London 2019-6 Camden Town

Camden Town.カムデン。
わたしの憧れの場所。ずーっと。

いつからだろう?

ああ、そうか、私は80年代の人間だから、ネオ・ロマンティクスというジャンルのロックで、ふりふりのえりのついた、メイキャップで美しくした白人系ボーイズの歌手たち、ディラン・ディラン、カルチャークラブ、ワム、ジャパン、が大好きで。

その頃のロンドン、といえば、なによりもカムデンロックがカッコ良かった。

だから、決めていたのだ。ロンドン大学に受かった時から、

ロンドンに到着したら、なによりもまず、カムデンロックに行こう!と。

そこで買ったライダーズ革ジャンはいまも愛用している。

ロンドン大学の大学院が終わってから、大使館に務め始めるまでの短い時期、カムデンタウンにあるロンドン大学の寮に住んでいたこともある。

が、2度目の留学で Royal Academy of Dramatic Art に行っていたときは、ほかの在外研修仲間がクラシック音楽系だったこともあり、わたしは Royal Opera House での研修もあり、クラシック音楽にずいぶん傾倒し、ほとんどカムデンには出入りしなかった。

その後数回、ロンドンに来たが、カムデンには来なかったのだが・・・


2019年の5月8日、今日は、カムデンタウン!
なんてなんて久しぶり。

ああ、変わっていない。私がライダーズの革ジャンを買ったこのテント街は変わっていない。

少し中へ進むと、あれ、変わっている。昔は、この辺りに住んでいる手作りアーティストたちの手作り作品が並ぶストール(屋台式店舗)がずらりと並んでいたものだ。

が、すっかり屋根に覆われ、ガラス戸を開けて入る仕組みに。お店たちも、この辺の手作りというよりは、もう日本にもどこにでもあるような、石鹸だのアロマオイルだの銀製アクセだのばかりになっている。残念。いわゆる掘り出し物、てきなことが難しくなった。

でも、地面のコブルは変わっていない。屋根と壁は作りはしたものの、地面はそのままだ。

コブルとは、Cobble といって、石畳の一種。ヨーロッパの石畳には、19世紀のパリのような大きめの石畳もあるが、だいたい10センチ四方くらいの黒っぽくてやや丸っこい石が敷き詰められていて、どうしてもハイヒールのかかとが入り込んでしまう(のは、これが古くは中世からのものだったりするので、必然的に角が取れて丸くなってしまって、ヒールがハマってしまうのだ)タイプのものが敷かれていると、それをイギリス人はCobble Street と呼んでいる。

今日は、わたしの最も尊敬し、お世話になり、わたしの演劇人生に欠かせない一人、イラン・レイシェルとカフェをした。

彼は、カムデンタウンに住んでいるのだ。

彼は、アレクサンダー・テクニックの第一人者で、Royal Academy of Dramatic Art のムーブメントティーチャーを長年務め、いまはたしかLAMDAやセントラル、ルコックで教えている。

今ハリウッドで活躍している、RADA卒業のイギリス人俳優たちは皆、イランの薫陶を受けているのだ。

感性を育て、身体がそれを限りなく忠実にすぐにそのまま反映されるようにし、せりふを支える深層心理や状況を読み解き、それがまたそのまま身体に限りなく反映されるようにする。

それが、イランのしている、ムーブメントディレクターとしての仕事だ。

初めてイランのワークショップの通訳をした時に、わたしの人生は大きく大きく大きく変わった。その話をすると本が一冊書けるくらいなので、またの機会にするが、イランのワークの概要は、著書『英国の演技術』に記してある。(リンク)

ところでカムデンタウン。

わたしたちは、旅行者みたいに、カムデンロックで一番有名なパブで紅茶を頼んで、二階のオープンエアデッキへ。
(上の写真の建物です)

カムデンロックのロックは、初めて聞いたときは RockのRockだと思っていたが、Lockなのだ。

Lockとは、運河の開閉式の門のこと。

lock 運河のボートの行き来に必要な水門のこと。



小雨がぱらついて慌てて隠れたり、この席は濡れてないよ、と見知らぬ相客に譲ってもらったり。
イランとは、これから先の国際プロジェクトについて話し合った。彼は演出家でもありパフォーマーでもあるし、ムーブメントが大好きな私と国際メンバーの多言語パフォーマンスをやるにはぴったりなのだ。

楽しいひと時だった。

イラン、いつもいつもありがとう。あなたのおかげでわたしの人生は大きく変わりましたの。

あ、端的に言うと、運動神経の全く無かったわたしは、イランのアレクサンダー・テクニックの通訳をしているあいだに、なんか運動神経が育ってしまって、まるで知らないうちに別人になったかのようにわたしは変わりましたの。そこから演技をするだけの身体感覚が育ち始めたのだ。

俳優の才能を開花させる方法をRADAの元校長のニコラス・バーターに教わり、演出家・演技教育者としてのわたしが育ったとすると、パフォーマーとしてのわたしが育ったのは、イランのおかげなのだ。

To be continued…

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA