入エジプト記5 アラブの友達 Ex-Exodus 5

アラブ国際演劇祭の1週間でお友達になった方々を記録しておきます。

左 チュニジアの文化担当官ムニールさん中 通訳のハイサムさん

パレスチナから演劇祭の視察にやってきた面々が、劇場の向かいのボックスに陣取っていたのをハイサムさんが発見。わたしはまだ知らない人たち状態でしたが、彼らはハイサムさんに手を振っています。

終演後のロビーで、ハイサムさんの紹介で。日本にも、国際演劇協会の「紛争地域の演劇」シリーズかなにかで来日し、ハイサムさんは通訳をしたことがあるそうです。イハーブさんと、えっと・・・。

スェーデンのストックホルムで、ユネスコ関連の事務所CIDにいるバレエの振付家アニッサさん。

いちばん仲良くなった、ドイツ国ハノーヴァーで演劇研究者・演出家をやっているフェタさん。

重鎮のおひとり、スーダンのアリさんが先生と仰ぐ、ユーシフさん。あまり英語が得意ではないようで、いちど食卓がいっしょになったけれど、ほとんど話せず、彼はわたしのために山のようにデザートを取ってきてくれました。デザートをたべないわたしとしては、非常に困った・・・とにかく、アラブ演劇祭の重要人物の一人です。メイン審査員でもあり、演劇研究者として表彰もされていました。

スーダンの友人(であり、国連大使に登り詰めた)アリさんの同僚、シャムス・エルディンさんです。スーダンの演劇について、たいへん深く教えてくれました。西欧の、アフリカ植民地政策の一環としての演劇が非常に重視されたことなど、それが今でも深く影響していることなど、日本の伝統芸能と現代劇との関係のようだと思いました。

フェタさんと、仲の良い、ドイツ国ベルリンで活動中の演出家で演劇研究者のラミースさん。力強いおばあちゃんで、わたしを非常に可愛がってくれました。わたしが10代に見えたらしい。いつも手を繋いで、一番前に連れて行ってくれました。

背中で食事をするおかた。頻繁に見かけましたが、英語が全くダメなようで、笑顔で挨拶を交わすのみであった。

この3名は、日本にたいへん興味を示している、子供と若者と演劇教育のフェスティバルを運営しているパレスチナのひとたち。女性の名はマラーさん。パンフレットをくれて、連絡を取り合うことになっています。英語が堪能で、パンフレットも英語とアラビア語の二ヶ国語表記でした。

お名前は失念しましたが、音楽と演劇というシンポジウムの発表者の一人で、日本語の歌を歌い、同じメロディが様々な言語で歌われることから、音楽は言葉と国境を越えるという論を展開していた(と、推測します。シンポジウムはアラビア語だったので。。。)。閉会式で、私の背後にいて、日本語で話しかけてきました。通訳のハイサムさんは日本語学校の校長をしているので、エジプトの日本大使館や国際交流基金とも繋がりがあるので、これから繋がりが生まれそうです。

ご存知、アリさん。

ガンナム・ガンナムさん。国際演劇協会の「紛争地域の演劇」シリーズで理事の林さんと仲良くなり、今回のわたしの視察も、彼の尽力で成り立ちました。ありがとうございます。

エジプト、カイロのヘルワン大学で日本の演劇を研究しているハディアさん。ロビーで私を発見して、日本語で話しかけてきました。明治期以来の日本演劇について全く資料がないとのことで、国際演劇協会から英語の資料をたくさん送って差し上げました。

彼らはエチオピアの演劇人たちです。スマホに入っている、舞台写真をたくさん見せてくれましたが、たいへん面白そうです。いつか機会があれば行ってみたい。が、フェイスブックで、マイガールフレンドと呼んでハートマークと花束をどっさり送ってくるのでちょっと単独行動は危なそうです。

ホテルの到着から、最後の空港へエジプト文化庁の担当官をつけてくれて送り出すところまで面倒を見てくれたかた。お名前失念、うわー。ちなみに、最後の最後まで行動を見届けるのは、亡命防止などの目的もあるのだそうです・・・裏話。
ほんとうにたくさんのかたにお世話になりました!
次の記事では、演劇祭が終わって、1日だけお休みをいただきましたので、1日だけ観光しました、というお話をいたします。Enjoy!


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