シェイクスピアは、弱いものの味方です。
『ヴェニスの商人』では、法律という巨大な壁を盾にして、合法的に殺人を行おうとする金貸しシャイロックを、どうやったら止めることができるか、が作品のクライマックスになっています。
ヴェニスの商人アントニオは、命を取られるとわかっていながら、そんなことは起こりえないと署名した法的文書を尊重します。
ヴェニスの金貸しシャイロックは、アントニオのサインした法的文書の正当性を主張します。
被告も原告も、この法的文書を尊重しますと言っているわけです。
それを止めたいのは、アントニオの友人たちと、みすみす異教徒に命を狙われるのを見ていられない同胞たちです。
例えれば、仮に
フィリピンで麻薬密売に関わったつもりはないのに、軽々しくサインしたものがその証明になって死刑宣告を受けた日本人商社マン(というより、丸紅や三井物産級の大会社の社長)がいて、本人はもう仕方ないと思っているような状況を、日本政府がなんとかして助けてやれないかと画策するも、法律を前にしてはなすすべなし。
という状況を思い浮かべてみてください。
法律は正義です。
そして法律はできるだけ人道的であろうとしますが、どうしても非人道的な側面が生まれてしまいます。それが『ヴェニスの商人』の裁判。
シャイロックを止めることはできるのでしょうか?
【今日のライブインタラクション】
ルールはこうだけど、今回は曲げてあげないと・・・と思ったことはありますか?
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