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バイカル湖5:ソヴィエト時代の回想

トランジットのためのパスポートコントロールが済むと割合すぐに乗り継ぎ便に。

ここのところ睡眠不足だったので、くったりと寝ていると、食事の時間になった。

ドリンクが先に運ばれて、またもトマトジュースと、水も頼んだ。

それを下げられてしまうと食事。

チキンと魚とパスタというメニュー。

どれも惹かれるが、先月の健康診断で悪玉コレステロールが基準値越えという、三輪えり花にあるまじき結果がやってきたので、ここは魚にする。



アルミの熱くなった容器に魚は、カジキマグロのグリルにチーズとにんじん玉ねぎのソースがけ、炭水化物は白米。

ほかに、パンが2種類とマフィンの入った紙箱。
カトラリーもここに入っている。

丸パンの渇き具合には参ったが、あとはなかなか美味しい。

わたしの良いところは、ほとんどの食べ物を美味しいと感じて幸せにいただけること。

それにしても食事中に水分がないのには困った。

さすがに食後にはドリンクがやってきた。
珈琲と炭酸水で、チョコチップマフィンを食べる。

成田からイルクーツクまでの動画はこちら

ロンドン大学の大学院に留学した頃はまだソヴィエトだった。

祖母の危篤で一時帰国した際、アエロフロートを使った。

成田からモスクワへは機内食は問題なかったが、モスクワからロンドンへの便で出た機内食の白米は、ガチガチに乾いていて食べられたものではなかったのを思い出した。

飛行機から降りることは許されず、給油と食糧補給のみ。

3月とはいえモスクワは雪に閉ざされ、機内の窓から下を見ると、粉雪が強風に煽られ舞い散る中を、第二次大戦の頃と変わらぬカーキの分厚いコートに身を包み、機関銃を肩から下げたソヴィエト兵が、巡回していた。

聞こえないはずのその足音まで聞こえる気がした。

遠い昔だ。

ロンドンに渡ったのは、ベルリンの壁が落ちた年。
たしか壁が8月13日に落ちて、そのひと月後だった。

東西ドイツが、あれよあれよという間に、誰も想像しなかった速さで、新年1月5日には統合した。

次の夏にはわたしは在英国日本大使館で情報部にいた。

サミットがあり、海部首相、レーあガン大統領、ゴルバチョフ大統領と、今にして思えば歴史の転換点の真っ只中にいたのだ。

そんなことを考えながらうとうとするうち、4時間半のフライトでイルクーツクに到着。

夜10時20分、マイナス14度。
機内でTシャツでいた大男たちがロシア風の毛皮の耳当て帽子を被り始める。

Stow device holder during taxi, takeoff and landing.

Taxi って語源はなんなんだ?

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