高野山

霊山、高野山に詣でて、皆さんの幸せをお祈りして参りました。

ケーブルカーで急勾配を登っていくと、雪が舞い始め、しかも陽は照っている、とても祝福された入山でした。

極楽橋という名のケーブルカー終点駅では、中心街へ向かうバスが待っています。これを逃すと次のまでに待つので気をつけて。天気が良ければ中心街まで歩けますが、中心街からお廟までもさらに2キロ歩くので、そのつもりで。

バスは1日乗車券がお勧め。入場料やお土産、カフェやレストランなどが割引になり、お得感。

バスの最初の停留所は、女人堂(にょにんどう)。

昔、女性は高野山への入山を禁じられており、ここまでしか登って来られなかったのです。

停留所のすぐ先に、巨大な石の門扉があり、そこからが所謂、霊場としての「高野山」となります。

それほどまでに女性に心を奪われてしまううものなんですね、男性の性欲って、と、寧ろそれに驚く。

女性を目にすると修行に差し障るって、性欲の対象を目にしても動じないようになるのが、人間としての修行じゃないかと思いますが。

とかなんとか、昔の男たちの弱さに半ば呆れながらそこでは下車せずに進むと、次の停車場は、徳川家霊台です。ここもわたしとは縁がないのでスルー。

少し行くと、千手院東という停車場が。

お昼を頂いてから活動するなら、ここでの下車がお勧めです。

そこから東が奥の院へ向かう方向。
西側が総本山である金剛峯寺に向かう方向です。

わたしのお勧めは、バスでは途中下車せずに、まっすぐ奥の院へ行き、終点で下車したらそこに2箇所ほどあるレストランで食事し、その後奥の院の弘法大師御廟へ直行。お参りしたら帰り道をゆるゆると戦国武将の墓参りをしながら一橋口へ降りるルートです。

そこから金剛峯寺へは、疲れていたら一服してバスに乗ってもいいし、苅茅堂など訪ねながら歩いても良し。

で、わたしも奥の院までバスで直行です。

まずはレストランで精進定食をいただきます。

高野豆腐と胡麻豆腐、そしてお刺身を模した山芋(やまいも)を刺身醤油と山葵(わさび)で。

大衆食堂ですが、美味しうございました。

そして奥の院参道の横道から入り、すぐにお墓お墓お墓。


この横参道には企業の慰霊碑が立ち並びます。
東日本大震災の霊廟が一際目立ち、ここで黙祷。
そこを左に折れて本参道へ。

そこからは、天然記念物としての巨大千年杉の森です。

すばらしい気に満ち満ちていますよ。

苔むした岩の墓石・墓碑、太い太い杉の林に、雪が舞い散り、日が差して、夢幻の世界に入ったような。

先ず目につく墓碑は、加賀前田家の三番石。

柵で囲まれていて、どっしりと古くて、まるで石そのものが魂を持ってそこに座っているような、ちょっと魔界。

西洋の御伽噺やハリポタ系ディズニー系の映画に登場するような、意志と心があって我々のことを腕組みして眺めているような石たちです。石だけに意思がある。

その先には、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と四十七士のお墓です。

手を合わせずにはいられない、哀しい人たち。

そこで道が二股に分かれます。

どちらも御廟に繋がるのですが、きっとここでトイレに行っておいた方がいいです。

なので、右の道を進み、トイレに行っておきましょう!

いよいよ、御廟橋を渡ります。

これはとてもとても聖なる橋で、ここから先は撮影禁止!

そして、橋を渡る前に必ずお辞儀、出る時も必ずお辞儀をしなければいけませんよ。

服を正し、姿勢を正し、清らかな気持ちで進みましょう。

灯籠堂でまずはお詣り。

天井から吊るされた灯籠が実に幽玄です。

さらに清らかな気持ちになって左へお堂を抜けたら、すぐに右へ行かず、左の林側へ行ってみてください。

覗き込むと平らな広場になっています。

実は、高野山に分骨すると、お墓を持たずに分骨した場合、この分骨堂に一旦納められ、一定の時期ののち、この平らな広場に散骨されるのです。

わたしの祖父ほか一族の何人かもそこにいるので、きちんと手を合わせて参りました。

では振り返って、お堂に沿って進みましょう。

まさにお堂の真裏にあたるところに、西暦835年から空海が今もお祈り中。

この話題についてはテレビも頻繁に特集を組むのでわたしが解説するほどのこともないでしょう。「空海、入定」で検索してみてね。

それよりももっと知っていただきたいのは、密教と顕教の違いです。

わたしの拙い知識で誤解を恐れずに端的に言うと、顕教がブッダや仏や菩薩を修行を積んだ「人」だとみなすのに対し、密教は我々が仏・菩薩と呼ぶ存在は、宇宙の真理そのものであること。人間を象(かたど)る像に彫られるのは、宇宙を具現化しただけのこと、と捉えているという点です。

この密教の考え方は、じつは演劇の演者の最高の考え方ととても似ていて、たいへんおもしろいので、また別記事で。

さて、空海様にお詣りして皆様の幸せと繁栄をお願いしたあとはゆるゆると山道を歩いて、観光しましょう。

御廟橋を越えてお辞儀をして参道に戻ると、まず織田信長のお墓があります。

石の階段を登ってすぐの、寂れた広場を左に折れます。
つい直進してしまうので気をつけて。

つぎは、大きな大きな豊臣家の菩提があります。
これはわかりやすい。

さらに降ると千姫、明智光秀、石田三成、伊達政宗、武田信玄、大岡越前守と、かっこいい魂たちがどんと構えています。

夜な夜な酒盛りして仲良くしていそうです。

詳しい地図も各案内所で配布されているので、先に入手しておくといいですね。

そのまま降りると、一の橋、苅萱堂などが並ぶ道を進みます。

このあたりは宿坊街。

このお山の本当の霊気をいただくには宿泊するのがいいと思いますがわたしもまだやったことがありません。

千手院東のバス停を越え、金剛峯寺へいきましょう。

ここは入るなり圧倒される感じの建物。

屋根の感じがすごい。

中は狩野探幽や雪舟の貴重な襖絵で飾られた部屋部屋があり、豊臣秀次が自刃した間(ま)もあります。

演出家でビジュアライザーのわたしとしては、彼がそこでどのように最後を遂げたのかがありありと見えてしまい、思わず手を合わせました。

さぞや血飛沫が飛び散ったことでございましょう。
享年28。
壁はいまは真白く塗られ、襖絵もなにも整えられております。
御首は三条河原へ送られ、その前で側室と幼い子供ら39名が5時間もかけて全員処刑されたとか。恐ろしいことでございます。

それはさておき、金剛峯寺には、立派な石庭「蟠竜亭(ばんりゅうてい)」があります。
日本一の広さの石庭だそうですよ。

メインのお部屋を出ると、くらしが見えます。
そう、お台所!

そこを出ると、根本大塔や不動堂、三鈷(さんこ)の松など、ガイドブックに載っている見所が続きますが、建築物としては昭和のものが多いので、そのつもりで。

歩いて千手院東に戻り、バスで駅へむかいましょう。

なによりすごいのは、これだけの急勾配の山々の天辺に、これほどの広大な平地が、まるでギニア高地のように広がっていることです。

これこそ奇跡。

一旦上に上がったらさかがほとんどないのですから。

どうなってるの?って感じです。

すばらしきかな高野山。


役に立ってしかも楽しいこんな話あんな話を御手元にいかがですか?【えり花通信】は無料でお届けするメールマガジン。いつでも解約可能ですのでお気軽にいかが? 
 ブログより短くその日に気をつけたいポイントを朝のうちにお届けします。お申し込みは次のフォームから。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA