スタニスラフスキイの台本読解はこんなに凄い

演技や演出をする上で欠かせないのが、キャラクターたちの行動をナチュラルで信憑性のあるものにする、台本読解。
これがどれだけ凄いか、三輪えり花の実体験をちょっとお話させてください。

スタニスラフスキイと三輪えり花の出会い

台本読解という概念自体は、かなり新しくて、19世紀の末、帝政ロシアで生まれました。
モスクワ芸術座に入ったばかりの新人演出家コンスタンティン・スタニスラフスキイが確立したもので、スタニスラフスキイ・システムと呼ばれます。

三輪えり花も、英国王立演劇アカデミーRoyal Academy of Dramatic Art (RADA) の通訳をした際、実は初めて知りました。

(はいはい、カナダ留学時代は、1年生の科目しか取れなかったので、スタニスラフスキイに触れる機会がなく。イギリス大学院留学時代は、前衛的な実験劇の方向に行っていたので、これまた触れる機会がなく。とほほの無知だったんですのえ)

で、イギリスへの2回目の留学、つまりRADA 留学の半年前、日本人のための四週間ワークショップが RADA で開かれ、私はそれに通訳としてではなく、俳優として参加。

そこで、チェーホフの『桜の園』を取り上げていました。

それまでも、チェーホフは台本として読んだことはありました。
ピーター・ブルックが銀座セゾン劇場(というのがバブル時代の1980年代にはあったんだよ)に『桜の園』をもってきたときも、朝から並んでチケットを取って観ました。

けれど、いまひとつ、いったい何が面白いのか、よくわからないことも多かったのです。

が、その4週間ワークショップで、担当のブリジット・パネ先生が、こう尋ねます。

地主はなぜ眠ってしまったのか

「このト書(台本の中で、セリフ以外で俳優が行わなくてはならない動きの指示が書いてあるところ)に、”地主は寝ている”とありますね。なんで?」

は?

眠いから、とか、話が退屈だから、とか、昨日遅くまで飲んでいたからではないのか、とか、今朝が早かったからじゃないのか、とか。日本人たちは答えます。

ブリジット
「この地主は、眠ってしまう前は何をしていましたか?」

みんな、あわてて台本をめくって、
話をしています、女主人ラネーフスカヤに会いに来ました、とか答えます。

ブリジット
「ええ、ええ。でも、寝てしまう前に何をしていましたか?彼はなんて言っている?」

みんな、あわてて台本をめくって
「まだそんなものを飲んでいるのですか、およこしなさい。ト書:地主、それを全部飲んでしまう。他のキャラクターが言う。おやおや」

ブリジット
「飲んだのはなんですか?何を飲んだの?」

みんな、あわてて台本をめくって
「ラネーフスカヤ夫人の薬です」

「ええ、でも、なんの薬?」
「なんだろう、頭痛薬?酔い止め?」

ブリジット
「ラネーフスカヤ夫人は、薬を飲む前に、なにがあったの?」

みんな、あわてて台本をめくって
「昔の家庭教師に会って、ずいぶん老けたこと、と言って泣きました」

「その家庭教師は誰の家庭教師?」
「ラネーフスカヤ夫人の息子のです」

「息子はどうなったの?」
「その家庭教師と川で水遊びをしているときに溺れて死にました」

「そのあと、ラネーフスカヤ夫人はどうしたの?」
「・・・」
「ラネーフスカヤ夫人は今までどこにいたの?今日はどこから帰ってきたの?」
「パリです」

「なんでパリに行ったの?」
「・・・」
「息子の死を思い出させるこの家にはいたくなかったんじゃない?」
「なるほど」

「帰ってきて、この家庭教師に会ったらなんと思うの?」
「息子を思い出すかも」

「でしょ。しかも、老けたのよ、この家庭教師」
「それだけ時間が経ったということを思い知らされる」

「でしょ。で、なんでここで薬を飲むの?」
「あ。精神安定剤?」

「その通り! 当時の精神安定剤とは?」
「???」

「アヘンです。」

(三輪えり花は世界史専攻だったので、阿片戦争やアヘンの害について知っていた。でも、上流階級の人までが、精神安定剤として使用していたとは! びっくりした。)

「当時、すでに、アヘンは、ロシアの上流階級のあいだでも、危険すぎると禁止されていました。でも、みんな辞められなくて、なんとか手に入れようとしていたのね。当然、値が張ります。ラネーフスカヤはパリでもこれを常用していたんでしょう。地主は、ラネーフスカヤがアヘンを持っているのを見て、「まだそんなものを飲んでいるのですか」と、危険だからやめなさい、と、表向きは彼女のために取り上げる、と、自分で全部飲んでしまったんです」

This is 台本読解!

台本読解のおもしろさに初めて取り込まれたのがまさにこの瞬間でした。

何ページも前の行動が、何ページも後に繋がってくる。

世界の動向が、その時の社会が、人々の気持ちが、欲求が、ページの中に隠されている。

世界史を知り、地方史を知り、天候や気候がキャラクターの行動にいかに影響を及ぼすかを想像し、社会常識やタブーが彼らの言葉の奥に漂っている。

なんて面白いんだ!!!

劇団昴に送ってもらい、皆様の税金でいかせていただいた、文化庁新進芸術家在外研修員としての学びの始まりが、このとき生まれたのです。

半年後、私はイギリス演出家協会の二週間ワークショップで、シェイクスピア演技と演出のおもしろさに初めて気づく体験もし、そして、いよいよRADAの寮に入って、ほんものの学びを始めたわけです。

ブリジットによって明かされた、スタニスラフスキイの台本読解は、今でも私の台本読解の元となっています。

台本と歴史と社会の中に、キャラクターの行動の鍵がある。

スタニスラフスキイの台本読解は、表現力を支える

2年間の研修を終えて帰国後、三輪えり花は劇団昴の演出家として活動を始めます。
演劇学校でもスタニスラフスキイを教え、また、シェイクスピアやモリエールやギリシャ劇を教えてきました。

その三輪えり花が、ついにチェーホフの名作『かもめ』に挑戦します。

プーチンのウクライナ侵攻前の2月、まだロシアがロシアだった頃、ロシア人の優秀な演出家ヴィクトル・ニジェリスコイが三輪えり花を『かもめ』のアルカージナに抜擢してくれました。

いずれ公演をするつもりで、公開稽古からスタートすることにしました。

しかし
あの後、ロシアがこんなことになるとは思いもよりませんでした。

私たちはアーティストとして、人間の尊厳と、相手への尊重を大事にしており、ヴィクトルさんともそれを確認しています。
公開稽古を含め、表現力とは何か、それを支えるものは何か、を追求するIDEAL プロジェクトとして、みなさんにその端緒をご覧いただけるようにしました。


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