入エジプト記4 アラブ国際演劇祭2019概観 ATF2019 Ex-Exodus 4

アラブ国際演劇祭の中身報告です。

演劇の話です。
この記事では演劇の話しかしません。
アラブの演劇
イスラム圏の表現の自由
イスラム圏の女性俳優の立場
イスラム圏の家庭
イスラム圏の(エジプトの)家の中
イスラム圏の夫婦の関係
イスラム圏の男性が女性を見る視点
などに興味のある方は、面白いかもしれません。

1 失敗はプレミアム

アラブ国際演劇祭2019のパンフレット表紙と裏表紙。
1センチくらいの厚さで20センチ四方くらいのもの。
写真は、70年代の日本の絵はがきみたいな感じ。
人の顔がとてつもなく多い。
関係者の顔は全部だす、みたいな。

わたしがいただいたものは、途中でページが切れてなくて、半分くらい逆さまになっていた。
ページが切れていないので、中がみられないのね。
隙間から覗くだけ。
いわゆる、乱丁になってしまったんですな。
なんかかえってプレミアム感があって、ページを切らずにそのまま持って帰ってきました。

2 村の真実、外には見せない顔がここに

進行表
こちらがコピーでもらった進行表。

フォンタナというレストランで、朝食・昼食・夕食の時間が書いてある。
たしかに時間と時間の合間には、メインのプレートなんかは片付けられてしまうだが、午前9時から、ホテル3階の会議室階で、出演者用のワークショップや、記者用のインタビュー、アラブで演劇をやる意味における研究発表などが15時までやってるわけ。

で、準備や報告などで朝食・昼食時間にいられない人も多い。
その人たちのために、会議室階のロビーエリアにも、会議室内にも、常にお茶とお菓子とサンドイッチなどの軽食が用意されている。
すごいなあ・・・

おもてなしっていうか、参加者第一で、すごく行き届いている。

正直、アラブ諸国でこういうことが行われていることにびっくりした。

三輪えり花さん、偏見ですよ、と言わないで。

本当に何も知らずに、アラブ諸国ってイスラム圏でしょ、いわゆる西欧キリスト教文化圏を嫌いなんだよね、という偏見というよりも、「無知」で訪問したのですから。

三輪えり花、無知を自慢するより、調べてから行ってはいかがですか、と思うでしょう?

わたしはリサーチは案外欠かさないタイプですが、アラブの演劇ですよ。

わかるわけないでしょ。

こちらの文化(日本や欧米)にやってくるのは、アラブ諸国では迫害されているような、人権派だったりするわけですから、実際にアラブの国ってのはどうなってるの?というのは、なかなかわからない。

アラブ諸国に行ったり駐在している人にも聞くけど、彼らは日本人として、ビジネスとして、あるいは政府関係者として、いわゆる、対日本人としての応対を受けている。

このアラブ演劇祭は、純粋に、アラブ諸国用で、キリスト教文化圏とか別の言語の国の人などを一切、対象にしていないわけです。

ね?

日本で言えば、村以外の人には優しく対外的な対応ができるけど、村の中では、村の出身者以外はわからない掟や風俗がある、という状態のところに行ったわけですよ。

興味津々でしょう?

3 字のうまいへたってあるんですか?アラビア語。

メンバーズパス手書きで、線から上は、「観劇者」線から下は「三輪えり花」さらにその下に「日本」と書いてある。

他のアラブ人たちが、
「これ書いたの、誰?すごく上手いね、ぼくのなんかこんな字だよ」
とみせてくれるが、へたかうまいかまったくわからん。

裏には、どのお芝居のチケットを購入済みかチェックする欄がある。
横段が、劇場。
一番下のオレンジの欄が、先日のブログで書いた、シグネチャー作品のこと。オペラ劇場中庭での「夜の旅行者」です。
それ以外の劇場は三つだと思っていたら、四つですね。
1日のうちに見るのが三つで。

4 参加するって大変だ   

演出家、演劇教師、演劇研究者、文化担当官ら。
演出家と演劇教師には俳優を兼ねる者も多い。
招聘された女性はイラク、イスラエル、日本三人のみ。
ただしホテル内には参加作品のメイン俳優としての女性の姿は見かける。

ATFの名札は非常に役に立った。

審査員も一緒に食事をするが、食事中は作品の話はしない。   

招聘された者たち同士の交流は食事時と大型バス3台でで移動する車内、及び劇場到着後のロビー。

再会を喜んで抱擁する姿は、まるで戦争から帰ってきたみたいだ、と感じたが実際、互いに生きていたのが不思議な状況下にいるのだと痛感させられる。

ヨーロッパ在住でこのATFのためにやってきた人たちもいる。

私も次から次へ名札を見せて、日本の代表として来ました、話を聞かせてください、と握手してITIの名が入っている名刺を渡して周り、かなり多くの人が日本から視察に来ているとわかったと思う。

そもそもホテルにも劇場にも日本韓国中国系は私一人だから、いやでも認識したろう。

こちらがどんどん話しかけるので徐々に向こうからも話しかけてくるようになった。

日本と何かできないか、ワークショップをやってくれないか、などの話がいくつかある。

が、それを直接話題に出すのは一部で、それとなくこちらに作品の写真などを見せてアピールしてくる。   

一方、俳優同士は大会形式のためか、あまり自分たちの劇団以外とは交流しないようにしているように感じた。

最終日になってやっと笑顔を交わせるようになったのは、審査が関係なくなったせいだと思われる。   

また、ガンナム氏ら事務方と演出と両方を兼ねる人もいるうえ、常に事務方は多重進行するイベントの采配、国家機関からの人物への対応、参加国大使らが観劇するときの警備を含めた対応、毎朝のメディアへのブリーフィングとインタビューなど多忙を極めていたが、常になんだかのんびりして笑顔で、どことなく浮かび流れるように存在していることに非常に強い印象を受けた。

彼らが多忙すぎるゆえ、事務方上層部と話ができる機会は挨拶程度のみであった。

多忙すぎると思い、事務方上層部にはあまり話しかけないようにして、審査に参加しない招聘者たちとの交流を重視したのだが、どのような交流ができるかを探るという大目的を先に持っていれば、彼らへの私のアプローチも変わっていたかもしれないと思う。

5 アラブの演劇では女性が大活躍!

今回の出品作品を概観します。 

国立劇場、平和劇場、風船劇場の三劇場に(もうひとつありました)1日に1作品ごとかかる。
つまり準備期間は当日の半日のみ。
上演時間は1時間から1時間半(アラビア時間でどんどん押す)。
よって舞台装置は必然的に簡易で背景幕とローテート型の照明(ロックコンサート的な)が多用される。

国立劇場はイタリア歌劇場スタイル。
平和劇場は靴箱型だが上下の観客席は歌劇場スタイルで内側を向くようにしてあるので、身体を曲げて舞台を見ることになる。
風船劇場は客席部分は使わず、広い舞台面に少人数の観客を入れ、舞台と客席の極めて近い円形劇場として用いる演出に使っていた。   

音響や照明はそれぞれ独立して自己主張しており、大きすぎ、やりすぎ、かつ芝居の流れを助けるどころか妨げている。
あたかも学生のロックバンドが自分の音と大して上手くないテクニックを大音量で聞かせようとするのに似ている。

生演奏を使ったのは『夜の旅行者』、『首輪と腕輪』と『朝のライラク』でこの二つは照明もうまく馴染んでいた。


録音を使ってはいても、よかったものが『電波』、『第14室』、『無意味な行為』、『狂人』。

但し、カイロ国内どこも放送ものは大音量なので音響技師が録音ものは大音量にすべきという文化を持っているのかもしれない。

台詞も全てマイクが入り大音量だった。

因みにマイクは細い線にぶら下がったマイクロマイクが舞台を全部カバーするようにあらゆるところに配置されている。

照明に関しては国立劇場の商用演劇的な有名人たちのミュージカルにしても人に当たらないところで勝手に動いているので、1日の準備ではその調整ができなかったとも考えられる。   

演技は、二本を除きかなりレベルが高かった。
(うち一本はプロというより普通の学生たちだと思うので批判しない。後の一本はがんばっているのにどうにも素人臭さが抜けない。一所懸命なのとうまいのとは全く違うのを感じさせてくれた。)

女性が怒鳴り散らし
男性は辟易して怒鳴り散らす
という構造の戯曲が多く、

アラブの女性はこんなにしょっちゅう怒鳴り散らしているのか、という印象を持つ。

それが現実でリアリスティックなのかもしれないが、ドラマにするには緩急がつけられなくなる。

女性は声を潰している人も多く(マイクをガンガンに入れているにもかかわらず)発声術を教える人が必要だと感じる。

男性の発声は全く問題ない。

但し、苦悩に満ちた怒鳴りちらす大量のハムレットとマクベスがいたような印象。

『夜の旅行者』『首輪と腕輪』『電波』など、静かに喋って、内面が深く、かつユーモアを忘れない理想的な演技が出来る団体もあるので、怒鳴らなくても人の心を動かせることを信じて心理を深くしていくことがこの先、求められる。

『ヤコブの梯子』はフランスの太陽劇団風かグロトウスキ、メイエルホリド的で、ビジュアルは面白かったしストーリーも興味深かったが、物事の繰り返しが多く、言葉がわかればもっと面白かったかもしれない。

もっと内面追求できる素質を持った俳優たちなので、演出家は俳優の心理追求の力をもっと信じると良いのにと感じる。   

台本の多くは、女性の扱いがうまくできない男性の悲哀を描くもの。

女性のキャラクターも強いがどうしても
「それに翻弄され辟易し困惑して破滅する男性」
を描いている。
アラビアンナイト時代から変わらないテーマ。

言葉の量がものすごい。

6 一位を発表します!

全15作品のうち、審査員投票を経て、選ばれた、今年の一位は、「首輪と腕輪」

前評判はガンナムさんの『朝のライラク』で、ノミネートされたのは、そのほかに『首輪と腕輪』、『短い思い出』、『狂人』、『慈悲』の5作品。

大賞を取ったのは、前評判を裏切って、
エジプトの、風船劇場を使った『首輪と腕輪』。

1980年代の小説の戯曲化らしい。
客入れから高度に楽しめる歌、踊り、漫才で乗りの良い楽しい雰囲気に巻き込み、なのにストーリーは家と男主体の社会に縛られて破滅していく若い女の物語。
歌と踊りとコーラスと芝居を回す狂言役の男女3人ずつが、とっても魅力的。うまい。かろやか。つい見ちゃう。

一昔前のエジプトの家の中。
女性が家の中ではどんな格好で生きているのか、
外へ出る際に黒の布をかぶる様子など、
対外的には表に出さないような生活の様子が見て取れて、
うむ、これが演劇の良さだ、と思った。

舞台は、アルファベット大文字の「アイ」の字型で、客席は「アイ」の中棒を挟んで対面式。
アイの字の上と下の線に、家の中と、エジプトの神殿。
エジプトの神殿にはファラオの像があり、これが神秘と魔術のエジプトを表す。

物語は、この家の娘の結婚と破滅なのだが、彼女はファラオの像との恋愛で妊娠したりするわけ。
年上の金持ちに見初められて子供ができないので、祈りにいったら妊娠して、でもそれを自分の子じゃない、不貞の子だということになり、離縁させられて自殺する、みたいな話であった。

暗い話なのだが、例の狂言回したちの明るさと演出と演技の見事さで、ぐいぐいこちらを引っ張る。もう、ぜひ日本にきてもらいたい。

ストーリーの重さ悲しさと、それを語る方法の軽やかさと楽しさの対比、またいまだにエジプトの地方に残る生活をきちんと描き、エジプト文化を伝える上でも貢献していた。対象に選ばれるにふさわしい演出と演技だったと思う。

だが私が仲良くなった人たちは
「エジプトで開いたからエジプトが選ばれた」
という言い方をする人もいた。

7 日本でもあればいいのに。アラブ演劇。   

日本で上演してもらいたいと私が感じたのは

『夜の旅行者』(台本素晴らしい一人の旅行者が真夜中の電車の中で過去の権力者の亡霊に悩まされる。映画にもなった)、
『首輪と腕輪』(上述。台本素晴らしい。)、
『事故』(台本素晴らしい。現代エジプト、ストーカーによる監禁事件を演劇的に。ストーカーは多重人格という設定を使いコミカルと暴力と妄想の世界が交差する)、
『ヤコブの梯子』(台詞は「ヤコブ」の一言が大半を占め、抗いがたい力に支配されて自由に動けない現代人の姿が太陽劇団的なメイクと象徴的なムーブメントで見せて飽きさせない。台本を得るよりも彼ら自身に演じてもらいたい作品)、
『無意味な行為』(台本面白い。戦闘が続き部屋から出られなくなった俳優二人が、オセロやハムレットやちチェーホフなどを演じながら生き続けようとするも。。。)、
『第14室』(台本面白い。一人の男が図書館の一室で深層心理の妄想に取り憑かれて破滅する)。 

アラビア語がわからなくても流れは掴める。
通訳のハイサムさんに終演後にストーリー展開としてわからなかったことを尋ねた。

8 盛り上がるお客様とモグラ叩き。   

歌と踊り、身体表現、生演奏ソロ等、台詞の応酬ではないものが挟まれた時、いちいち盛大に拍手をするのが、お約束のようである。

終わればどんなものでも盛大に口笛を吹いて囃し立て、喜びを表現し縁者をねぎらう。

カーテンコールは必ず演出家と脚本家が舞台に上がる。
演出家自ら舞台に登って真ん中に入りおじぎをし、「私の作品」として提供している。

もっとも、これもフェスティバルとして脚本家やデザイナーを連れてきているがゆえに、挨拶をすることになっているのかもしれない。

携帯電話は絶対に切らない。
上演中でもガンガン電話が鳴る。
音響は大音量と相場が決まっているので常に大音量で客席に響き渡る。
そして電話に出る。
流石にほかの観客は「しっ」と言うが、構わずに立ち上がって堂々と出て行く。

国立劇場の場合のみ、携帯電話はお切りください、というアナウンスが入り、警備員が上演中もチェックに回るが、ここを注意すればあそこでフラッシュが光る、そちらへ行けば今しがた注意したばかりのところでまたスマホがつくなど、モグラ叩き状態である。

9 しってましたか? 実は演劇が大好きなアラブ諸国!

アラブ演劇祭の運営についてお話ししましょう。 

私の出会った限り、参加者の出身国は、エジプト、スーダン、リビア、アルジェリア、チュニジア、モロッコ、モーリタニア、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、カタール、アラブ首長国連邦、イラク、クェート。

ドイツやフランスなどヨーロッパで研究者・教授として活動していてこのフェスティバルに参加しに来ている人もいる。

彼らを全て同じホテルに宿泊させ、出発日と帰国日の異なる人々を全て空港からホテル間の送迎まで段取りを組んであるのが素晴らしい。

段取り専門のスタッフが2名いた。
デスクと車などの手配と。 

先述したが、昼間のシンポジウムは会議室階となっている階で各部屋で同時進行するのだが、どの部屋にも水とスナックがおいてあり、また、その階の中央ロビーエリアには常に軽食が用意してある。
シンポジウム・スピーカーとインタビューなどが重なる場合、きちんと食事がとれないこともあるだろうことをちゃんと計算に入れていて、参加者主体であることがわかる。

一方で、3時半に集合してバスに乗り、芝居を3本見て23時半にホテルに戻るまでの飲食は一切手配されない。
(劇場にもカフェはあるが、チョコバーを置いてあれば良い方だ) 

観劇は一般の観客も参加するため、協会に配られるチケット数が決まっている。
ことに風船劇場の演目は人数制限もある上に人気が高いので、今回の参加者でさえチケットが売り切れる場合もある、そのことは事前に伝えられた。

当日、午前中に、どの芝居を見るかを申請し、パスにチェックをつけたうえでチケットを配られる。

大型バスでどうせ一緒に移動するのだが、チケットを持っていないと、劇場に到着した際に劇場側から拒絶され、何人か入れない人もいた。 

シンポジウムは時間通りに始まるので、協会が仕切っている部分は時間通りだが、バス運転手や劇場など、仕切りが他に移った途端に「アラビア時間」になるようだ。 

各公演では各国大使クラスもお付きを引き連れて参列するので、それらの車列は道路も止めて警官が先導する。

開会式と閉会式ではエジプトを代表する有名人たちも参列するため、メディアとセキュリティの手配もあったことだろう。

開会式ひとつとってもそれだけで大イベントである。

仮に、アカデミー賞と比べるとして、規模は小さくてもアカデミー賞が1日で終わるものなら、これはカンヌ映画祭のように何日も続くわけだから、相当な準備と企画があったことだろう。

もしかしたら、開会式と閉会式に関しては博報堂のような企画会社に任せている可能性もある。

これを毎年持ち回りで各国で行うことに費やすエネルギーと準備期間の短さを思うと圧倒される。

実際にアラブ演劇協会がどのような手順と人員配置でこれを運営しているのか、機会があれば調べてみたいところである。

10  それで、私を呼んだ意味は?

日本へのなにか意図があったからこそ、国際演劇協会日本センターへ、視察依頼があったわけです。

日本への関心を考えてみましょう。 

私がホテルや劇場にいると、声をかけてくる人は「ニーハオ」と言う。

「ヤバニ」と答えると「おー」で終わり。

話題は続かない。

それで、「日本の国際演劇協会から代表できました。あなたの国の演劇のことを聞かせてください」となる。

英語が苦手だったりして私と話したくても話せない人も大勢いたろうと思われる。

面白いのは、通訳のハイサムさんがいると、皆なかなか話しかけてこないのに、私が一人でいると、ふらーっと話しかけてくるという現象だ。

それで、主に朝昼の食事時が私の交流時間となった。

また、上述したが、コンテストがあるという緊張からか、参加作品関係者は最終日まで話しかけてこなかった。

それは、私に対して、というより、他のどの団体とも、である。
自分たちの団体でまとまって行動していた。

よって、私が話したのは主に研究者・引退した演出家たちである。

強く興味を示してきたのは、ガンナムさんとスーダンの他に、モロッコ、チュニジア、イスラエル。

どう繋げていくかはわからないもののとにかく知ってほしいという感じでコンタクトしてきたのがリビア。 

チュニジアは非常に具体的で、ヤングピープルズシアターフェスティバルを開くので、日本から学生の団体や大学生くらいの学生俳優たちが参加する作品を持ってくる可能性はないか、と具体的に尋ねてくる。
また、ワークショップを開催してほしいという話もある。
それで、能や狂言や歌舞伎などの伝統芸能がほしいのか、それともいわゆる西欧的モダンシアターで良いのか、と尋ねると、伝統芸能でももちろん良いし、モダンでもよい、とにかくプロでない俳優で大学生年齢層の出演者のいる作品が必要だとのことである。何か当てがあれば紹介したい。 

日本の演劇事情研究者もおり(日本語学習者で、演劇学の博士です)、明治維新以降第二次世界大戦までの日本の芸能事情に関する英語の文献を探しているとのこと。

ガンナムさんは、日本との繋がりを今後も強化していきたい方針。

国連大使でロンドン留学時代にイギリス演出家協会のワークショップで一緒だったアリさんは、スーダンと日本で何かできないかを相談しよう、という言葉でいつも終わってしまう。スーダンの、アリさんではない研究者は、スーダンにもモダンシアターは多く活動しているので、それらについても知ってほしい旨、述べていた。具体的な活動に入るのには、もっと何かきっかけが必要な感じ。

11 何が大事って、あなたのつながりです。

このアラブ国際演劇祭全体から感じたこと。

それは、 まず、海外で受け入れ団体があることの重要性を痛感。

もしも私が自費でひとりで参加したとしても、これだけの人と仲良くなれたかどうかは疑問だ。

団体として胸からのパスをぶら下げていること、数日間、同じホテルで同じ食事をすること、皆で貸切バスで移動すること、の3点が、参加者たちとインタラクションをとるのに非常に重要であった。

その地域文化に馴染むというところまではいかなくても、そこに集まる人とまず仲良くなれる。

中東地域は政治主導者があっという間にひっくり返る上にどこまでが嘘か本当か、国家レベルだとわからないというのを国民も感じているようで、大きな団体の繋がりよりも、今顔を見て話した個人同士の繋がりを非常に大事にするのだと感じた。

まさに、今目の前にいる相手との交流、ライブインタラクションがどれほど大切か、痛切に全員が感じているのがアラブ諸国の良心だと思う。


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