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カテゴリー: 文化と教養

文化芸術に関する知識と教養

  • 茶道奮闘記 30, 31

    茶道奮闘記 30, 31

    前回、9月3日は吉野棚のお稽古だと思っていたが、お稽古手帳に先生が書いてくださったものには「渚棚」となっている。

    ・・・違いがまったくわかりません とほほ。

    11月1日に、久しぶりにお稽古に行きました。

    あまりに久しぶりで、全て一からやり直し、的な・・・。

    そしてこれを書いている21日には、全て忘れております。

    こんなじゃだめだ。体験はしているかもしれないけれど、それ以上ではない。時間とお金を「ただの体験」に注ぐほど暇ではない。集中しないと身につかないと思う。ピアノも演技もそうじゃないか。

    というわけで、本日11月21日、茶道奮闘記31。

    着付けは相変わらず半幅帯の貝の口。

    長襦袢の背中心合わせと衣文抜きはわりとよくできた。話の場合、かなり右手前を体に巻き付ける形になると、襟が決まる。

    が、着物をその上から着ようとすると、バタバタばさばさして一向にだめじゃ。

    裾を合わせたら、胸中心で両方の襟の縫い合わせのところを右手で掴み、左手は背中の背中心を腰骨の上あたりで探し、前後前後とゆるゆると長襦袢の襟に添わせていく。なるほど!(これまでそれをせずにただ前でクロスさせて引っ張ったり抑えたりしていた)。背中心がこれでうまく合うので、そしたらクリップで襦袢と着物の襟を留めておく。これで紐だの帯だのするときにそれほど動かずに済むよ。なお先生、ありがとうございます。

    貝の口は綺麗に結べるようになっています。衣文抜きと背中心合わせが課題だったので、これで色々うまくいくかもしれない。帰宅したら、夕食後の台所やお風呂の用意を終えたら(水仕事をしなくてよくなったら)着物に着替えて過ごしてみましょう。

    では、お茶です。11月なので、炉。躙口から左に炉があるお部屋で左でお茶を点てます。薄茶平点前。

    水差し持って、躙口で座り、水差しはお客様から遠い方(この場合、右)に置き、「お薄を差し上げます」。

    水差し持って、入り、右左と足を入れたら、次の右で回転し、座り、水差しを正面において、ふすまを閉める。

    水差し持って立ち、左足をかぶせて減りギリギリ、右足で超え右左右で揃え、炉から12目のあたりに水差しの手前縁がくるように、畳のセンターに置く。左足を後ろへ引いて、戻る。茶碗と棗。水差しセンターで三角形に。建水と柄杓は、炉の左角に対して半身斜めに座り、建水は手なりにおき、柄杓かまえて蓋置きをとりあげ、(ものは柄杓をかまえているときは、柄杓の内側を通る気持ちで。その際、急角度で急がない。ゆったり)炉のの右角三目。柄杓セット。

    う=む、そして?

    棗を清めたり茶杓を清めたり茶碗を清めたり。

    そうそう、茶碗を清める4度目は、拭きながら体中央で終わる。

    茶碗を清める茶巾の扱いもどこを摘むんだっけ?と忘れがち。

    帛紗の畳み方も、もっと幅狭くなるように練習せよ。

    だめだ、記憶はここまで。

    か〜ん。

    お菓子をいただくときは、まず両手でお皿を軽く持ち上げ拝礼。それから懐紙を膝前に置き、お箸を作法通りに使って、お菓子を懐紙の上に。お箸は右手で持ったまま左手を添えて右手で上から持ち直し、懐紙の端で拭いてから、お皿に戻す。懐紙を両手で持ち上げ、左手に載せ、右手で楊枝を懐紙の隙間から取り出し、切って、いただく。あってる?

    お客様としてのお茶碗、畳のへりの向こうに出されたものをこっち側へ持ってくるときの作法がわからない。

    お茶碗の正面をずらす(2回回す)ときは、手のひらから持ち上げましょう。

    来週は茶道だけ無理して来よう。舞台本番の前日だけれど。

  • 茶道奮闘記 29: 風炉吉野棚薄茶

    茶道奮闘記 29: 風炉吉野棚薄茶

    2024年9月3日

    吉野棚の薄茶お点前のお稽古、よろしくお願いいたします。

    ‼️自分用の覚書で、お稽古の後、記憶を頼りにメモしています。誤りも多いはずですので、決して真似しないでください。また、直すところは先生に直していただきますので、コメント等も不要です。ご理解感謝!

    帛紗を腰につける。これから道具を運ぶよ。

    運ぶ、セッティングする

    1  先ず茶碗。

    お茶碗運ぶ。真ん中歩く。真ん中に置く。その際、左手に置いてある茶碗を、右手🕒→左手🕘→右手🕒と持ち替えて、その右手で置く。

    吉野棚の上の棗を取り、その時指は揃えてね、水差し前の三角形底辺右に置く。

    センターにあった茶碗を移動させて、三角形を完成させる

    2  建水運ぶ。体に沿わせて置く。

    3  柄杓をつまみあげ、構える。

    4  蓋置に右手を伸ばし、関西の中きら出して、柄杓よりも内側、懐を通る感じで、つまり遠回りして、風炉の左前角さきへ置く。

    構えていた柄杓を蓋置方向へ倒し、右手のひらに柄杓の末が当たるくらいな傾き加減で、蓋置に台を置き、柄をパタン。

    柄杓を扱う時、肘から手首をずっと伸びるように。←そのためには肘を張らないと、右手を柄杓の柄に差し入れることができない。なるほど、お能の所作なのだな。足の運びもそうだし、確かにお能の時代にお能と共に成立した芸術なのである。

    清める

    1 再び茶碗をセンターに置く。

    お清めのため。棗も清めるので、膝と茶碗の間になつめを置ける空間を開けて。

    2 棗を置く。

    3 茶筅を茶碗から取り上げ、棗のあったところに置く

    4 茶巾を茶碗からとりあげ、あれ?ふたおきの上に置くわけだから、ここで蓋はもう開いてなくちゃいかん!!

    だめだ〜順序がまだ覚えられぬ。

    覚書

    茶筅を置く時、お手ては丸く。

    置柄杓が一番苦手かも。

    柄杓で湯水を汲む時は、台座から沈めるとあぶくが出ないよ。

    今日は平茶碗というのを使ってみた。

    深いお茶碗じゃなくて、開いて広がって浅いの。これを押さえる時は、上からで良い。普通は左手で横から押さえるけど。

    茶筌がよく回らず、残っちゃった。伸び代ありすぎ。

    主人役は、点てているときは行のお辞儀だけ。指先を揃えて小指の横を畳につける感じで。

    脳内で順序をシミュレーションすると、水差しを開けるタイミングと、あと、おしまいにする手順がパズルピースのようになって散らばっている。

    という状態です。

    七月の中旬以来です。全然進歩しないのはあたりまえ。私の場合は、茶道で何かになる、何かをする、と言うよりも、この時間を楽しむスタイルで、のんびりいきたいと思います。、

  • デ・キリコ展 いくべし!

    デ・キリコ展 いくべし!

    都美術館で開催中の、デ・キリコ展に行ってきました。

    前衛芸術家、三角定規のモチーフ、パッキリした色合い。

    そんな印象しか知らずに行って、びっくり!
    生涯になんと多彩な芸術を残したのか。リアルも、ナチュラルも、抽象も、印象派的なものも、全部できる。すごい、すごすぎる。

    隣り合って展示されている2枚が、同じ画家が描いたとはとても思えないのです。技術の高さ、アイディアの自由さ。豊かなバラエティ。

    しかも同じ時期にいくつもの違うタイプの絵を描いている。

    こんな画家は見たことがない!

    第一次世界大戦に従軍し、第二次世界大戦も、その後の平和も全部経験している。

    興味深いのは、戦争の影響が戦時中の絵にはあまり感じられないこと。むしろ、平和になってからの後期に、尖ったジグザグで描く黒い影として、やっと戦争への憎しみが表されている。それまで、描こうにも描けないほどの経験をしたのだろう、と彼のやるせない心中に思いを馳せる。ピカソもダリもさっさと反戦表現に入って、世の中に評価されたが、キリコはしなかった。できなかった。もしも反戦表現をもっと早くにしていたら、もっと評価も高かったかもしれない。が!うつろいやすい社会的評価なんかどうでもいい。とにかくすごいのだ。

    とくに気に入ったのは、金属の彫刻。

    彫刻は柔らかくなくてはならない、と本人も言っているが、まさにその通り。

    わの知っている彫刻というと、大理石のルネサンス期は、肉体美としての筋肉の柔らかさなどを表すものは多くあったが、金属で、しかも肉体美を表すわけではないのに、なんだかどれもとろけるように柔らかい感じがするのが、衝撃的なすごさだった。どれも小粒だから、あまり評価を受けていないのだろうが、これはもっともっと評価されるべき。

    そうそう、三角定規のほかに、「マヌカン(人形)」として、顔のない、つるんとした、綿棒の先のような人間が中盤から描かれるようになる。腕がないトルソに、小さな茶色い取手のような首。え、これは、衣装を作るための、パタンを貼り付ける、裁縫用のトルソですよね。

    そして、つるんとした綿棒のような頭部は、舞台衣装のカツラをつけるためのものですよね。内側から手を入れられるように、中は空洞で、後頭部は円形に穴を開けてある。内側には、支えがある。

    そして、トルソにも、頭部にも、縫い針の穴や、布メジャーの跡や、裁縫パタンを置く位置や、の印がある。

    不思議でも、デ・キリコの発明でもなんでもない。デ・キリコは舞台装置や舞台衣装にも興味を持っていた。彼は、舞台衣装の元となる、このトルソと頭部に彼は興味をそそられたのだろう。顔のない、後頭部がくり抜かれた頭部と、両腕のないトルソから舞台のキャラクターが立ち上がっていくことに、不思議な興奮を憶えたに違いない。わもそうだった。

    彼の最後の方の絵は、いろいろなことが「室内」に集まっている。「室内」にある「海とボート」。「室内」にある「家」。「室内」にある「野外」。

    これらも皆、実は、舞台装置がやってきたことではないか!

    シェイクスピアの「この世は全て一つの舞台、人間みんな、単なる役者、退場あり、登場あり・・・」。これをデ・キリコは、二つの戦争とその後の平和を体験して、痛切に感じていたことは間違いない。

    彼は、この世はすべて舞台の中で行われるドラマに過ぎないのだな、と、それを絵に落とし込もうとしたのだ。そう三輪えり花は断言する。

    というくらいに興奮した、実に久しぶりの「知らなかった、すごい!」体験をいたしました。

    東京都美術館@上野。8月末まで。もう絶対おすすめです。

  • 茶道奮闘記 28 風炉の丸卓

    茶道奮闘記 28 風炉の丸卓

    麗扇会へお茶と着付けのお稽古へ。

    早く着付けをモノにして、書道に戻りたいから、がんばるのだ。

    着付けは、半幅帯の貝の口がスムーズに結えるようになりました!

    衣紋の抜き方もオシャレな感じです。

    しかし!

    まだ背中心がズレるので、これは練習です。わは姿勢が良いと思い込んでいたけれど、実は、左にずれているので、ただいま、姿勢ごと直し中!

    お茶は、薄茶の丸卓(まるじょく)。

    冬の炉のときに一度やっていたので、入り飾りや、とんぼ飾りなど、思い出しました。

    水入れの蓋の作法がややぐずぐず。

    帛紗の扱いは、M先生が厳しく教えてくださいます。く〜。

    このあと、夏はしばらく来られないので、また一からやり直しですわ、きっと。

  • 善竹狂言会

    善竹狂言会

    2024年7月14日、善竹狂言会を楽しんできました。

    古くからお付き合いさせていただいている十郎先生、さすがでした!

    演目は


    末広がり
    花子
    靱猿

    『末広がり』には大笑い。
    『花子』が超難関大作3本のうちの一つと聞き、なるほど、と拝見。
    『靭猿(うつぼさる)』は子役狂言デビューになるもので、これを経て、狸をやったりしながら、『花子』に至るのだそうです。お猿さんは可愛かったし、それを眺める十郎先生の瞳が本当に優しくて、人間をこころから愛するかたなのだとしみじみ。

    伝統芸能、大好き。とは言え、なかなか観に行けなかったので、今日はとても満足!

    ロビーのお花は古くからの大友人、横井紅炎ちゃんのもの。ここで出会うと思っていなかったのでびっくりした。