close up photo of person preparing ceremonial tea drink

茶道奮闘記 5: はじめての平点前

2023年7月21日金曜日市谷麗扇会にて茶道と書道のお稽古。

先生は、私のレッスン履歴を見て

「盆略点前を3回やっているので、平点前をやってみましょう」
「盆略点前も全く憶えておりませんし・・・」
「やっていくうちに憶えるから大丈夫。男性は平点前から始めるのですよ」

と説得されて、やってみることに。

一番印象に残ったこと

「柄杓を構えるとき、ちょうど心を映す鏡のように」

な!なんと美しい表現なのだ!!その気持ちで柄杓を構えると、深い息が出て胸がいっぱいになりました。あまりの感動に涙目に。

先生は

「普段は言葉で伝えるだけで、やって見せないんだけど、えり花ちゃんは目で見て憶えるタイプみたいだから、お見せしますね」

と、それぞれの方法を見せてくださった。

そうなのです。最高の人のものを見ると、その本質や空気感まで伝わってくるので、その持ち方や動かし方について腑に落ちて、イメージが自分の中にできてくるんですよね。動きができるわけではないのですし、一度で憶えることはもちろんないのですが、理想系のイメージが積み重なっていくのが、私がものを憶える過程かと思います。私はとても不器用で、体育は5段階評価の1だし、体育の教師にはいつもいじめられていたし、ジャズダンスをやってみたいと思っても、振り付けが脳内でバラバラになってしまい全く憶えられず。4月までの日舞もそうでした。でも録画したものを見て先生の動きを視覚的に目に入れると、やっと憶えられるのです。演技もそうやって学びました。英国で最高の俳優たちをいつも目の当たりにして、それで自分の中で演技の理想形が積み重なってきたのです。

平点前は、お盆におかず、畳の上に茶道具を並べる。

今日は、最初の準備は先生がしてくださいました。(茶碗の中に茶巾を入れる、茶筅と茶杓を茶碗にセットする、など)

水入れ(名前失念)の前に茶碗と棗をセットするのだが、わが置いたあと、先生が場所を直したので、わけを尋ねました。

「茶碗の大きさ、水入れの大きさや形などで、どう置いたら一番美しいかを狙って」

とのこと。うむ=。

建水の中に、小さな竹の節が入っている(名前を知らない)。これが柄杓置きになるのだ。へ〜。柄杓のあとは、釜の蓋置になる。へ〜。

この竹節に柄杓を置く時、水を汲む部分を伏せた形で、その竹節の向こう側にコン!と音を立てるくらいに当てて、柄杓の柄をすっと斜め下方向へ引くように置く。この、コン!は日本庭園で聞く鹿おどし(ししおどし)をイメージする音のように思えます。

ものを持つ時、水入れのような重いものは両手で一度に持つけれど、そのほかは、だいたい、両手で一度に持つことはなく、左右の手を交互に当ててつかっていくのだね。

沸騰している釜の蓋を取る。帛紗をガバッと蓋に被せ、全体でしっかり掴む。めちゃめちゃすべりやすいし、一方で、しっかり持とうとおもうと熱湯でカンカンになっている鉄の蓋に触ってしまう。ひえ〜。

柄杓の持ち方もいろいろあって

置き柄杓(おきびしゃく)
切り柄杓(きりびしゃく)
引き柄杓(ひきびしゃく)

このうち、切り柄杓は、お茶用のお湯を汲んだあとにのみ行うもので、茶道の中で最も華やかで目を引く行為なのだそうだ。ほ〜。4本の指と手の甲を美しく見せるのだ。

それにしても、お湯や水をこぼさないように柄杓を扱うのは大変。手がプルプルする。蓋は熱くて、帛紗でつかむにもツルツルして危なくてしかたない。これらに慣れてできるようにならなくてはなのだな。

そうそう、お菓子を勧めるとき、

「ちゃんと上席のお客様に向けて言います」
「目は合わせますか? 日本は目を伏せるのが良い感じというイメージがあります」
「ちゃんと目を合わせます。偉そうにするのではなく、しっかりこころを通わせて、あなたにお話ししております、という感じで」

なるほど!伏目がちにするのが良いわけではないのだ。

盆略点前と違う点は、あと、水入れの水を釜に戻す段取りがあるとか、です。

今日は下げるところまではやりませんでした。

先生はとても丁寧に教えてくださる。わがいろいろ質問することを嫌がらない。

日本の他の方々が、習い事で質問をするのをわはあまり見たことがない。わの行う授業やワークショップ、レッスンでも、ほとんど質問は来ない。わざわざ「何か質問は?」と言ってもあまり来ない。人数が多い時は遠慮するのもわかるが、少人数の時は質問したいことはどんどんすべきだと思っている。質問が見つからないのが一番よくない。

話が逸れたが、盆略点前でやっていることが平点前で、お湯と柄杓関係以外は全く同じであることがわかりました。

で、もののお清めも、抹茶の入れ方・立て方、そしてしまいかたも、部分ぶぶんではなんとなく憶えているものの、繋がらない。

まだまだこれからです。
とにかく今日は、柄杓を心を映す鏡の位置に構えるというところに素晴らしい美学を感じて、お茶はいいなあ、と思えたのが最高でした。


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