池辺晋一郎先生の教え

このたび文化功労者となられた池辺晋一郎先生からご指名を受け、石川県立音楽堂にて、「シェイクスピアと音楽」というトークショー(教養講座の位置付け)に行ってまいりました。

池辺先生とは、兵庫県立ピッコロ劇団にて、『ハムレット』をモチーフにした『くたばれハムレット』と『十二夜』でご一緒しています。
それ以来、たいそう可愛がってくださり、数年前には柏崎でもシェイクスピアの音楽に関して、エリザベス朝時代の古楽器演奏で、音楽と名セリフのショーをおこないました。

今回は、女声三重唱が入り、池辺先生の作曲されたものやシェイクスピア時代のものなどを演奏しがてら、シェイクスピアとはどういう人で何がどうすごいのか、というお話で盛り上がりました。
なかでも、次の言葉に、なるほど、とうなづきました。

「物語作品の作曲の場合は、その作品がその演出家の元で最も生きるように書きます。そのときに、自分はこういう論理で書いているとか、自分がこういう思い出作っているなどの自己主張をする人は、舞台作品の作曲には向きません」

たしかに池辺先生の曲は、ご自身の交響曲等はとても複雑だったりするのですが、物語作品への曲の場合は、馴染みやすく、気持ちを乗せやすく、さらーっと流れていくのです。誰も、「曲が良かったね」とか「曲が素晴らしい」などの感想を言わないのです。(にも関わらず、心に響く曲であり、口ずさみたくなる歌であるのが、池辺先生のモーツァルト的天才たる所以です)

お写真つきの詳細なブログを掲載しましたので、興味のある方は、ぜひご覧ください。

http://elicamiwa.com/blog/2018/11/11/ikebe-and-shakespeare/

【今日のライブインタラクション】
なんのためになにをしているのか、問い直してみよう。つまり、自分のエゴを満足させるために仕事をしていませんか?

池辺晋一郎とシェイクスピア

この度文化功労者となられた作曲家の池辺晋一郎先生にご指名を受け、石川県立音楽堂交流ホールにての先生のクラシック講座にゲストスピーカーとして出演してまいりました。

女声三重唱とピアノで、池辺先生がこれまで作曲になったシェイクスピア作品からの抜粋と、シェイクスピア時代の曲とを聞いて頂きながら、シェイクスピアのすごさや 楽しさについてお話をする会です。
何かスライドはないか、とのことで、シェイクスピア遊び語りでよく使っているシェイクスピア紹介の映像や、池辺先生に曲を作っていただいたシェイクスピア作品『十二夜』『くたばれハムレット』などのお写真をKeynote にしてお持ちしました。

お客様は静かでしたが、熱心に微笑みながらお聞きくださっているのがよくわかり、和気藹々とした良い会でした。池辺節(ダジャレともいう)満載で。

「三輪えり花さんとはね、尼崎でご一緒したのが最初なんです。ここはね、プロは二の次のところでね、アマが先。」

などが爆裂しておりました。

一方で、とても深いことをおっしゃっていました。

「物語作品への作曲はね、これは僕の作品です、なんていうつもりではなく、物語と演出家の意図をどう汲み取って提供していくか、なんです。それなのに、「自分はこういうつもりで作曲した」とか「音楽的にはこういう意味がある」なんて論理を振りかざしたりするのは、論外で、そういう人は物語作品の作曲には向かないんだな」

これも、500本もの舞台・映画・テレビに作曲をしてこられた池辺先生だからこそのご発言かと思います。とくにそろそろ自信がついてきた作曲家には、「音楽的にはこういう深い意味がある、だからそれを表現してもらいたい」と言いたい時期が見受けられ、劇的効果や演者の技量よりも自分の音楽を聴け、と言わんばかりの人がいるなあ、と感じていたので、先生のこの言葉に内心、快哉を上げました。

池辺先生と最初にご一緒したのが、ポール・ラドニック作『くたばれハムレット』。これは照明家協会賞と、舞台美術賞をとったんじゃないかしら。

池辺先生とは次にオール男性キャストで『十二夜』(やはり兵庫ピッコロ)を。この最後の曲「あめかぜふいた、やれへいほう」は名曲中の名曲。先生も事あるごとに紹介してくださり、上演してくださっています。今回もこれが最後に演奏されました。

このとき女性を演じてくれた3名、際立ってうまかった。いや、思うに全員、実に良かった。今も活躍中です。ピッコロが本当に良い劇団。

ピッコロの『十二夜』では兵庫のオーケストラが生演奏で参加してくださり、生のオケが舞台上に常に存在する、とても不思議で魅力的な空間になり、生オケと芝居の、難しいけれど最高な点を池辺先生も力説してらっしゃいました。

さらに、マクベスの「明日、また明日、また明日が」を池辺さんが小田島役を朗唱、私が英語を朗唱した場面もありました。


今回のおまけは、終演後。

ピアニストが、目をキラキラさせて、金沢にはすぐそこに、365日、24時間つかえる稽古場があるんですよ、誰でも申し込めるんです、と話してくれて、これkらオペラの稽古ピアノで行くところだと言うのです。そういえば、来るとき、劇場のポスターに『リゴレット』があって、メインキャストは私が東京芸大オペラと新国立劇場オペラ研修所で演技を教えた人々がさんかしているなあ、と思っていたところでした。その合唱稽古をやっていて、しかも副指揮が、この春にちょうどミュージカル『シンデレラ』で大難題をクリアして参加してくださった辻博之くん(くん、というのは失礼ですが、東京芸大の教え子なので・・・)!じゃあ、ということで稽古場にお邪魔してきました。
合唱稽古もたくさんできたようで、舞台装置も私が理想とするもので(新国立劇場でバレエ『人魚姫』を創ったときの舞台装置の大型版)、演出家三浦安浩さんの演出も見事で・・・

稽古後の後片付け

いやー。金沢まで来て、オペラの稽古を見るとは思いませんでしたが、見せていただいて、本当に良かった!!

のどぐろ、白えび、がすえび

というわけで、とってもとっても有意義な1日となりました。

追記
池辺先生は、つい先日、文化功労者に選ばれましたが、それについては
「僕はね、文化高齢者に指名されてね、でも本人は後期功労者。で、どっちなんだ、とね」
とも。

池辺晋一郎とシェイクスピア

三輪えり花、次の出演はこちら。

金沢で、大好きな池辺晋一郎先生と大好きなシェイクスピアと大好きな音楽を聴く語るショー。

シェイクスピアの音楽的な原文も朗読で紹介したいと思っています。

とても光栄なことです。

美しいスライドで映像も合わせながらの楽しいショーになりますよ。

金沢近辺のかた、ぜひお出かけください!

太田川源流をめぐる旅路 全6話はこちらから

『私は太田、広島の川』
いよいよ今週木曜日から始まります。

川の精霊を演じるために、太田川の源流を、まさに8月5日〜6日に旅してきました。

その旅日記、綺麗なお写真付きです。

2日目です、第6話(最終回)をアップしました。
↓ こちらのリンクから

http://elicamiwa.com/blog/2018/11/01/moi-ota-8/

1日目の第5話
↓こちらのリンクから。
http://elicamiwa.com/blog/2018/10/31/moi-ota-7/

1日目の第4話
↓こちらのリンクから。
http://elicamiwa.com/blog/2018/10/30/moi-ota-6/

1日目の第3話
↓こちらのリンクから。
http://elicamiwa.com/blog/2018/10/29/moi-ota-5/

1日目の第2話は
↓ こちらのリンクから。
http://elicamiwa.com/blog/2018/10/28/moi-ota-4/

まずは第1日目第1話は
↓ こちらのリンクから
http://elicamiwa.com/blog/2018/10/27/moi-ota-3/

太田川源流の旅6最終回

2018年8月6日、原爆の日の広島へ。
『私は太田、広島の川』(2018年11月1日〜4日、池袋シアターグリーンでの上演)でタイトルになっている太田川の精霊を演じる三輪えり花は、太田川が語る、源流から河口までの旅路を実際にこの目で見ておく必要を強く感じ、8月6日の朝8時15分、平和記念式典に出たあと、太田川の相生橋(あいおいばし)へ向かいました。

相生橋から海の方向への眺めです。

「私は川の仕事に戻らなくちゃ。
瀬戸の海が私を待ってる。
逢いに行って来なくては」

朝早い時間帯は満ち潮でした。鏡のような水面で見事な美しさ。

式典のあいだに引き潮になりました。
大勢、川に落ち、あるいは水を求めて川に入り、あるいは火を避けるために川に入り、あるいは火傷を冷やすために川に入りました。
が、川自体が、2000度から4000度の熱線を受け、沸騰していたのです。

川を埋め尽くした負傷者と死者はこの引き潮で海へ運ばれていきました。

お昼を過ぎるとまた満ち潮に。
そのとき、川を覗き込むと、海鷂魚(エイ)の影が!

潮に乗って海から上がってきたのです。

みると、水面は上げ潮で逆流してどんどん海水が川を遡っていきます。

「上げ潮になって川の水が増し、流れが逆転すると、彼のシワと同じくらいオンボロの船で帰ってゆく、今度もまた、それほどの苦労もなしに」

太田川が語る、昭和の初めの船乗りたちが川と海の流れをうまく活用してのどかな日常を送っていたことがよくわかります。

相生橋は、太田川が分岐したところにかかる、珍しいTの字型をした橋で、上空からも目標にしやすかったのです。

すぐそばには東京から密かに移された大本営もありました。

有名な原爆ドーム、よくある写真の逆からの撮影です。

当時のレンガ壁。

建物の形を残すためと、建物自体の補強のために、破壊された部分もコンクリートで再建されています。

驚いたのは、そして報道の写真ではこれまで私には全くわからなかった新しい発見がこちら。

原爆ドームの中です。

ドームの麓も瓦礫が全部そのままで、もちろん生体関係・家具関係は運び出されているのですが、石類に関しては、全くと言っていいほど手付かずで破壊されたままになっており、かなり初期の頃から、原爆の傷は残しておかなくてはという意識があったのではないかと感じられます。

焼け焦げた石と内部、雨のシミなどに、ここだけ戦時のまま時が止まっています。

原爆ドームは爆心地と私は小学校で教わりましたが、その後の研究で、実際の爆心地はそこから23メートルのところにある、今は島内科医院のあるところだとわかっています。

このように、碑にはお花や折り鶴、水が備えられています。

この後、お昼から昨日アテンドしてくださった山口純子さんと佐々木愛さん。愛さんはダンサーでもあり女優でもあり、真摯にヒロシマの現実と未来に向き合っていて、感銘を受けました。

看板にTEHATERと書いてあります。
ここのカフェでは、被爆者のお話を聞けたり、政治の話ができます。

8月6日が原爆の日ですから、毎月6日の月命日には被爆者と、そして高齢の被爆者に変わって実話と体験記を継承していこうという「語り部の会」が開かれます。

「語り部」になるにはかなり研修を積み、様々な被爆者の中から、ある一人の体験を受け継ぐ「語り部」となる仕組みです。

私も折り鶴を折りました。
背後にいらっしゃるのは被爆者のお一人と、そのお話を聞きにきた人たちです。

そして午後は原爆資料館へ。

1枚目は、アインシュタインがルーズベルト大統領に、新型爆弾研究しませんか?という催促の手紙。

『私は太田、広島の川』の第2景で言及される手紙です。

アインシュタインは天才だろうし、そのおかげで今の宇宙開発もあるのはわかっているけれど、新型爆弾作りましょうよ、は酷すぎる。

2枚目は、ルースベルトとイギリス首相チャーチルの密約。

日本に使用しましょうよ、です。

3枚目は、原爆開発資金の問題です。

これも戯曲で言及されています。

20億ドルもかけたら、失敗は許されません。

失敗とは???

いいえ、成功とは?

こちらの方が答えるのは簡単です。つまり日本の大都市を壊滅させることでしょう。

開発にかかったお金の回収のために、どんどん殺戮という目的が強くなっていき、後には引けなくなっていくことがわかります。

4枚目は原爆投下司令書。

トルーマン大統領の直筆サインによって、運命が決まりました。

この時点ではまだ、どの都市になるか、候補は決まっていましたが、どれになるかは、天候次第でした。

5枚目は、原爆投下条件について

効果を最大限に高めるために、まだ空爆を受けていない健康な大都市でかつ欧米軍の捕虜収容所がないところが条件でした。

まだ空襲を受けていない都市・・・

効果を最大限に高めるため???

どこからどうやったらそんな考えができるのでしょう?

当時の科学者たちが、数字でしかものを考えていなかったことが手に取るようにわかります。既に彼らは人間ではなく、数字の奴隷になってしまっていたのです。

それを、国のため、という大義名分で正当化しました。

6枚目は米軍が持っていた、目標設定のための広島の地図です。

広島市を少し出るとわかるのですが、瀬戸内に面した土地は、山が一気に海に落ち込んでいて、ほとんど平坦で開けた土地がありません。つまり、広い農業には不向きなのです。(海に面した日本のほとんどの土地がそうとも言える)

けれど、広島市だけは、第一級河川の太田川が、山から土砂を運び、瀬戸内海は上げ潮で海からの栄養物を運びあげ、川の水と海の水がうまい具合にせめぎあって、見事なデルタ地帯を作り上げました。

赤い点線が引かれた目標地点に相生橋はあります。

私が宿泊したANAホテルはそのすぐ右下にあるのですが、この写真(1945年4月)の700年ほど前(平安から鎌倉時代頃)までは、そのあたりまでまるまる海だったそうです。それを示す神社が残っています。

こんなに豊かな広島が。

7枚目。原爆の「効果」です。

右の丸い同心円が出ているのが広島。

左の細長いのは長崎です。

長崎の方が爆弾の威力自体は大きかったのですが、迫る山々のおかげで被害を受けた地域は狭くなりましt。

が、広島は開けた土地のおかげで、爆風を遮るものがなく、山に接するまでひたすら被害が広がり続けた様子がわかります。

8枚目。現状。

2017年ノーベル平和賞が核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に授与されました。被爆者のひとり、サーロー節子さんが講演し、日本以外の世界では大きな拍手と敬意を持って迎えられました。

ノーベル平和賞のメダル。

アメリカ合衆国オバマ大統領が、米大統領として初めて広島を訪問。

折り鶴をみずから折られ、手書きのメッセージを贈ってくれました。

アメリカ大統領として、広島原爆を肯定することは政治生命を立つのと同義でしたが、オバマ大統領は見事にやり遂げました。

広島では、高齢化した被爆者の記憶を、話だけではなく、絵でも記録しておこうと、被爆者の話を聞きながら、その絵を描き、被爆者に実際に見てもらってここはこんな色だった、ここはこんな風だった、と指摘してもらいながら、写真のように現実に近づけていく方法が広まっています。

写真はアメリカ軍が数日後に撮影したものが多く、「あの日」のものはほとんどありません。

ですから、被爆者の「あの日」の鮮明な映像を絵にして遺すのはほんとうに重要なことなのです。

今回、高校生たちがそうして描いた絵の展示会もあり、閉館ぎりぎりでかたづけていたところを無理を言って見せていただいたのですが、写真ではとても残せなかったであろう絵の数々が、凄まじい迫力でした。

爆心地にあった通勤電車の中でつり革に手をかけて立ったまま白骨化している絵、潰された馬、こうしてブログにも書く気持ちになれないものが・・・

被爆者たちはこれらの鮮明な絵とともに生きてこざるを得なかったことにもまた大きなショックを受けました。

たくさんの学びと、そして今生きている人々の暖かい愛に包まれて、帰京します。帰り際には再び後藤順子テューターが駆けつけてくださいました。

最後まで見送ってくださるお二人。ありがたいことです。

このお二人のアテンドがあったからこそ、美しい太田川も見られましたし、様々なお話が伺えて、だからこそ博物館で見るものにも理解が深まりました。本当にありがとうございます。

もちろん、広島の夜をご一緒した皆様にも。愛ちゃんにも。

飛行機に乗る前に生牡蠣を。

 

さて、三輪えり花、『私は太田、広島の川』

今日は本番です。

今回の旅で得たものをリアルに抱えて、役に臨みたいと思っております。

 

第5話はこちらのリンクから↓
http://elicamiwa.com/blog/2018/10/31/moi-ota-7/

太田川源流の旅5

2018年8月5日、羽田から、土砂災害直後の広島へ。
『私は太田、広島の川』(2018年11月1日〜4日、
池袋シアターグリーンでの上演)で
タイトルになっている太田川の精霊を演じる三輪えり花は、
太田川が語る、源流から河口までの旅路を
実際にこの目で見てきました。
第5話は広島名物の美味いものご紹介!
ホテルはANAホテル。
太田川の見えるお部屋をとのリクエストにしっかり答えていただきました。ありがとうございます。


広島市の夜景。
かつてここが全く何も無くなってしまっていた、人間が蒸発してしまっていた、それが雨になってしまった。

上層階のしっとりした良いお部屋です。
ここには明日8月6日の式典に向け、著名人の方々も。

『私は太田、広島の川』は2017年に広島公演をしています。
その時の出演者が、今回、夜に会ってくれました。

このうちの数名は、2018年11月1日からの池袋公演にも参加してくださいます。
背景にあるのは、広島公演での劇場となった建物。

なんだかお分かりですか?

あの日を生き延びた旧日銀広島支店の建物で、いまは世界遺産に登録されています。

あの中でも大勢のかたが亡くなりました。一瞬で。

笑顔の裏にあるのは、辛い歴史と悲しみです。
でも、笑顔を支えるのは強い意思と生きる力です。

では、美味しいご飯を紹介しましょう。

お好み焼きはもう食べましたか?と連れて行っていただいたのが、こちら、鉄板焼きの弁兵衛。

まずはこちら、広島牡蠣プリプリのバタ焼きです!!

それからオススメと言って注文してくださったのがこちら。
目玉焼きとウニとほうれん草の焼き物。にんにくバターのパンに乗せてガバッと行きます!

そして待ってました、広島風お好み焼き。

これぞ本物!のうまさでありました。

もうさすがにお腹いっぱいです、のときに、この牛のもやしとネギの焼き物。これもたしか、なにか特別な部分の牛のはずですが・・・

・・・うっかり忘れてしもうた。

ということで、明日の8月6日を前にして、清らかな広島の街は更けゆくのであります。

実は広島市内にはいくつも碑がありまして、平和公園のみならず、それらの碑すべてにゆかりの方々がいらっしゃるわけで、今夜は9時を回ったところですが、すでにそれらの碑に献花・献水・読経等が各所で始まっています。

ことに献水が重要で、体内まで一瞬にして火が通ってしまい重度の熱傷を負ったかたがたが水を求めて亡くなったことから、お水を心ゆくまで味わってください、との思いを込めて、お水を差し上げるのです。

私は太田、広島の川の精霊として、水を分配する役割でもあるわけで。

あの日、「水を配る」という仕事ができなくなってしまった太田川の無念もいかほどか、と、あの日に思いを馳せて床につきます。

皆が笑顔なのは、私たちは笑顔で元気で平和を繋いでいきますという想いと信念を持たずには、ここにはいられないくらい、辛いからなんだと思います。

今回ご一緒したひとりが、

「明日の式典は、お席が無かったら、どうぞ遠慮せずに関係者席へ行ってください。わたしたち、日本国民全員は関係者・親類縁者だと思っておりますから」

とおっしゃっていたのが、強く心に残っています。

なので、私も笑顔でお写真を撮りました。

続く第6話は、いよいよ8月6日の式典と「ヒロシマ」の模様をお伝えします。

太田川源流から河口への旅4

広島県廿日市市、

冠山の太田川源流の森を下り、森を抜けて山里へやってきました。

河岸は整備されてコンクリで覆われ、

山の中に比べたら既にあまり魅力的な絵には見えませんね。

山は綺麗ですが。ではもう少し眺めてみましょう。

コンクリートに覆われているのはまだごく一部のようです。

「あれは私がまだ川の真ん中を通っていて、古い岩に初めて出会ったときの音」

2018年8月5日、羽田から、土砂災害直後の広島へ。

『私は太田、広島の川』(2018年11月1日〜4日、池袋シアターグリーンでの上演)でタイトルになっている太田川の精霊を演じる三輪えり花は、太田川が語る、源流から河口までの旅路を実際にこの目で見ておこうと。

第3話はこちらのリンクから↓
http://elicamiwa.com/blog/2018/10/29/moi-ota-5/

第2話はこちらのリンクから↓

http://elicamiwa.com/blog/2018/10/28/moi-ota-4/

第1話はこちらのリンクから↓

http://elicamiwa.com/blog/2018/10/27/moi-ota-3/

護岸の下は緑の芝生になっています。

これは長閑ですね。

奥の山の麓に古い日本式の農家が見えます。

川のカーブの先の水面が鏡のようです。

流れている水とは思えない美しさです。

またしばらく進むと河原は石ころだらけに。

鮎釣りをする姿が見えます。

そして徐々に川幅は広くなり、

風景は村から町へ。

鉄塔があり、工場が見えてきます。

工場は水をたくさん必要とするのです。

川の力は偉大です。

さて、ここから先の太田川沿いの道路は、

先週の土砂災害のため封鎖されて

通れない箇所が続出。

今日の旅はここまでとして、

広島市内へとにかく向かうことにします。

つづく。次は広島の美味しい料理を紹介します。

太田川源流から河口への旅3:源流の森

到着しました、太田川源流の森です!

2018年8月5日、
羽田から、土砂災害直後の広島へ。
(2018年11月1日〜4日、
池袋シアターグリーンでの上演)で
タイトルになっている太田川の精霊を
演じる三輪えり花は、
太田川が語る、源流から河口までの旅路を
実際にこの目で見ておこうと。
到着第1話はこちら。羽田から源流のある冠山へ。
到着第2話はこちら。冠山から山口県側の錦川へ。
続く第3話は、いよいよ到着した、太田川源流の森です。
広島県全体の水源地にもなっているため、ここから先は立ち入り禁止。
写真の奥の橋から奥(上流)はダメです。
立ち入り禁止直前の水際では、子供達が夏の水遊び。
私も早速入ります。
テューターたちと記念にセルフィー!
「私が生まれた頃は、山奥の岩場の真っ白で緑色の水だった」
この科白はまさにぴったり!
「いろんな石ころがあったし、川岸には木が生い茂っていて」
「小さな木陰が触れてきて、それは楽しかった」
まさに科白通りの源流付近。
言葉を発する時のイメージが明確になります。
太田川の源流と仲良くなった記念写真。
川の音や水流の中を撮影した動画もあるのですが、それはまた追って。
あ! Youtubeに1本載せました。
これです。
ヒーリングにどうぞ。
後半は、スローモーションにしてあるので、そのまま流しっぱなしで瞑想にお使いください。
では、ここから先、太田川の成長を見に行きましょう!
つづく。

太田川源流から河口への旅2 錦川寄り道

2018年8月5日、
羽田から、土砂災害直後の広島へ。

『私は太田、広島の川』
(2018年11月1日〜4日、
池袋シアターグリーンでの上演)で

タイトルになっている太田川の精霊を
演じる三輪えり花は、

太田川が語る、源流から河口までの旅路を
実際にこの目で見ておこうと。

 

旅路の第1話はこちら。

さて、第2話は・・・

第1話でお話ししたように、
太田川の源流へは、土砂災害直後の状況で
とても向かえなかったので、

同じ源流から山口県側に流れ、
錦川と名付けられる方を見に行きました。

 

こちらは普通に車で行ける観光地になっています。

到着!

渓流の脇の屋台では、「さっき」釣り上げたばかりの鮎を塩焼きにしていて、ご一緒したラボテューターがご馳走してくれました!

鮎は、東京の料亭で、「頭から食え」と言われても、あまりに固くて「とても無理!なにこれ」と思って骨も頭も残して顰蹙を買っていましたが、この鮎は、なんと、なんと、本当に頭から骨まで丸かじりできました!!

野生であること。
新鮮であること。

食べ物は地産地消が一番なのね、を再認識した瞬間です。

ごちそうさまでした。

これも川の恵みですね。

さて、ここからは山口県を出て再び広島県側へ戻り、冠山を迂回したほうにある、「太田川源流の森」と指定されている保護区へ向かいます。

途中の畑ではトマトの収穫が。

ここで新鮮なもぎたてトマトを仕入れて太田川沿いでランチを目指します。

レッツゴー!

つづく。

太田川の源流はこんなところに!

太田川の精霊。

演者は自分以外のものを演じるのが
仕事とはいえ、人間以外のものを
演じるのは、それなりに大変です。

バレエなら、ラ・シルフィードとか、
白鳥とか。

11月1日から4日、
池袋のシアターグリーンで上演する

『私は太田、広島の川』

太田川の精霊が、
源流から河口へ向かい、
最後には瀬戸内海との結婚を夢見て
進む旅路、

それが8月6日に、
ちょうど海に入る直前の

相生橋(あいおいばし)をくぐったときに、
原子爆弾に直撃されるまでを描いた作品。

とにもかくにも

太田川を、源流から河口まで、

川に沿ってルートを辿ろう。

そして、8月6日の朝8時15分には
相生橋にいよう。

そうすれば、少しは太田川の語ることが
わかるかもしれない。

そんな思いで、

去る8月、私は広島の太田川を

めぐる旅に出かけました。

お付き合いしてくださったのは、
私が英語とお芝居を学んだ
ラボ教育センターのテューターお二人。

かっこいい後藤純子テューターとかわいい山口純子テューター。

お忙しい中、丸二日お付き合いください、
本当にありがとうございました。

私が訪れたのは、この夏、広島県が
大災害になった大雨の直後。

空港から市内への道路が
やっと開通した時でした。

まず、源流はここのはずよ、と
連れて行ってくださったのが、

なんともう山口県の県境。

私、山口県は生まれて初めてです。

このお写真の手前には
なだらかなスキー場があります。

スキー場に沿って、この道を右に入ると、
もう鬱蒼とした原生林が広がります。

ここから
登山靴で徒歩3時間のところに
源流となる湧き水があるそうです。

「私の流れの始まりは
冠山の高いところ・・・」

しかし
例の大雨の後です。
普通の道路でさえ、
大木が倒れていて通行不可が
続出している状態。

今回は、源流自体は諦めました。

しかし、麓の土木屋さんが、

湧き水が出て太田川を作り出す
ポイントが
すぐそこにあることを

教えてくれて、それを
覗き込むことができました!

「標高1300メートルで
岩から岩を駆け抜けてきた・・・」

川になる前の、まだ土の中を、
コロコロと水滴として染み出し、
ポタポタと落ちながら
緑の苔を清らかにし・・・

さて、このお写真は、
冠山の源流から少し
山口県側に下った方になり、
名前も錦川と言います。

源は同じ。
西へ下ると錦川。
東へ下ると太田川です。

つづく。
第2話はこちら→  http://elicamiwa.com/blog/2018/10/28/moi-ota-4/