London 2019-14: As You Like It

ロンドン日記第14弾は、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで観た As You Like It 『お気に召すまま』について。

ロイヤル・シェイクスピア劇場は、エイヴォン川のほとりに立つ素晴らしい劇場です。動画でも紹介しているので、ぜひご覧ください。

わたしが在外研修で住んでいたころの劇場は、まだ古い建物で、どっしりした木造の感じが歴史を感じさせて、とても好きだったの。

そのころは、小劇場 Other Place の改装が終わったばかりで、その柿落とし公演の練習をしていたっけ。

で、メインハウスは2010年の改装ですっかり近代的になり、仕掛けがすごくてきんきらしている印象です。

現在は、メインハウスに 
ロイヤル・シェイクスピア・シアター
The Royal Shakespeare Theatre、

スワン・シアター
The Swan

の、大小二つの劇場があり、少し足を伸ばしたところに

アザープレイス
The Other Place

という小劇場があります。

子供向けのイベントも豊富!

劇場ごとに出し物の特性があります。

大劇場 The RST では、王道のシェイクスピア。

中劇場 The Swan では、シェイクスピアと同時代の作品や、ときにはチェーホフやミュージカルも。

小劇場 The Other Place では、客席200という素晴らしい空間で、実験的な、本当にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーがやりたいのはこっちなんじゃないか、と思える作品を。

今回は、姉が初めてのリアル・シェイクスピアということもあり、わたしも『シェイクスピアの演技術』出版記念のプロモーションだったため、王道の大劇場で『お気に召すまま』を。

『お気に召すまま』

シェイクスピアは、自分のいた劇団のメンバーで当て書きしていました。当時は、女性は舞台に上がってはいけなかったので、演じるのは全員男性だけ。女性のキャラクターは、声変わりする前の少年が演じていたのです。

それが人気のもとでもあったのか、シェイクスピアの若い女性キャラは、本当に面白い!

本当に面白いくせに、人数が少ない。

シェイクスピアの作品は大人数が出演するのですが、実際は、15人いれば、持ち回りで物語を進めることができました。そのうち、女性は、若いのが二人、老婆が一人。だけ。

なので、性別をリアル性別のまま上演しようとするとどうしても偏ってしまうんですね。

現代は、性別の境目というのは本来曖昧なのだ、ということがだんだん表に現れるようになってきました。

シェイクスピアだって、それをわかっていたから、女性っぽい男性キャラや男っぽい女性キャラを描いたのかもしれません。

しかもおもしろいことに、男と女の枠組みハマってしまっているキャラクターはがんじがらめになっていて、不幸なんですよ。性別を超えたようなキャラクターは実に生き生きしているんですね。

どうやら今回、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーはそこに目をつけたようで、男として描かれたキャラクターを女性が女性として演じることにしたり、目が見えない人や口がきけない人(イギリスには、その人たちが活躍できる専門の劇団もあるのです)が出演したりしていました。

ストーリーまで話すと長くなるので、ぜひ映画を見るなり、台本を読んでみてね、なのですが、

例えば、貴族の一人ジェイキスという男を、女性が、女性として演じたり。

また別の例では、片思いで泣きぬれている羊飼いの少年シルヴィアスを、女性が、シルヴィアという名前に変えて女性として演じたり。
で、原作ではシルヴィアスは女の子フィービーに片想いしているわけで、となるとこのシルヴィアちゃんは、女の子フィービーに恋をしているのね。
で、原作では、最後はこの二人もハッピーエンド、つまり結婚するのです。そう、今回は、女性同士の結婚が成立することに。

さらに別の例では、山羊飼いのオードリーって女の子がいるのだけれど、そのキャラクターは口の聞けない俳優が演じていました。
原作ではオードリーに惚れ込んでずーっと跡をついて回っている男の子がいるのね、それでその男の子がオードリーの手話通訳をするの。
誰かがオードリーに話しかける、男の子がオードリーに手話で伝える、オードリーが手話で答える、男の子がシェイクスピアがオードリーのせりふとして書いたせりふを英語で言う、相手は理解する。
・・・という流れで芝居が進むわけで、この間に通訳を挟むことがそもそもコメディの場面として成立してしまうのが、おおさすがよく読み込んでいる!と感激でした。

シェイクスピアが現代に生きていて、ジェンダーフリーやハンディキャップの人たちにも、生きる権利と全てに参加する権利があるはず、という考え方に触れれば、きっとこのような設定を考えたに違いない、とロイヤル・シェイクスピア劇団の制作チームは考えたに違いない。

そのために、なんと、人称代名詞が変っちゃうわけですよ!!!!

『お気に召すまま』の名台詞の中に、

All the world is a stage, 
And all men and women merely players, 
They have their exits and entrances,
And one man in his time plays many parts.

というのがあるのだがこの4行目の
one man in his time
を、なんとなんと
One person in its time  
と言い換えてしまった!!!!

こりゃすごいことなんですよ。

清少納言の「春はあけぼの」を、
「春もあけぼの」とか
「春は夜明け」と言い換えるのと同じくらい変。

やっちゃいけないことのひとつ。

なのに、やってしまった。

そういえば、シェイクスピアの悲劇『マクベス』のせりふに
やってしまって、それでことが済むものなら、早くやってしまったほうがいい(福田恒存訳)
というのがありますが、

まさに、やっちまったよ、RSC。です。

よろしいですか、天下のRSCが、
シェイクスピアの原文を、
ジェンダーフリーにするために、
変えてしまったのです。

きっとものすごい抵抗があったと思います。

でも、必要だと思ったから、変えた。

好きか嫌いかはともかくとして、その勇気と決意と信念こそが、とてもシェイクスピアらしいと思いました。

実際、これだけジェンダーフリーになってくると、性別のある言語の古典文学はどうなるんだってことになりますね。

わたしは、肉体的性別上で人称代名詞も分ける、というだけでいいと思っているのですが、肉体と心がかけ離れている苦しみをしりもしないで、ときっと叱られるでしょう。

でも、古典文学の人称代名詞や、フランス語のように物自体に性別がついてしまっている言語では、もっと軽い気持ちで言語を使うことでいいじゃん、などと考えを巡らせました。

これは、日本の放送禁止用語にも関わってきて、たとえば英語の blind を「目の不自由な人」と訳すとどうにもキャラクターがそれを言う気持ちも表せないし、ゴロもよくないしで、どうして元々の blind に当てることのできる日本語を、使っちゃいけないことにするのか、さっぱりわかりません。そこに差別意識があるのは、単語にではなく、それを使う人の気持ちにあるのであって、単語には罪はない。

など、いろいろ考えさせられた『お気に召すまま』でした。

うしろの人形もちょっとわけがわからない。わたしは突拍子もないものは好きなんだけど、なぜか納得できないのだ。

ちなみに、大劇場での演出・上演・演技は、わたしにはアメリカ人観光客向けのものに感じられました。

イアン・マッケラン、ジュディ・デンチ、ケネス・ブラナーのいた黄金期の演技力が、ストラトフォードの俳優には足りない。

ロンドンのナショナルシアターで観た『トップガールズ」、ピンター劇場で観た『背信』ともに演技力は素晴らしかった。
あと、日記としてはまだ後で書くけれども、今回の旅の最後に観たグローブ座の俳優たちの力量もものすごかった。

だから、イギリスの俳優の演技力が落ちたわけではない。

だから、ほんとうに正直に言って、RSCの『お気に召すまま』と、それから2016年に観た『ハムレット』では、え?この演技力でいいの?とかなりかなり深くがっかりしています。Stratford Upon Avonに引っ込んだRSCには良い俳優が集まりにくくなっているのではないか。

もしかしたら、中劇場や小劇場で、観光客向けではない作品に出演している俳優と演出の方がレベルが高いかもしれない。つぎはそれを調べに観にこなくてはね。

というわけで、演出の方向性と信念は素晴らしいと思ったけれど、それを表現する演出と演技力がついてこなかったな、いわゆるアイディア倒れという、残念なことになってしまいました。

ほんと、辛口でごめんなさい。
だって、もっといいはずだと知っているから。

RST, Swan Theatre

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