵はもらえない。一か八か的要素が大きい(笑)。幸い、鍵を受け取ることができて、ロッカーに預けることができました。

    バス集合は、Merchants Rd のさらに裏にある。島出身らしい青年が、車椅子の人を助けてあげようとしていた話を横聞き。アメリカからの作家集団らしい。島出身の彼の英語を聞き取れないアメリカ人たち。そこへ瞳が飛び出した自己主張の強そうな細い女性が「私がアイリッシュとアメリカンの通訳をします」。「私は州出身ではありません。でもアメリカ人。なぜでしょう?実はWashington DC 出身です。これは州じゃないからね、みなさん、ははは」と楽しいジョークを飛ばしていた。そして選挙と投票制度と州議会や州議会議員がないことなどを皆に教えている。知らない人なので聞いていないふりをしてしっかり聞いているとなかなかに面白い。そして彼女は、練習しているアイリッシュをついに現場で使うことができる!と言って、カフェラテの注文方法を発音しました。が、アイリッシュの青年には通じない。「え、phonetic的には合ってるんだけど」。まあ、おそらく、アイリッシュにもいろいろ方言があるのでしょうな。

    バス乗車は、0930。これがまたすったもんだ。先にアメリカ人の作家集団が乗り込むのだが、車椅子はともかく、全員、巨大なスーツケースとお土産品とを両手に抱えきれないほど持っている。これで島へ行くんですか?・・・思考回路が私の想像を超えている・・・。で、その車椅子を先に乗せたせいで、18人全員を先に載せることになり、ツアー代表者がドライバーと一緒に人数を数えるのだが、巨大なスーツケースが突っかかったり、二階建てバスの二階に行こうかどうしようか話し合ったりしているのだろう、全然進まない。ドライバーが業を煮やして「進んで〜!」と大声を出すのだが、なかなか。そしてやっと7人くらいまで数えたところで、「後の集団は後ろの方にいる」と新情報。で、ツアー担当者が後ろの方までてくてく歩いて行って、みんなに声がけ。その後続集団がみんな急がずにぞろぞろ重そうに来るのだが、きては「スーツケースを預けたいんだけど」などを人数を数えているドライバーに話しかける。ドライバー「14、持って入って、14と」と数えた数を忘れまいと必死のドライバー、一人っきりで大変だ。アメリカ人、面白すぎる。しかも作家集団が相手となると、それぞれ弁が立つからますます大変。

    フェリー乗船は1030。間に合うのだろうか・・・。アイルランド島の西の端の入江にあるフェリー乗り場には、バスドライバーが飛ばしたおかげで10時には到着。アイリッシュウルフハウンドらしい犬も乗る。ダイエット手術番組に出てきそうな巨大な女性が、何分もかけてゆっくり歩いて乗る。色々びっくりです。

    バス乗り場

    あとは、Rossaveel からInishmore まで乗っていれば良い。しかし天気は雨。到着二日目にモヘーの断崖に行く途中の港の荒れ具合に恐怖していたし、フェリーで揺れたら嫌だな、と飲まず食わずで乗り込む。水ボトルは用意してある。

    フェリー内

    1035にエンジンがかかりました。1037動き出したのがわからないくらいスムーズに後進!

    フェリーに揺られながら、島での行動を脳内シミュレーション。島の波止場には馬車やレンタル自転車の案内とかミニバスとかが待ち構えているらしい。いろんなブログを見て、バスが一番良いと感じた。この島の一番の名所はドン・エンガスという巨石文化の遺跡。そこ1箇所ならなんとか自転車でもたどり着けるかもしれないが、島の中をたくさん見て回るとなると、アップダウンが結構あって大変だろう。ひとりぼっちになる瞬間も出てくるし、それは危険すぎる。そして、この天候でドン・エンガスまで歩く気になるかどうかだ。とにかく私にとっての今回のイニシュモア島訪問は、世界遺産ドン・エンガスではなく、3ヶ月後に上演する芝居『出られないふたり』にて言及されるセブンチャーチという教会墓地が第一。

    あとはアザラシのコロニーを見たい。でも海が荒れていると岩場まで上がってこないかもしれない。

    そんなことを考えながらフェリーに揺られる。フェリーでは一旦、上の階に行ってみたが、そういえば下の波際の方が波が当たるのが面白いだろう、とまた下に降りた。入り組んだ入江とその間が沈んでできたアラン島との間の海なので、外海というほどではない。モーターボートで普通に進んでいるくらいの波乗りです。船の下に波がドガンと当たるのが、船が壊れそうに思えて怖いんですよね。横揺れがほとんどなく、縦に波を乗り越えていくので、酔いはしません。が、雨と風で予想通り、波飛沫が窓に当たるのがワクワクでした。

    バスツアー開始

    波止場に到着すると横殴りに降り頻る雨の中、ツアーバスが数台横付けしている。一番手前のドライバーがめちゃめちゃ呼び込むので(営業トークというより、ここへとにかく入れ、と、真剣みが強い)値段も知らず、とにかく乗った。「セブンチャーチに行く?」「これは島中全部回るよ」ほんとかいな。でも乗り込んだ。旅行前にチェックしていた経験者のブログにある通り、全座席が完璧に埋まるまで呼び込む。狭い車内、私の横には大きなドイツ人男性が座った。彼の妻は通路を挟んだ一つ後ろに座った。私は窓際だったので、彼は脚を通路に出せたから、悪くなかっただろう。

    ツアーガイドさんのアイルランド訛りの強い英語が心地よい。

    彼によると・・・

    ・この島は、ジャガイモ飢饉の時に人がたくさん移住してきたそうな。なぜなら、この島にはジャガイモ伝染病が来なかったので。なるほど。

    ・島では雪は降らない。なるほど。

    ・島は岩で覆われている。というか、島全体が巨大な岩でできている。ここに移住してきた人たちが目にしたのは、一枚岩の島であった。物を育てようにも、土がない。土を作るところから始めた。

     移住一年目に塀を作る。

     2年目に砂と海藻を運び込んで土壌を作る。

     3年目にジャガイモを作る。

     岩がない場所は全て人の手によるもの。すごい・・・。

    先ずアザラシコロニーを観に行く。3頭発見! 最初、わからなかったけれど、誰かが「ああ、いるいる、見える」というので、「見えるはずだ」と思うと、見えるものなんですよね。人生と同じ。できるはずだ、と思うとできる。私はもっと確信を持って人生を行かないとダメだな。で、この否定形の文章構造を、「私はもっと確信を持って人生を行けば必ず大丈夫」と言い換えるべし。アザラシは、一頭は左肩を下にして横に寝そべり、あとの2頭は、よく分からない形で、いた。こっちを見ている。それが可愛い。これだけの雨風なのに、アザラシのいるあたりの海がとても静か。なるほど、コロニーにはふさわしい場所であるわけだ。

    ドンエンガスに行けなかった話

    ドンエンガスは、この島1番の見どころ。この島へ来るのはここを見たいから。3000年前の巨石文化の遺跡と考えられているが、詳しいことは何もわかっていない。大西洋に面した断崖絶壁に向かって半円で囲まれた岩塀があることを考えると、生贄の儀式が行われたろうとわたしには思える。写真でみると、かつては屋根がかかっていたろうとも思われる。

    なのにものすごい雨風。滑るから気をつけてとのこと。足元もそうだが、強風でとても歩く気がせず、断念。その間、カフェでアラン島山羊チーズサラダと紅茶でランチ。バスが到着が1215、出るのが1315と聞いていたので慌ててアランセーターを買いに行く。その時には雨が上がっていた。く〜残念。

    午後から夜にかけてはめちゃくちゃ晴れたので、ブログのおしまいを見てね。

    次は 春から夏にかけて、もう少し長くいて、自転車を借りて、ゆっくり回りましょう。もうひとつ、黒砦 Black Fort と呼ばれる遺跡も隣にあるので、それも合わせて見たいです。

    アラン・セーターを買おう

    セールでは2枚99€もあり、奥には295€のもあった。奥にあるセールをしない、この島でしか買えない本物の手編み hand knitted だそうで、これを自分のために1枚。お土産用は洗濯も簡単なように機械手編み handloomed のを買った。支払いの最中に時刻になったので心配していたら、高い買い物をした私にショップの男女が親切で、バスのドライバーのことやバスの様子のことなどを聞いてくれた。バス到着が1215であることを言うと、あーそれなら1時間では来ないわ。行って帰って1時間で、カフェ Teach Nan Phaidiでお茶とトイレもして、の時間を計算してるから90分は見ているはずとのこと。そして、ついにカラフルな模様が書いてあるアラン・サファリというバスがやってきた。私の座席に残した荷物もちゃんとあった。アジア人が嫌いな印象を、このバスドライバーからも、モヘーのドライバーからも受けたので、私を置いてどっか行っちゃってしまったのではないか、他のバスは乗せてくれるんだろうか、もう現金が無いのに、と心配したのです。

    ちなみにカフェでは、アラン島の山羊チーズのサラダ。山羊チーズは、丸いウズラの卵大のもので、もふもふ系ではなくしっとり系だった。サラダのドレッシングが美味しかった。

    バスがやっと来て、みんな乗り込み始めた。セーターショップの人が言っていた通りのバス。みんな知り合いなんだね。

    次の行き先は、いよいよセブン・チャーチ。

    この島へ来た目的の場所セブン・チャーチ

    到着して、ドライバーに「ここに来たかったんです!」と言うと「好きなだけいて、待ってるから」と。アジア人は嫌われていると思ったが、英語ができれば態度が変わる。なるほど。日本からわざわざ、ドンエンガスではなく、セブンチャーチを見にきたと、しばらくバス内でいじられました。ドライバーさん、いいやつだ。

    セブン・チャーチをぐるりと撮影して周ると、ここが海に面していることを知った。海の向こうは断崖絶壁と信じられていた時代に、島の陸地の端から、アイルランド島の陸地に向かって祈りを捧げる場所なんだな、とわかりました。バスに戻ると、乗客たちが「あなたのお墓もありましたね」とバスドライバーに指摘すると「そう、うちは代々ここだから」と言っていた。ほう! 3ヶ月後に上演する戯曲『出られないふたり』では、ひとりが「俺の親父はな、セブン・チャーチに眠ってるんだぜ」と自慢する台詞がある。古い古い墓石。たくさん動画と写真を撮って、俳優たちに見せる素材を確保しました。

    島の先端のビーチ

    次が、島の最先端のビーチ。と言っても、泳げるようなところではなく、波止場というほどでもなく、ただ船を出せそうなところ。突然、誰かが「アザラシ!」と叫ぶ。二頭、波間から頭を出してこちらを観察している。可愛い! ここでドライバーとみんなと写真を撮った。ドライバーが、一人でいる私に「撮ってあげるよ」と言ってくれて、それから一緒に撮った。よかったね。

    あとは、降りずに、Man of Aran を撮影した小屋とか、古い民家の状態などを見て回った。

    うらめしや晴天

    天気はどんどん回復し、ツアーが終わることには晴天に。悔しいなあ。でも再びおいで、という意味だろうと解釈する。必ず一つは、できそこなっかことがあり、それを満たすために次があるのだ。人生も同じだ。だから楽しいしワクワクするし計画を立てることができる。それを、年齢や性別や圧力や流れのせいにして諦めるのは容易い。だから、容易くないことを選ぶ人が素晴らしいのだ。

    バスを降り、宿泊先 Aran Islands Camping & Glampingへ向かう。

    Inishmore 宿泊先では、夜には真っ暗闇になるらしいので、18時までに食事を夜朝の二食分調達しておくこと。

    Information Centre からCamping and Glamping まで歩いて10分

    どうやってチェックインするのかよく分からなかったが、とにかく行こうと歩き出す。さっき買ったアランセーターが重い。10分って結構距離あるね。

    Frenchmen’s Beach フランス男ビーチという浜辺を超えるとそのすぐ先だ。石造りの事務棟があり、そこでチェックインできた。あとは鍵をもらって、4番という小屋へ行く。

    この4番コテージは、海に面していて最高だ! 背後に、海には面していない棟の列もあるので、これはラッキーでした! ダブルベッドと、ソファベットが二つで、4人は寝られる小屋だが、私は独り占め。

    それから街へ再度出て、スーパーマーケットSPARへ行く。何もかも大人数用で、色々無駄にするかと思ったが、アラン島BRIEチーズと、スパイシーフムスとクラッカーとサラダ菜ミックスと、明日の朝用にベジタリアンサンドを買った。

    部屋に戻って、ふと窓の外を見ると、目の前に巨大な月が現れた。なんと満月の月の出を見た!
    3ヶ月後に上演する芝居『月が昇れば』そのもの!と、神様に祝福されている気持ち満載です。 

    海は静かで月の光が煌々と海に映る。部屋の電気をつける気にならずに、月明かりだけで、結局午前2時ごろまでかかってチーズを平らげた。アラン島やアイルランドの歴史を調べたりしながら夜を過ごす。

    雨風でドン・エンガスに行けなかったこと以外は、最高だ。とにかくこのロッジと海と満月が最高で、これだけでも今日は良い日だ。ありがとうイニシュモア。また来なくちゃね。

  • アイルランド50代女一人旅10 イェイツタワー

    アイルランド50代女一人旅10 イェイツタワー

    2023年10月8日 グレゴリー博物館の館長さんに教えていただいて、イェイツタワーに向かいます。

    その前に、この街の救貧院に行ってみました。レディ・グレゴリーは『The Workhouse Ward (直訳は「救貧院病棟」。私が上演した際につけた日本語タイトルは『出られない二人』)』という戯曲を書きましたが、彼女はその戯曲を書くためというよりも、古来のアイルランド語圏民の言語や暮らしをリサーチには、大英帝国の恩恵を受けてこなかった貧民たちと触れ合うのが最も良いと考え、救貧院を頻繁に訪れていたのです。『出られないふたり』には金持ちのイギリス系婦人が登場しますが、グレゴリー自身がモデルになっているのかもしれませんね。その彼女が頻繁に訪れたのが、彼女の住まいである Gort ゴートにある救貧院。今は彫刻家の私邸(アトリエ)として使用されているけど、友達だから、安心して訪ねて見て、とグレゴリー博物館の館長さんに言っていただきました。すごいぞ、グレゴリー・コネクション。というわけで、到着したは良いのですが、たしかに救貧院らしき雰囲気はある。が、そもそも塀が高くつくられ、一般の人の目には中が見えないようになっていたものだから、当然、中を見ることはできません。高い塀に沿って歩いていくと、陶器アーティストのアトリエらしい立派な入り口がある。ちょっと入り口にびびって、違うかもしれないと思ってしまい、結局声をかけずに車に戻りました。

    こちらの動画がその記録↓

    それから絶対に行ってご覧と言われた、イェイツタワーへ向かいました。その名も

    Thoor Ballylee. トール・ベリリー。

    thoor とは、tower のこと。ベリリー塔という意味です。15世紀のブルグ家の城です。19世紀からグレゴリー家の所有となり、グレゴリーに嫁いだオーガタ・レディ・グレゴリーがイェイツのパトロンとなった関係でしょうか、この城をわずか35ポンドでイェイツが買い上げ、1929年までの12年間を彼は家族とここで暮らしました。1929年にイェイツに見捨てられたこの塔は、1951年、アメリカの映画監督ジョン・フォードの『静かなる男』でフィーチャーされたりしましたが、塔自体は見捨てられたまま、1965年になってようやく、イェイツ博物館として生まれ変わりました。

    目の前に川があり、その川が真っ黒なんです。川床が真っ黒。タールですね。えーっと、かなり古代に沼で死んだ人が化石状態になって発掘されたりする土壌がイングランド〜スコットランド〜アイルランドにはあって、その土壌は bog ボグと呼ばれるのですが、ここもそれ。ボグとは、要するに、タールの沼地なんですよ。そのタールが土壌にあるので、川が真っ黒で、かつ、川床が赤いんです。見るとびっくりします。日本では見られないタイプの(無知なので、日本でもあるかもしれませんが)赤黒い川床です。最初、鉄分かと思いましたが、鉄分もあるかもしれませんがタールだそうです。

    塔の中は、まるで中世。え、どこに「部屋」があるの?という感じで、階ひとつひとつがオープンスペースのようになっています。寝室と書斎のある夫婦の階、子供部屋の階、となんとなくわかります。川の上に立っていますから、湿気はものすごかったんじゃ無いかな、などいろいろ「じぶんが住むなら」を考えてしまいました。

    塔のてっぺん、屋上に出ると、ぐるりとこのあたりが見渡せます。やはり「住まい」というよりは「砦」感。そこがまたいいんだけどね。
    屋上の扉はめちゃくちゃ小さい。
    東西南北、見渡せます。遠くの丘がいいね。森の中に消えていく川もいいね。苔むした屋上の石積みもいいね。

    向かい側にはコテージもあって、そこでイェイツ関連のワークショップや学習プログラムが行われているとのこと。なるほど=。

    小川に沿って歩いていくと、倒木。それを潜って超えるとまた倒木。それを潜って超えないうちにまた倒木。これさあ、映画でみるけど、想像上の「現実にはない状況」だと思っていました。例えば Star Wars とか Avatar みたいに。ところがどっこい、現実に存在してた・・・。ヨーロッパすごい。舞台装置として美術家が想像して「創り上げる」までもなく、倒木3本連続って、ふつーにあるんだ、ですよ。特撮じゃなくて、ここに撮りに来ればいいんじゃね、です。ヨーロッパの森に入ったらこれもフツーなのね。『ハリー・ポッター』も『白雪姫』も『 ターザン』も『ジャングルブック』も『指輪物語』も、とにかく森の中で倒れた木をくぐる場面は全部、実際にあるんだな。と、ものすごくびっくりした三輪えり花。こんな森があったらな、という想像力ありきじゃなくて、こんな森があるからな、の現実ありきの冒険物語なのだよ。なるほどなぁ。

    と、妙になるほどの多いベリリー塔探索でありました。紹介してくださった皆さん、ありがとうございます。それから、この塔の案内係に話を通してくださったグレゴリー博物館のキュレイターさん、ありがとうございます。

    今日は塔でイベントがあるとかで、後からそのキュレイターさんがとってもおしゃれして到着して、一瞬誰だかわからぬ美しい変身ぶりでした。

    これらの学びがこれからの三輪えり花の芸術活動に影響していくと思うと本当にワクワクします。

    レンタカーを返す時刻は、実は、勝手に鍵を入れといて、とありがたい曖昧さなので、お尻時刻に焦ることなく行動できます。

    最後に、『出られないふたり』に登場する村キュランロゥに寄り、遅いランチとしてオイスターを食べます。毎日オイスター! Curranroe は1837年にはあった村で、もう村としては存在しないの。Flaggy Shore という撮影スポットは、静かな港。一団がスキューバダイビングをしていた。巨大なカメラや投光器を持参していたので、何かの撮影隊かもしれない。話しかけてもあまり詳しく教えてくれなかったから、何かの捜索だったのかもしれない。

    そしてロブスターバーでオイスター食べる。14€。

    ロブスターは40€するし、これからゴルウェイに戻るのでオイスターだけにしておく。オイスターはブラウンブレッドと一緒に食べるのが慣わしのようです。

    1人でふらりときてギネスをハーフパイント頼んでスマホしている私と同年代の女性もいる。家族パーティーもやっている。いいところだなぁ。

    パンはサービスだったし、小銭のお釣りもきた。良心的ですね。

    明日はいよいよイニシュモアへ渡ります。

    つづきをお楽しみに!