バイカル湖の新しい動画も追加しました。最大の聖地シャーマンロックから北の岬へ向かう氷の奇巌たちです。とても美しい!心もスッキリ!
オンライン授業も始まるし
今週から多くの大学で、オンラインによるリモート授業が始まります。大学ごとに方針や使用システムが異なり、大学ごとにZOOMアカウントなども取り直したり、と講師も学生も大変でしょう。
あなたはオンラインで何か発信することはありますか?
目で読む言葉と音にする言葉
日本では話す方の言葉は、話し言葉 として、文字で読むための言葉よりも一段低い位置に置かれているような気がしてなりません。これを機に、話し言葉の質と格をあげていければいいな、と思っています。
話し言葉が簡単になりすぎているのは問題です。
書き言葉の漢字がすっと脳内に入ってくるようにしたいものですね。
言葉は、自分がその言葉にどんな思いを持っているか、がとても重要です。
りんご は果物の名前ですが、青森や弘前の人は大変な郷愁を感じるもの。(十把一絡げに青森や弘前と言いました。自分は青森出身だがリンゴに郷愁は感じないという人もいると思いますが、そういうことを言っていると、言葉尻を捉えられない用意逃げ回る文章しか書けなくなる恐れがあるので、十把一絡げにします)
祭り という言葉は、御神輿を想像する人もいるでしょうし、盆踊りを想像する人もいる、地元のお祭りを強く思う人もいるでしょう。
言葉は、あるものの名前や事象というつまらないものではありません。
言葉とは、個人個人の経験で初めて成り立つ、血の通ったものなのです。
昔、姉と母が、太宰治の『斜陽』というタイトルの英訳について口論していました。
母は、『斜陽』という暮れていく物悲しさは英語の setting sun では表せない、というのに対し、
姉は、英語圏の人には、setting sun という言葉に「暮れていく物悲しさ」を感じるかもしれないんだよ、というのでした。
どちらも理解できますね。
『吾輩は猫である』なんて「わがはい」「である」にこそ面白さがあるのに、英語では I am a cat. ですから。これはもうほんとに英語では出せない味ですよね。
吾輩は猫である、と似た感じとなると、シェイクスピアの『ハムレット』に、ハムレットが墓場で身分を明かすとき、
This is I, Hamlet the Dane.というセリフです。
これを参考にすると、吾輩は猫である、は、
This is I, the very Cat itself.
なんかどうでしょう?
【今週のライブインタラクション】
言葉に意識を向けてみよう。
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