〜魔法と剣と権謀術数、シェイクスピアの『テンペスト』はワクワクする物語。その楽しみ方がよくわかる『何がすごいの?テンペスト!』2月21日17時からライブ配信〜

『何がすごいの?テンペスト』では、難解・敷居が高い・頭のいい人のものと思われているシェイクスピアを100倍楽しむ方法を、魔法と剣と権謀術数のわくわく冒険物語『テンペスト』(もちろんシェイクスピアの戯曲です)を取り上げて、トークと歌で綴っていきます。

↑ 戯曲、と書きましたが、この言葉をご存知ですか?

小説?

ここ数年のことですが、大学でレポートを書かせると、「シェイクスピアの小説を読んでみたいと思った」「『ハムレット』の小説を買って読みました」と書いてくる人たちが増えてきているのです。

そっかー、戯曲って言葉はもしかして死語?

死語とまではいかなくても、興味のある人にしかわからない特殊用語になってしまったのかもしれません。

小説もライトノベル系は会話文がメインで成り立っているものも多いですものね。

ひとつの文章で1行を短く分けて書くのは詩・1行を分けずに書くのは小説。

そのような認識なのかもしれません。

だって、普段、触れませんものね。しらなくて当たり前です。でもせめて「台本を読みました」程度には言ってほしい・・・

戯曲と小説の違い

戯曲は、話者の名前が書いてあって、そのあとに数文字分の空きがあってから、その話者が喋るせりふが書かれます。
たとえば:

『目的のためには手段を選ばず』by Oliver Goldsmith, 翻訳:三輪えり花

小説は、誰かが喋る言葉は「かぎかっこ」で囲まれて、その前後の文章のどこかで、それをしゃべったのが誰かが書かれています。
たとえば:

『走れメロス』by 太宰治

なんで違うの?

どうして戯曲と小説のジャンルを分けるかというと、その楽しみ方が根本的に違うから。

小説は、受け取り手が「読者」と呼ばれるように、文字を目で読むことでそれを楽しみます。文字の書かれたものとそれを手にしている人との間で授受が完結します。
書かれた→読んだ。です。

戯曲は、受け取り手は「観客・視聴者」と呼ばれ、文字に書かれたものを誰かが演じてくれるものを観て聴いて楽しみます。
書かれた→演じられた→視聴した。です。

戯曲は演じる人が間に入ることで、受け取り手は作家が書いたものを初めて享受するわけです。

戯曲のすごさ

ところがもちろん、戯曲は書かれて文学として出版されているものもあるわけですから、当然、書かれた→読んだ で完結する人もいます。

でも、そもそも戯曲の書き手は、誰かが演じてくれたのを視聴してもらって完結することを念頭に置いているので、戯曲の中にある情報は、「目で見ないとわからない」「耳で聞かないとわからない」ように書かれているのです。

同時に、「目で見て初めて面白さがわかる」「耳で聞いて初めて面白さがわかる」ようにも書かれているのです。戯曲って、すごい技術でしょ?

観客は観客で、文字で読んでいただけの時は、自分の脳内範囲だけでその言葉を解釈していたものが、舞台に載ったものを見て「わお、こんな解釈があったのか! わお、こんな言い方になるのか! わお、こんな気持ちになるのか!」などのすごい発見の連続を体験できるのです。
すごいでしょ、演劇(映画・映像含む)。

だからシェイクスピアは戯曲

シェイクスピアの戯曲『テンペスト』は目で見て耳で聞いて、わおわおわお!な発見の連続がものすごい。いや、いったい何がすごいの?ってそれを『何がすごいの?テンペスト』で三輪えり花がお話します。本当に面白いんです!


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