ロンドンに2019年5月に訪問した時の日記をまとめました。
目次はこちらです。





























おまけ:トラベル・シェイクスピアのシリーズで、他の場所も公開しています。
ついでにリンクを掲載しますね。














息をしていますか
ロンドンに2019年5月に訪問した時の日記をまとめました。
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はい。駱駝。
ハイサムさんのお友達の警官が無事に見つかり、私たちは駱駝に乗ることに。
おまわりさんが、なにか言うと、ひとりの男がやってきた。駱駝に乗りたいと伝わると、その男は、
わかった、あっちにいるから。
と、言う感じで、わたしたちを少し離れたところへ連れて行こうとする。
すると、おまわりさん、物凄い勢いで、
ノー!!!ここで話せ。ここへ駱駝を連れてこい。
駱駝遣い、反論する。
おまわりさん、怒る。
のー!!!ここで!ここでだ!!ここでだって言ってんだろ!!!
という感じのアラビア語でした。
駱駝遣い、わかった、というそぶりで、
ラクダは1頭? 2頭?
と訊くので、ハイサムさんと相乗りで1頭でいいや、と思って、
1頭、
と答えた。
駱駝遣いは、わかった、と言って、駱駝の群れの方へ。
はい。二頭、きました。
ハイサムさんは、
1頭じゃ商売にならないんでしょう、
というので、私は二頭借りることにしました。
ええ、もちろん、わたしがお支払いします。
でも、まだここでは払わないんだな。
では、駱駝に乗ります。
膝がすりむけていたり、かなり酷使されている感じ。
駱駝遣いが、駱駝に
座れ、
と命令すると、なんと、駱駝は、
「ぶおー」
と腹を立てて答えた。
駱駝遣いが持っている棒をちらちらさせながら、けっこう厳しく駱駝を座らせる。
脚の長い駱駝は座るのも大変そうだ。ぶおぶお、文句を言っている。
まずハイサムさんが乗ります。
次にわたしがわたしの駱駝に乗ります。
駱駝遣いは、歯の抜けた顔をクシャクシャにして笑顔で、
「ここ、持つ、しっかり。らくだ。じゅうしん、まっすぐ。まえ、見る」
日本人観光客パワーすごいですねでした。
私、乗馬はロンドン時代に習っていたのですが、私の運動神経は、すこぶる悪いうえに、股関節の位置が左右並行ではないので、跨り系は、左に傾きがちなのです。
しかも、ラクダは手綱じゃないんですね。
鞍に跨ったところにある卵くらいの大きさの木の突起につかまるだけ。
これは不安定・・・
駱駝が立ち上がります。
後脚から立つので、大きく前につんのめる。
ぎゃー!!
もう、ここで落ちると思いました。
が、前に振り落とされる直前に、前脚が立ち上がってきたので、今度は後ろへ大きく振られます。
どわー!!
でも、もう落ちなかった。
(いや、まだ落ちてないし)
そして、ゆっくり私たちは、隊列を組んで歩き始めました。
(その気になって楽しまないと損)
馬よりも、ずっとずっと背が高い。
歩き始めてすぐに、わたしはもう古代ファラオの女王か、1940年代のハリウッド映画のロケに来た主演女優のような気持ちになりました。
これは、わたしが演劇表現者だからでしょうか。
すぐにその状況に入り込んで、その状況に置かれているキャラクターの気持ちになってしまうのです。
長い長い悠久の時の中で砂漠を睥睨しながら、駱駝の隊列で旅をしている。
昔、そんな経験をしたことがあるかのような錯覚に襲われました。
もしかしたら、ほんとに、そういう過去生があったのかも、とさえ思えました。
言葉もなく声もなく、ただそこにいる。
とても静かで、懐かしく、でも凛とした空気の中にいました。
歩き始めてすぐに、駱駝遣いは、向こうから帰ってきた子供に話しかけて、その子供が連れてきた駱駝を受け取りました。
その駱駝が、まあ、気が強くて気が強くて、ぶおぶおと反抗してキカナイの。
そこへ来るまでの3分ほどで、わかったのは、
駱駝たちは、戻ってくると、座って休憩するらしい。
だから、その駱駝は、
「なんだよ〜、俺、今、戻ったばかりだぜ。ゼッテーもう行かないからな。休憩時間だろ、これ、俺の。なんだよ、ブラック企業かよ。おれ、ゼッテー行かねーよ」
と、言っている感じでした。
駱駝遣いは、とうとう棒を振り上げる。
それでやっとその駱駝は、ぶーぶー文句を言いながら、座りました。
「わかった、わかったよ、その長いの振り上げんな。わかったって言ってんだろ。なんだよ、ちくしょー。そうだよ、どっちがチクショーか、っての。あーあ、たるいたるい、かったるい。やってらんねーよ。やめてやる、こんな仕事。」
と言っている感じでした。
で、駱駝遣いも駱駝に乗り、我々は3頭の観に隊列で、いよいよラクダ溜まりを後にして、進んで行きました。
目的地はわかりません。
どこにいくのかもわかりません。
でも、進んで行きます。
昔、今は亡き母が、
「砂漠というけど、本当は、砂じゃなくて、礫と言われる、小さな岩だらけのところらしいわよ」
と言っていたのを思い出しました。
海岸のような砂を思い浮かべると、かなり、岩岩しています。
石油が出るということは、その昔は緑に包まれていたわけで。
この辺り一帯がすべて緑だったことを想像できますか?
だんだん心にゆとりが出てきて、またがるコツも掴めてきたので、両手で握りしめていた木のとってから片手を離し、そっと、駱駝の肩に触れました。
分厚い毛布が何重にもかかっているにもかかわらず、ポカポカと暖かい。
おもわず話しかけます。
「きみ、あったかいねー。乗せてくれてありがとね。大好きよ」
気のせいだと笑ってください。
でもわたしの駱駝は、私の言う意味がわかったようです。
私の愛情も受け取ってくれたようです。
なんだか歩みがリラックスした感じになり、なんというのか、身体全体から感じられる気のようなものが、とても柔らかくなり、それが筋肉の動きを通じてこちらに伝わってくるのです。
駱駝たまりにいる駱駝たちは、図々しくて怒りっぽくて怠け者で、小汚なくて、なんというか、いつも何かに腹を立てている場末の労働者のタバコ場、みたいな感じでした。
(もしくは、フラストレーションだらけの劇団のタバコ場か)
が、駱駝たまりを出て、砂漠に出てみると、わかったことがあります。
この砂漠で、この、何も目じるしの無い、途方もない砂漠で、これほどの巨大な哺乳類が生きていること自体が奇跡なのだと。
駱駝たちこそ、この砂漠の王。
首をスッと高く上げて、この果てしない砂漠を、自由に行き来でき、我がものとしていたのは、人間ではない、ファラオでもない、駱駝。
道理で、プライドが高いはずだ。
人間に棒で叩かれながら、歩きたくもないところを何度も歩かせられて、どれほど不本意で、傷ついて、惨めでいることだろう。
私の駱駝は、わたしの感じたその気持ちをわかってくれたんだと、思います。
静かに一体となって、ピラミッド地区を抜けて、本物のサハラ砂漠と呼ばれるエリアに入っていきます。
とても残念で胸が痛くなったのは、そこらに埋まっているペットボトルとビニールのゴミ。
こんなところまで・・・。
ビニールゴミに関しては、海だけではなく、ほんとうにどうにかしなくてはいけない。
かなり遠くに、ゴミのように小さく、何かの群れが見えたので、前をいく駱駝遣いが私たちの様子をみるために振り返ったときに、あれは何か、と聞きました。
やはり観光客らしいです。
あんな遠くまで?
何かあるの?
なにもない、砂漠です。
でも、見晴らしがいい丘です。
という意味のことを片言英語で答えた駱駝遣い。
すると、どんどん砂漠の中へ入っていき、周りにはだれも見えなくなってしまいました。
振り返ると、ピラミッドとわたしたちの間を、親指くらいの大きさの黒い馬のに乗った観光客の一団が動いているのが見えました。
どこまで連れていくのか、不安になりましたが、砂丘を超えると、一安心。
どうやら、さっきゴミのように見えていた観光客がいた丘にたどり着いたようです。
絶景!
三つのピラミッドが綺麗に並んで見えます。
今日は砂嵐のあとで、だいぶ曇っていたのですが、綺麗に晴れました。
すばらしかった。
(シュクランとは、アラビア語でありがとうの意味)
駱駝遣いはたくさん写真を撮ってくれて、とてもいい人でした。
それから、スフィンクスの方へ降りて、スフィンクスを眺めながら、カイロ市の古い墓地の脇を抜けて、もとの駱駝たまりへ戻ります。
ナイルの西は、死の国で、普通の墓地もあるんですね。
ああ、素晴らしい体験でした。
来てよかった。
ありがとう、らくださん、駱駝遣いさん、ハイサムさん、おまわりさん。
次回は、スフィンクスの話です。