都美術館で開催中の、デ・キリコ展に行ってきました。
前衛芸術家、三角定規のモチーフ、パッキリした色合い。
そんな印象しか知らずに行って、びっくり!
生涯になんと多彩な芸術を残したのか。リアルも、ナチュラルも、抽象も、印象派的なものも、全部できる。すごい、すごすぎる。
隣り合って展示されている2枚が、同じ画家が描いたとはとても思えないのです。技術の高さ、アイディアの自由さ。豊かなバラエティ。
しかも同じ時期にいくつもの違うタイプの絵を描いている。
こんな画家は見たことがない!
第一次世界大戦に従軍し、第二次世界大戦も、その後の平和も全部経験している。
興味深いのは、戦争の影響が戦時中の絵にはあまり感じられないこと。むしろ、平和になってからの後期に、尖ったジグザグで描く黒い影として、やっと戦争への憎しみが表されている。それまで、描こうにも描けないほどの経験をしたのだろう、と彼のやるせない心中に思いを馳せる。ピカソもダリもさっさと反戦表現に入って、世の中に評価されたが、キリコはしなかった。できなかった。もしも反戦表現をもっと早くにしていたら、もっと評価も高かったかもしれない。が!うつろいやすい社会的評価なんかどうでもいい。とにかくすごいのだ。
とくに気に入ったのは、金属の彫刻。
彫刻は柔らかくなくてはならない、と本人も言っているが、まさにその通り。
わの知っている彫刻というと、大理石のルネサンス期は、肉体美としての筋肉の柔らかさなどを表すものは多くあったが、金属で、しかも肉体美を表すわけではないのに、なんだかどれもとろけるように柔らかい感じがするのが、衝撃的なすごさだった。どれも小粒だから、あまり評価を受けていないのだろうが、これはもっともっと評価されるべき。
そうそう、三角定規のほかに、「マヌカン(人形)」として、顔のない、つるんとした、綿棒の先のような人間が中盤から描かれるようになる。腕がないトルソに、小さな茶色い取手のような首。え、これは、衣装を作るための、パタンを貼り付ける、裁縫用のトルソですよね。
そして、つるんとした綿棒のような頭部は、舞台衣装のカツラをつけるためのものですよね。内側から手を入れられるように、中は空洞で、後頭部は円形に穴を開けてある。内側には、支えがある。
そして、トルソにも、頭部にも、縫い針の穴や、布メジャーの跡や、裁縫パタンを置く位置や、の印がある。
不思議でも、デ・キリコの発明でもなんでもない。デ・キリコは舞台装置や舞台衣装にも興味を持っていた。彼は、舞台衣装の元となる、このトルソと頭部に彼は興味をそそられたのだろう。顔のない、後頭部がくり抜かれた頭部と、両腕のないトルソから舞台のキャラクターが立ち上がっていくことに、不思議な興奮を憶えたに違いない。わもそうだった。
彼の最後の方の絵は、いろいろなことが「室内」に集まっている。「室内」にある「海とボート」。「室内」にある「家」。「室内」にある「野外」。
これらも皆、実は、舞台装置がやってきたことではないか!
シェイクスピアの「この世は全て一つの舞台、人間みんな、単なる役者、退場あり、登場あり・・・」。これをデ・キリコは、二つの戦争とその後の平和を体験して、痛切に感じていたことは間違いない。
彼は、この世はすべて舞台の中で行われるドラマに過ぎないのだな、と、それを絵に落とし込もうとしたのだ。そう三輪えり花は断言する。
というくらいに興奮した、実に久しぶりの「知らなかった、すごい!」体験をいたしました。
東京都美術館@上野。8月末まで。もう絶対おすすめです。