ご来場感謝!稽古を正直に振り返る

2022年8月28日、5月からワークショップを重ねてきた『トロイ戦争は起こらない』舞台公演が、このコロナ禍において、誰一人欠けることなく、7回の公演をほぼ満席で終えることができました。ご来場の皆様、本当にありがとうございました。

この作品は1935年にフランス人ジャン・ジロドゥが書いたものです。1935年といえば、第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざま。ジロドゥは第一次世界大戦に従軍していました。

(1935年の時点では、この5年後に再び世界大戦が勃発するとは知りませんから、彼にとっては「第一次」なんて名称はなかったし、第二次なんて起きてほしくなかったからこそ、これを書いたのですが・・・)

この第一次世界大戦というのは、戦車と飛行機が初めて使用され、あり得ないほど大量に人が亡くなった戦争でした。『トロイ戦争は起こらない』はジロドゥが戦争で体験した実感溢れる言葉で綴られています。

トロイ戦争を取り上げることによって第一次世界大戦を振り返り、第二次世界大戦の足音を敏感に察知しているジロドゥ。彼が取り上げたかったトロイ戦争については、こちら「トロイ戦争とは」をご覧ください。

(「トロイ戦争とは」というタイトルをクリックしてくださいね。研究所の名前をクリックすると国際的な演技を普及する研究所のメインホームページに飛びます)

『トロイ戦争は起こらない』で三輪えり花は、トロイ王国最後の王妃へカベを演じました。

リハーサルから本番まで、お写真で三輪えり花を振り返ってみます。

顔合わせ後にすぐ行われた、チラシ用撮影会。

衣装さん、メイクさん、ヘアさんがついて本格的な撮影です。いわゆる小劇場のお芝居にヘルプ出演だと思っていたので、本格的でびっくりしました。

チラシに採用された全員写真

この頃はまだ誰が誰なのかまったくわからず。全員、初めてお目にかかった人たちです。

母体となる「人間劇場」の若い俳優たち、俳優座のベテラン、鈴木忠志からのベテラン、狂言からのベテラン、映画監督、ルコック(フランス系仮面術)からの俳優、大学生など多彩な顔ぶれ!

最後には彼ら一人一人と私なりに仲良くなれた気がしています。ただ一人欠けても、この成功はなかった。本当に実感しています。そして私をうけ入れてくれて感謝。

初期のワークショップ

初期のうちは、音楽に合わせてムーブメントを即興でひたすら続けたり、声の即興をひたすら続けたり。

英国王立演劇アカデミー(RADA)の演技術をやってきた私には、即興の進め方にしても、あまりにも闇雲すぎてかなり心配に・・・。

(RADAでは、即興をやるときには、たとえばアイコンタクトの練習や、空間へのセンスなど、ものすごく初歩的で原始的なところを大切にして、団体の感覚を養っていく。たくさんの要素を一気に放り込まず、ひとつずつできるようにしていくのです)

この写真は、各自が家にある「音の出るもの」をこれまた闇雲に持ち寄って、それで効果音をそれぞれが闇雲に放り込みながら、初めての立ち稽古。

人間劇場の演出家のワードは「好きなように、なんでもありで」、でして、稽古場は、俳優が自由に役柄に取り組めるようになっている素敵な環境でした。

しかしながら、世界のスタンダードでは、抱擁の場面でもきちんと振り付けをするようになってきているので、こうしてよく知り合いもせず、台本読解も行わないまま抱擁に入ってしまって、またも愕然とした三輪えり花です。


誤解のないように申しておきますが、世界スタンダードでも、リハーサルで俳優たちにどう動け、という指示はほとんどしません。それに向かうため、台本読解をしっかり行い、どういう意識・どういう目的、などを演出家と俳優でたびたび詳しく話し合って、俳優たちはそれを根拠にして、自由に動きます。根拠があるからこそ、その上で自由に動ける。

但し、キスや抱擁は、喧嘩・決闘やダンスの場面と同じように、振り付けるべき部分として扱われます。

そこにある心理はリアルで互いに近寄りたい、と思っていたとしても、どう抱き合うかは振り付けてあげるほうが、ずっと安心して演技できるものです。さもないと「え、これが本心だと思われたらどうしよう。自分でリードしたら変におもわれるんじゃないか」という不安ばかりが先行して、演者の恐れやエゴが先に立ってしまい、キャラクターがなおざりになる危険が極めて高いからです。
(日本のスタンダードのように振付師がいない場合は、俳優同士で、喧嘩場面のように話し合って作ると良い)

ちなみに背後でフルートという「音階を出せる楽器」を持ち込んで吹いているのは私です。でもフルートは、唾液の飛沫量がものすごいので、感染者の数が激増してきた7月には、使わないことに決めました。

初期のワークショップが徐々にリハーサルに

当初、芝居冒頭はダンスのシーンになるはずでした。
初期の頃は、ジロドゥの怒涛のようなセリフを言いながら、ダンス的ムーブメントをそれぞれがその場で考えつきながらやっていくような感じでした。この日は私は背後で、チベットベルを鳴らしていました。このチベットベルは本番でも活躍しました!

中盤のワークショップ

なるほどこのチームは台本読解はしない方針のようだ。えええっ!?
読解なしでどんどん即興リハーサルが進んでいく。

ジロドゥの大量のセリフは、お客さまにちらっと投げかけるかのような軽いコメントのところや、ギャグや、さらさらと裏で流していればいいようなところがたくさんある。それがわからないと、全てのセリフが最重要で重々しく、切実な意味があるように演じてしまいがち。これは日本でシェイクスピアやチェーホフをやる時と同じで、ついつい「海外の最高のものであるから、全てが重要なのである」と全部重苦しく威厳づけてしまうのと同じ。いやそりゃもちろん全ては意味があるんですよ。でも全てが重々しい演技で喋ればいいってものではないのです。この戯曲には、軽い・重い・明るい・暗いなどの緩急があることを全員が認識すると、最終的に本当に重要な部分が際立ってお客様に届く。台本読解はそういうものです。

それから、誰に話しかけているのか。なんのために話しかけているのか。内緒話か。全員に聞こえるように言っているのか。何を示唆しようとしているのか。自分の演じるキャラクターの、戯曲内での役回りは何か。これらは、皆で読解しなくても、個人で宿題として家でできることですが、いかんせん、日本の演劇事情のなかではこの部分の「読み取り方」が欠落しているようです。今回、どのキャストも本当に力のある、素晴らしい人たちばかり。本当にすごいんです。でも、この基本的な読解の方法を知らない、もしくは浅い、もしくは日本的に全て重々しくすることに囚われているのではないか、そのために、本来、もっと色彩豊かにキャラクターを構築する扉を開けないまま、現状の中でもがいてしまっているように感じた。

だからこそ、みんなで行う台本読解が必要で、それをやってくれたら私が多少なりとも貢献出来たかと思うのです。
が、今回、私は俳優という立場で呼ばれたので、演出家顔はもちろん、指導者の顔も、頼まれない限り、封印です。

そこで、台本読解はしないチームなのだとの現実を受け入れ、自分は一人で台本読解すると決める。

私が台本読解に基づく、軽やかでカラフルなキャラクターとして相手役に関わっていけば、相手役ももしかしたら「あ、こういうのもありなのか」と反応してくるかもしれない。そこに賭けることにしました。

役どころに活かしていくためと、動きを想像するために、自分のイメージではトロイの王妃はこのような服を着て動くだろう、と、手持ちの衣装を持ち込みました。シェイクスピアの『テンペスト』でエリアル(大気と音楽の精)を演じた時はこの色違いを使っています。

そして、最終的には、みんな即興を繰り返しながら、たくさん発見をしていって、この成功を導き出すことができました。
そこは本当にすごいです!
応用力と即応力がすごい。

ただ・・・繰り返しになりますが・・・もっと台本読解と場面の意味について話し合えたら・・・
そしてこれだけの才能の集まりだからこそ、もっと、もっと、もっとすごいことになっていたのに・・・
と、今でも思います。


台本読解を演技に活かす努力

王妃は誰のそばにいるのが好きだろう?
 19人以上の子供をもち、全員を戦争で失くす王妃。
トロイ戦争が始まる前も、打ち続く戦争で何人も失っているはずだ。
だから、長男であるヘクターが無事に帰国したらその喜びはひとしおだろう。・・・

と、台本読解を活かして、ヘクターのそばにいてみた日。

手前の扇風機は、舞台装置のデッサンにあった、動くオブジェ。
狭い舞台の中で、効果的で使い勝手の良いふたつの場所を、触ることのできないオブジェ2点に占められてしまい、愕然としているのだが、演出家がそれを希望しているのだからしかたない。動けない狭い空間を使え、ということなのだろう。オブジェの影で蠢く俳優を示したいのかもしれない。オブジェ越しに俳優が垣間見えるだけでいいのかもしれない。俳優よりも美術の方が大事、という、1940年代と1970年代に流行った、俳優を人形のように、あるいは舞台装置の一部のように扱う方法と似ている。

実際、アンサンブルとして、メインキャストを囲んで動くところなど、人間が美術のように異世界を作り出すスタイルは世界でも人気です。コロナ禍直前にアラブ国際演劇祭に行ったときも、アンサンブルが異世界を作り出すスタイルがたくさんありました。それに私は寺山修司に影響されて育ったので、このアイディアがわかったあとは、喜んで対応することができました。

共演者たちと馴染んできた!

共演俳優たちと徐々に仲良くなってきた。
人見知りの激しい三輪えり花は、口をつぐんでいるとただ偉そうに見えてしまうのは承知しているのだが、人見知りなんだから仕方ない。だから話しかけてくれると本当に嬉しい。かれは狂言界からやってきた川野誠一さん。年老いた国王を手玉にとって、まるで自分が国王であるかのようにトロイを牛耳り、それを知っている王妃と対立し、トロイを戦争に引き込む元老院議長デモコス。

台本読解を演技に活かす努力

台本を読解してみると、末娘ポリクセヌを溺愛していると読める。
いつ、どうやって接点を持てば、それを表現できるかな、といろいろ試す。

デモコスと対立する場面のひとつ。

夫であり国王であるプリアモスを演じる中山一郎さんはなんと陽性中! 代役で人間劇場の神田智史さんが。


ヘクターの声を借りたジロドゥが、実際に第一次世界大戦で経験した、頭をかち割られて白目を剥いている戦友にかけた言葉、左腕がもぎ取られて血が止まらずに意識が薄れていく少年兵にかけた言葉などが語る場面。
おさない末娘に残酷な話を聞かせまいとしつつ、戦場で同じように死んだであろう自分の子供たちのことに思いを馳せるのではないか、と台本読解したのを演技に表しているところ。

戦争反対派の意見が取り入れられることが決まって、戦争の門が閉まることで安心している王妃。戦争推進派が戦争の必要性をいまだに説いているのをバカだな〜と聞いている。

センターにいる俳優は映画監督でもある菊沢将憲さん。
いろいろ動きをつけるのも平気でおこなうが、言葉だけでラストのオデュッセウスとヘクターの場面をやった時、発する言葉の力強さと意味の作り上げ方から、台本読解をきちんとでき、しかもそれを演技に変換できることが伝わってきたし、役柄的にもイメージがぴったりなので、私が12月に演出するアイルランドの芝居への出演をお願いした。

歌がこれまた大変だ汗

音楽劇にするというので、歌も作曲されてきたのだが、それまで手持ちの太鼓や鈴で、メロディなく効果音として作ってきたものと、しっかりミュージカル的な明るいノリの曲とのギャップにかなり不安になる。
ウクレレで弾き語りしながら作られたらしい曲の数々は、どれも一人で歌うにはなかなか素敵なのだが、歌のスキルがプロ並みではない人間たちが合唱で歌うには、フレーズが早くて複雑すぎるために歌詞が潰れてしまうことをものすごく危惧した。
最終的には、曲の数を絞ったことと、子音や母音の作り方も1回ではあったが指導してもらえたのが救いになった。

舞台装置を想像しながら

床面に貼られたテープは、舞台装置の「段」を示しています。あらゆるところに段があり、面で広く動けるところがないので、ダンスや喧嘩場面が危ぶまれます。実際に段があるところで稽古できたのは、劇場に入った8月23日(初日は24日)の1日のみです。みんな怪我ひとつせず、よく頑張った!

和室でのリハーサルも

和室でのリハーサルもありました。公民館を渡り歩いて、そのたびにテープを貼ったりはがしたり。人間劇場メンバーの俳優さんたち、本当にお疲れ様でした!

この写真は、メイン舞台でメインキャストが演じている時、アンサンブル隊は背後で人間効果音をやるのですが、その相談をしているところ。青い俳優二人はラストシーンまでしっかりキャラクター出演でしたが、私と末娘はほぼアンサンブルがメイン。お座布団の前にある赤いものは、音程を取ることができない空間に、見るにみかねて私が持ち込んだ鉄琴。このおもちゃ楽器が唯一の音階楽器で、これがなかったら本番で歌は成立しなかったし、ダンスも音楽なしになっていたはず。1番の立役者かもね。鉄琴演奏は神田智史くんで、お見事でした!あと、ポリクセヌを演じた片岡わかなさんも鉄琴プレイヤーの才能を見せてくれました!

ジロドゥらしさを求めて

じょじょに場面の性質が掴めてきた。
フランス語と、その英訳を参考に読むと、ジロドゥがいかに軽やかに筆を進めているかがよくわかる。

反戦という重いテーマだからこそ、そして第一次世界大戦が終わったばかりで疲弊しているフランス国民に、ナチズムとソヴィエトの出現に第二次世界大戦が起きそうなのをみないようにしているヨーロッパ人たちに、劇場へ足を向けてもらって「息抜き」で笑ってもらいながら、反戦を実は訴えている、という非常にフランスらしい手法で書かれていることがわかり、私が出演している場面は少なくともその雰囲気を出すようにしようと努めた。

この写真は、戦争推進派デモコス(彼自身は絶対に戦場に行かない)の提案を逆手にとって、息子パリスと一緒にからかうところ。パリスを演じる石川朝日さんはフランスに2年間行って、ジャック・ルコックという仮面術の学校に通った人なので、このユーモアのセンスをすぐに理解してくれた。

衣装をつけてリハーサル

衣装ができてきた日。身につけて演ってみる。

全員、アンサンブルもしなくてはならないし、私はとくにアンサンブルでいる方が、メインでいるよりも多いので、こんなに目立つ色じゃ、どこにいても「王妃」以外の何者にもなれないのではないかと心配である。

衣装のおまけができてきた日。
廃棄ビニール傘で作ったエリザベスカラー。
これをつけると王妃、はずすとアンサンブル、という設定になる。

肩に載せているだけなので、くるっと動くとすぐにずれて落ちてしまうので、本番中もかなり気を遣った。本来は、衣装に気を遣って演技に集中できないことはあってはならず、衣装に「ずれないようにお願いします」と言うべきなのだが、今回は「はずす」がメインなので、お願いしなかった。

そして劇場へ入りました。

やるだけのことはやった。

舞台写真はまた次のブログで!


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